FC2ブログ

私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  メディア >  16年前、今上陛下のメッセージを封殺した、マスメディアによる驚愕の暴挙

16年前、今上陛下のメッセージを封殺した、マスメディアによる驚愕の暴挙

← 応援クリック、ありがとうございます。

震災から3ヶ月。
思えばこの3ヶ月の間に色々あったけれども、私自身にとって最もインパクトがあったのは、被災者の健気な姿勢を除けば、今上天皇のビデオメッセージと自衛隊の八面六臂の活躍だった。

3月16日、今上陛下は全国民に向け、ビデオでメッセージを発せられた。
平成の詔勅とも言うべきメッセージは、大東亜戦争終結以来、66年間で初めてのことである。
逆説的にいえば、陛下はこの震災を、敗戦と同等の国家の危機と認識され、国民に直接語りかけられたということだ。
私はこのメッセージに大いに感動した。
被災地では、陛下のメッセージと被災地へのご行幸が、菅首相のそれとは比較にならないほど心の支えになったという話も聞く。
そして、身を粉にして任務に当たる自衛隊員、自衛官らは、陛下の御言葉によって文字通り奮い立ったという。
陛下と菅を比較すること自体、陛下に失礼な話だが、言葉で表すことができない歴史の重みというものを悟った国民は、少なくないはずだ。

昨日の日曜日、阪神淡路大震災のころの政治はどうだったかと、書棚から幾冊かの本を取り出してパラパラとめくっていたところ、ある重大な記述を見つけた。
それが意味するものは、こういうことだ。

今上陛下が国民に対してメッセージを発せられようとしたのは、この東日本大震災が初めてではなかった。

江藤淳の「保守とはなにか」という著書に、「国は何のためにあるのか」という論文がある。
このなかで江藤は、1995年の阪神淡路大震災に触れて、こう書いている。

 (阪神淡路大震災後の)一月三十一日、「文藝春秋」の私の談話筆記が校了になったあとで、天皇・皇后両陛下が被災地にお出掛けになった。 宮内庁筋によると、実は震災発生の直後にも、天皇陛下のお言葉をテレビ放映するという企てが模索されたという。 ところが内部の慎重論に加えて、一、二の新聞が「それでは戦前の勅語と同じだ」と異議を唱えたので沙汰止みになったという。
 またしても、現行憲法ではありませんか。皇室の御姿はつとめて覆い隠し、自衛隊の活動はつとめて報じないようにする。こうして国民が税金の対価として期待し、与えられるものと信じている慰藉(いしゃ)を奪って恬(てん)として恥じない。もしジャーナリズムの一部が、そのような所業に及んでいるとすれば、これこそ「税金泥棒」の最たるものと言わざるを得ません。

( )内はブログ主の付記


江藤淳は、戦後民主主義を「民主主義ごっこ」と批判し、戦後の言論全般を「閉ざされた言語空間」と呼んだ。
上記の論文で江藤は、「~という」と、伝聞を前提にしており、100%事実であるということを言うつもりはない。 だが、情報の上流に宮内庁筋が存在することを見れば、事実に近いのではないか。
そしてこれが事実とすれば、ジャーナリズムの傲慢さは声を大にして糾弾されるべきものだ。

一昨年の末、中共と習近平による陛下とのごり押し会見に際し、小沢一郎が言及した「天皇の国事行為」云々というトピックが持ち上がった。ここで、愚かなる小沢一郎は憲法解釈を誤り、大いに恥をかくこととなった。
小沢の国事行為の解釈が、意図的なものか無知によるものなのかは不明だが、ここで明らかになったのは、政治の中枢にいるものとて、陛下のご行為を定義するに及ぶ存在ではないということだ。
しかし、政治家はさておき、国事行為の定義に新聞をはじめとするメディアが介在する理屈は、どう考えても存在しない。
江藤が書いたジャーナリズムの不遜、傲慢さは、ジャーナリズムがその立場をわきまえずにその立場を超え、陛下のご意向までも左右したという点において、記憶されるべきものである。

本来、言語の担い手の一部であるべきメディアが意図的に言語空間を閉ざし、あるべき国体の姿を国民から遠ざけようとする所業は、陛下のビデオメッセージを編集して報道し、また自衛隊の活躍をほとんど伝えようとしない今年の震災でも、16年の時を経ていてすら何ら変わっていない。
戦後、GHQが画策した日本の軍国主義者と国民との対立、戦前と戦後の分離を、この国のメディアは見事なまでに引き継ぎ、密なる関係であるべき皇室と国民、自衛隊と国民を意図的に遠ざけようとしている。
謂わば、マスメディアは国家・国民と完全な敵対関係にある立場に、好んで身を置いているということだろう。
彼らがそのような立ち位置を堅持するのは、彼らの言語の土台には「戦後民主主義」が必須であるからに他ならない。よく談合、癒着、利権争いなどが戦後の腐敗社会の要素として挙げられるが、メディアは自身の立ち位置を隠匿したまま世論誘導を企てる存在であり、彼らの問題はより根が深く、陰湿である。
ゼロベースという民主党が好んで使う言葉が持て囃される今日、本当にゼロベースでの再編が必要なのはマスメディアだと痛感するのは、私だけではないはずだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2011/06/13 12:41 ] メディア | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

※ 記事の内容に直接関係ないコメント、トラックバックはご遠慮させていただきます。
※ 管理人及びコメント投稿者への誹謗中傷、嫌がらせ等と判断した場合は、管理人の判断により、コメントを削除致します。

トラックバック
この記事のトラックバックURL

カレンダー
05 | 2019/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
Banners
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ



憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会
twitter
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ