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今年も終戦の日を迎えた。記念ということばは必ずしも肯定的な立場のみを意味しないが、この日を「終戦記念日」と呼ぶ気持ちにはなれない。この日は先の大戦が終結した日だが、同時に日本の敗戦が確定した日でもある。敗戦利権者たちは、戦争の終結によって日本にも平和と民主主義が生まれたと、デマを散布する。だからこの日を記念したがる。しかし、終戦の日というのは、尋常ではない苦難の始まりでもあった。
終戦の詔勅で、昭和天皇は国民にこう語りかけられた。
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、朕にはよくわかる。
しかしここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、もって万国の未来、子々孫々のために、泰平の世への一歩を踏み出したい。
昭和天皇は、恐らく、史上はじめて他国に占領され、その占領によって国と国民が被る苦難のことを憂い、このように語りかけらえたのだろうと思う。しかし日本の苦難は、米国の占領終了ともに独立し、国際社会に復帰して以来、現在に至るまで長きにわたって続いている。

昭和20年8月15日、皇居前
その苦難、災いのもととなっているのが、特定アジア国による歴史認識の押し付けだ。その代弁者としての朝日新聞は、昨年の8月15日、社説「戦後73年とアジア 未来へ向け記憶を紡ぐ」でこう書いている。
日本が戦争に敗れて、きょうで73年を迎えた。
この歳月を経てなお、日本はアジアでの和解を成し遂げていない。日中両政府の関係が上向くにつれ、表面上は見えにくくなっているが、民衆の間では複雑な感情が今も広く残る。
侵略や植民地支配の記憶という「負の遺産」の風化をこのまま待つという姿勢では、未来志向の関係は築けない。アジア太平洋で日本が果たすべき役割を考え、積極的に貢献することも和解の歩みに必要だろう。
政府が、そして社会と個人がそれぞれの立場から、平和への発信を強めていきたい。
朝日新聞が常套句として使用する「アジアとの和解」だ。しかし、この場合のアジアとは特定アジア三国を指し、当然ながらアジア全体を指すわけではない。アジア圏は日本には友好的な国がほとんどであり、朝日のような「和解が必要な国」というのは、支那と南北朝鮮のみなのだ。
そもそも「和解」を語る朝日新聞は、その和解がどうしたら成し遂げられるかを定義していない。恐らく、特亜3国が日本の過去を赦し、過去にとらわれない未来志向の関係を築くことを言うのだろう。しかし、これは不可能である。何故なら、彼らが日本との和解を必要としている実態はなく、逆に、日本との確執を国内の政治に利用しているからだ。彼らは反日を必要としているのだ。従って、特亜や朝日新聞が言う「和解」とは、プロパガンダに等しい。
朝日はそれを知っていて、それでも和解しろという。必要なのは、「相手が納得するまでの謝罪」だ。だが、謝罪外交の成れの果てを目の当たりにしている現在、そんなロジックは説得力を全く持たない。朝日新聞のような敗戦利権者には、未来志向などという概念すらない。常に過去に固執し、常に被害者であり続けようとする南朝鮮のような国と発想が同じなのだ。
戦後の苦難は様々ある。一文字も改正されていない占領憲法もそのひとつ。陛下はもとより、総理大臣の参拝すら批判の対象となる靖國神社もそのひとつだ。しかし、それらは苦難であると同時に、決して課題に挑まず、それらを先送りにしてきた日本国民全体の責任でもあるだろう。朝日新聞のような特亜の代弁者の力を削ぎ、国民の多数が戦後レジームから覚醒するときが来れば、そういう課題もようやくの俎上に載り、解決の方向に進むと思う。
安倍総理は、第一次政権時にスローガンとしていた「戦後レジームからの脱却」を言わなくなった。メディア対策があるのだろうが、総理がそれを言わずとも、政策面でひとつひとつ、その課題に挑んでいることは理解できる。大事なのは、そういう政治家を後押しすることだ。
日本の今日の繁栄は、御霊の尊い犠牲があったからこそ為し得たものだ。戦没者に哀悼の意を表しつつ、御霊に恥じない日本を作っていかなければならない。
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此の八月、メディアが流す放送は常に決まっていて戦争経験者という人物を登場させ、
「戦争はしてはいけない」、「日本は間違った戦争をした」、「戦時大変だった」等々の声は枚挙にいとまがありません。
確かに戦争体験者個人の体験はそうなのでしょうが、戦時とはそういう耐久の時代であるのは世界何処でも同様です。
日本だけが大変な思い、不自由な生活をしたわけではありません。
戦時とは戦争当事国の国民一人一人が我慢を強いられ、被害を受けるものです。
さも、自由が無い事、被害を受ける事を現在の視点からコメントを出すメディア、メディアでの発言者の時代錯誤は何時もの事です。
只、「戦争だけはしてはいけない」は事実です。
戦争回避の外交努力も必要です。
でありながら日本のメディアが流す放送は常に「日本は軍部の力が強くなり勝手に戦争に進んで行った」だから「日本が戦争に走らない様にしなければならない」- 即ち「日本は戦争をしてはいけない」と成ります。
戦争はその国がしたいと思ってするのではありません。
相手があってのものであり、特に日本は確かに明治維新、日清日ロ戦争、そして、5.15事件、226事件などの軍事クーデターもあり、大東亜戦争へと軍部の力(発言力)が強くなり、結果多数の将兵、国民を犠牲にしたのも事実です。
しかしメディア、学校教育などその様な事の中、日本自体を悪として描く事に終始し、戦争に至った「欧米列強による植民地支配 - 明治維新 -日本の安全保障目的の日清日ロ戦争 - 欧米列強による日本包囲 → 大東亜戦争」という流れは何十年経ってもスルー状態です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%88%A4%E4%BA%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%84%A1%E7%BD%AA%E8%AB%96
https://ironna.jp/article/1663
「戦争だけはしてはいけない」と言葉だけは正しい事を言っても、世界には特に日本周辺には戦争をしたい国だらけではありませんか。
また、「戦争をする」と恫喝し利益を得ようとする国ばかりではありませんか?
それを言わず、日本にだけ「戦争をしてはいけない」と言うのは「相手が戦争をしかけてきたら日本は相手の要求を飲み、最中的に支配されましょう」と言っているのと日本の場合同義です。
ここから「憲法九条 - 護憲」との共通性、その底にいつもの『自虐史観』があるわけです。
そんなに「戦争だけはしてはいけない」と言うなら、それは日本の隣国、中華人民共和国、北朝鮮、韓国、ロシアへ伝道が有効でしょう。
8月15日、広島、長崎への原爆投下、日本各地への無差別爆撃。
非難すべきは日本軍部というよりそれをした米国である筈ですが、GHQの占領政策の効果もあり、すっかり戦後本来の悪がすり替えられてしまいました。
「過ちは繰返しませぬから・・・・」の異常はな広島の「原爆死没者慰霊碑」が堂々としている現在日本。
https://blog.goo.ne.jp/truenet/e/7bf70185710a74cd6879cc3c6fe98824
https://www.sankei.com/west/news/170808/wst1708080012-n1.html
この時期よく言われる「若い世代に戦争経験を引き継ぐ」という言葉だけは良いものも、結局それもメディアが利用し「反日」、「侵略史観」の世代交代というものです。
毎年、毎年、朝日、毎日、公共放送NHKなどの反日偏向メディアによる偏向放送が流れる8月。
https://www.excite.co.jp/news/article/Mainichi_20190815k0000m010004000c/
https://www.sankei.com/life/news/190815/lif1908150008-n1.html
戦後74年経っても『自虐史観』が立派に日本には残っているという認識こそ若者は前世代から引き継ぐべきです。
毎年、毎年8月流される、傾いた日本国民をミスリードする各メディアのニュースにはうんざりです。
そして今、毎日の様にニュースが流れる「日韓関係」、それも全てこの歴史認識が土台に有ります。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57005
毎年、毎年の日本の8月。
此の八月、メディアが流す放送は常に決まっていて戦争経験者という人物を登場させ、
「戦争はしてはいけない」、「日本は間違った戦争をした」、「戦時大変だった」等々の声は枚挙にいとまがありません。
確かに戦争体験者個人の体験はそうなのでしょうが、戦時とはそういう耐久の時代であるのは世界何処でも同様です。
日本だけが大変な思い、不自由な生活をしたわけではありません。
戦時とは戦争当事国の国民一人一人が我慢を強いられ、被害を受けるものです。
さも、自由が無い事、被害を受ける事を現在の視点からコメントを出すメディア、メディアでの発言者の時代錯誤は何時もの事です。
只、「戦争だけはしてはいけない」は事実です。
戦争回避の外交努力も必要です。
でありながら日本のメディアが流す放送は常に「日本は軍部の力が強くなり勝手に戦争に進んで行った」だから「日本が戦争に走らない様にしなければならない」- 即ち「日本は戦争をしてはいけない」と成ります。
戦争はその国がしたいと思ってするのではありません。
相手があってのものであり、特に日本は確かに明治維新、日清日ロ戦争、そして、5.15事件、226事件などの軍事クーデターもあり、大東亜戦争へと軍部の力(発言力)が強くなり、結果多数の将兵、国民を犠牲にしたのも事実です。
しかしメディア、学校教育などその様な事の中、日本自体を悪として描く事に終始し、戦争に至った「欧米列強による植民地支配 - 明治維新 -日本の安全保障目的の日清日ロ戦争 - 欧米列強による日本包囲 → 大東亜戦争」という流れは何十年経ってもスルー状態です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%88%A4%E4%BA%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%84%A1%E7%BD%AA%E8%AB%96
https://ironna.jp/article/1663
「戦争だけはしてはいけない」と言葉だけは正しい事を言っても、世界には特に日本周辺には戦争をしたい国だらけではありませんか。
また、「戦争をする」と恫喝し利益を得ようとする国ばかりではありませんか?
それを言わず、日本にだけ「戦争をしてはいけない」と言うのは「相手が戦争をしかけてきたら日本は相手の要求を飲み、最中的に支配されましょう」と言っているのと日本の場合同義です。
ここから「憲法九条 - 護憲」との共通性、その底にいつもの『自虐史観』があるわけです。
そんなに「戦争だけはしてはいけない」と言うなら、それは日本の隣国、中華人民共和国、北朝鮮、韓国、ロシアへ伝道が有効でしょう。
8月15日、広島、長崎への原爆投下、日本各地への無差別爆撃。
非難すべきは日本軍部というよりそれをした米国である筈ですが、GHQの占領政策の効果もあり、すっかり戦後本来の悪がすり替えられてしまいました。
「過ちは繰返しませぬから・・・・」の異常はな広島の「原爆死没者慰霊碑」が堂々としている現在日本。
https://blog.goo.ne.jp/truenet/e/7bf70185710a74cd6879cc3c6fe98824
https://www.sankei.com/west/news/170808/wst1708080012-n1.html
この時期よく言われる「若い世代に戦争経験を引き継ぐ」という言葉だけは良いものも、結局それもメディアが利用し「反日」、「侵略史観」の世代交代というものです。
毎年、毎年、朝日、毎日、公共放送NHKなどの反日偏向メディアによる偏向放送が流れる8月。
https://www.excite.co.jp/news/article/Mainichi_20190815k0000m010004000c/
https://www.sankei.com/life/news/190815/lif1908150008-n1.html
戦後74年経っても『自虐史観』が立派に日本には残っているという認識こそ若者は前世代から引き継ぐべきです。
毎年、毎年8月流される、傾いた日本国民をミスリードする各メディアのニュースにはうんざりです。
そして今、毎日の様にニュースが流れる「日韓関係」、それも全てこの歴史認識が土台に有ります。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57005