私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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震災から一年 ~ 皇室と日本人

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今日で東日本大震災からちょうど一年が過ぎました。
あの過酷すぎる自然の猛威は、15,854人の犠牲者を飲み込み、いまだ3,155人の方が行方不明のままです。
改めて亡くなった方々に心から哀悼の意を表し、被災者の方々にお見舞いを申し上げます。
震源地から遠い関東の地にあっても、あの日のことは忘れることができません。
私はあの寒さが厳しかった夜に徒歩で帰宅。震度5強ですら、家具は倒れ、本は棚から落ちて散乱し、足の踏み場を確保するのも大変な状況でした。
計画停電という奇妙な体験を通して実感した生活インフラとしての電力の重要性。ある停電の夜に、便座に座って感じたお尻の冷たさ、やる事がないのでベランダで外を眺めていたら、停電終了と共に一斉に目の灯りが灯された、まるで映画を見ているような光景。
夢であって欲しい痛ましい思いも、不思議な体験も、すべて現実だったわけです。
そんな、被災地と比べたら甘っちょろいとしか言いようがない震災後の生活で自分自身を戒め、励ましたのは、被災者の方々のひたむきな頑張り、とてもじゃないが真似できない強さ、自衛隊の八面六臂の活躍、そして皇室だったように思います。

震災は、我が国における皇室の存在のありがたさ、そして自衛隊の存在意義や価値を、図らずも浮き出させたのです。
今上天皇は痛みや苦労を被災者と共有することを自ら選択され、被災地を慰問され、自主的な停電も実践された。
自衛隊は、自己犠牲の精神を身をもって示し、彼等が国家と国民のための組織であることを、国家と国民のためなら命をかけて任務を遂行する国士の集団であることを、言葉を超越した次元で示した。
西村幸祐氏が著書『教科書は「天皇」と「自衛隊」をどう教えているか』で指摘した、日本の教育が歪ませるふたつの大きな要素が、日本の国体を維持する不可欠な存在だと理解されたのではないでしょうか。

私はこの震災をきっかけに、過去の災害時における皇室と国民の関係性を少し調べ、ふたつの重大なことを知るに至りました。
ひとつは、関東大震災の被災下における昭和天皇の凄まじいまでの国民救済策と、それを通して理解できた今上陛下と皇室の連綿たるスタンスです。
昨年10月に起こしたエントリー「関東、阪神淡路、そして東日本大震災 ~ 皇室という普遍的価値」で書きましたが、関東大震災後に昭和天皇(当時は摂政宮であられた)が矢継ぎ早に出された皇室から民への救済策の数々は、神がかっていると理解するのが最も容易いものでした。
是非読んでいただきたいエントリーですが、少しだけ引用します。

関東大震災のあと、皇室はどう対応されたのか。
震災が起きた1923年9月1日、大正天皇は御病気で、日光の御用邸でご静養中だった。
東京におられたのが22歳の若き摂政宮で、後の昭和天皇である。
若き摂政宮は震災当日は一睡もされず、徳川侍従次長より報告を受けられた。そして翌2日には、御内帑金一千万円を下賜された。当時の一千万円とは、今の貨幣価値で十億円を超えるとも言われている額だ。そしてその翌3日には山本首相を赤坂離宮に召され、その一千万円についての趣旨を伝えられた。
そして4日には侍従武官を横浜、横須賀、東京市内に差遣されて慰問にあたらせている。
7日になると、全国の御料林から材木を伐採し、急場の住宅建設用にと下賜された。
さらに各宮家では、避難民のために庭園を開放され、さらに御座敷までも開放された。
大富豪の大部分が門戸を固く閉ざし、一歩も入れない者が多いため、一般庶民からは怨嗟の声が高かったという。
12日、震災から二週間と経たない時に、大正天皇のお名前に摂政宮が副署された詔勅が出される。


当時と今では時代も違えば、皇室のお立場もまったく違います。
当時と比較すれば、今上天皇のおやりになる事は、政治的、制度的に比較できないほど抑制を余儀なくされている。
しかし、今般の今上天皇の、被災者へ寄り添われるお姿 ーー 特に、那須御用邸の職員用風呂を被災者向けに開放されたエピソードが、関東大震災で宮家の庭園、お座敷まで開放された今上陛下のエピソードと繋がり、皇室が昔も今も、国民と共にあるご存在であることの普遍性に、痛く感激し、畏敬の念を覚えたのでした。

昭和天皇のお写真
東日本大震災のがれきに埋まっていた昭和天皇、香淳皇后のお写真

もうひとつは、陛下が震災直後の3月16日に発せられたビデオメッセージにまつわる話です。
これも昨年、『16年前、今上陛下のメッセージを封殺した、マスメディアによる驚愕の暴挙』というエントリーで書いた、阪神淡路大震災のときの天皇陛下のメッセージを握りつぶした(と推定される)マスメディアの暴挙でした。
今上陛下の国民に向けたメッセージは、2度目になるはずだったのです。

 (阪神淡路大震災後の)一月三十一日、「文藝春秋」の私の談話筆記が校了になったあとで、天皇・皇后両陛下が被災地にお出掛けになった。 宮内庁筋によると、実は震災発生の直後にも、天皇陛下のお言葉をテレビ放映するという企てが模索されたという。 ところが内部の慎重論に加えて、一、二の新聞が「それでは戦前の勅語と同じだ」と異議を唱えたので沙汰止みになったという。
 またしても、現行憲法ではありませんか。皇室の御姿はつとめて覆い隠し、自衛隊の活動はつとめて報じないようにする。こうして国民が税金の対価として期待し、与えられるものと信じている慰藉(いしゃ)を奪って恬(てん)として恥じない。もしジャーナリズムの一部が、そのような所業に及んでいるとすれば、これこそ「税金泥棒」の最たるものと言わざるを得ません。

江藤淳 「保守とはなにか」」より


もし事実であれば、陛下は忸怩たる思いをお持ちだったでしょう。
以上のような状況を考えれば、陛下のご心情を忖度するのはまことに不敬ではあるものの、陛下は昨年3月16日、余程のご覚悟をもってメッセージを発せられたと考えざるを得ない。

震災から復興予算の成立に11ヶ月、復興庁ができたのも1年後。
避難生活を続けざるを得ない方がまだ34万人もいる。
政治の体たらくはもう限界にきています。
阪神淡路の際の村山首相は、権限移譲して国民を救済するという謙虚さがあったけれども、菅直人は震災を奇貨として、自身の延命を画策した。この人はまさに、国民国家の敵であった。
そんな政治とは全く別の次元にある皇室の存在は、危機に瀕する国家、国民にとって、まことに大きな精神の拠り所と再認識されたと思います。
震災の記憶は辛いけれど、今日行われる追悼式に、術後の難しい時期にもかかわらず陛下が出席され、祈りを捧げられることは、大きな慰めになるはずだと思います。
私はちょっとした用事で来ている名古屋から、被災地に向かって黙祷します。


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[ 2012/03/11 13:45 ] 皇室 | TB(0) | CM(0)
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