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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  社会問題 >  有田芳生こそ「バーバリアン」と呼ぶに相応しい

有田芳生こそ「バーバリアン」と呼ぶに相応しい

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 下記は、有田芳生大センセーによる、8月3日のツイートである。


 言っている意味がさっぱり分からない。日本政府は南鮮に対して敵対的な対応をしているわけではなく、敵対的になっているのはどちらかというの南鮮側である。彼らに輸出したものが他国に流れる、軍事兵器等に流用される危険性があるから、日本の責任として管理を強化したものだ。ホワイト国除外は他の一般の国々と並列になるだけで、敵対政策でもなければ差別でもない。

 「河村市長を尖兵とする匿名の圧力集団の跋扈」は、恐らく、例の「表現の自由展・その後」に対して苦言を呈した河村市長と、運営側に苦情を寄せた一般国民のことを指すのだろうが、そういった意見を持つ人は跋扈(思うままにのさばる)しているだろうか。どうも有田センセーは、被害者意識が強すぎる様だ。そういう勢力に負けているなら、同規模の陣営をまとめて対抗すればいい。そう、ひるまずに。

 さてその有田センセー、この1日前の8月2日に、またもやトンデモツイートを放ったようだ。

有田のツイート


 このツイート、さすがに反発を喰らったのか、現在は削除されている。キーワードは「バーバリアン」だ。バーバリアンとは、「野蛮人、未開人、無教養で野蛮な人」を指す言葉で、有田センセーは河村市長や菅長官を、文字通り「野蛮人」と呼んだのである。センセーは後日、「「バーバリアン」を「野蛮人」としか理解できないとは情けない」とツイートしているが、その意味を明らかにしていない。明らかにできないのだろう。辞書にはそれ以外の意味は載っていないのだから。

 有田センセーが芸術に造詣があるとは知らなかった。他人を「芸術的価値を理解できないバーバリアン」と批判すると言うことは、自分にはその価値を理解できるだけの知識や能力があるということになるが、センセーの芸術論など寡聞にして聞いたことがない。まぁ、平壌にその実力を評価され、工作を授かるほど有能な人物だとすれば、そういう一面もあるのかもしれない。大した人物である、このセンセーは。

 しかし、ひとつだけ言わせてもらえれば、観る人、触れる人に不快感を与えるようなものを芸術とするなら、私はその芸術に一片の価値も見出すことはできない。それを表現者や芸術家の自由だと言われたところで、そんなものは発信する側の自己満足であって、その自己満足に公金を使うことを是とすることはできない。加えて言うなら、有田大センセーが沖縄へ行ってヘイト活動を行う費用が税金で賄われていることも迷惑だと感ずる。

 文句を言うなら、河村氏や菅長官にではなく、企画展の中止を決定した大村愛知県知事に言ってもらいたい。最終的に表現の自由を奪ったのは、大村なのだ。河村、菅両氏がバーバリアンであるなら、有田センセーはそのバーバリアンツイートを削除せず、堂々と表現の自由を主張したらよろしい。ひるまずに、だ。


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[ 2019/08/11 07:16 ] 社会問題 | TB(0) | CM(16)
>このツイート、さすがに反発を喰らったのか、現在は削除されている。

〇ごめんで済むなら、警察はいらない。ツイートの削除や謝罪で済む話と、そうではない責任の生じる問題とがあると思う。

〇あいちトリエンナーレの問題で、主催者側の当人やマスコミは、スルーや論点ずらしをしているようだが、「私的憂国の書」において、管理人さんやみなさんと諸問題をまじめに考え、議論してコメントしてきた中で、あいちトリエンナーレの問題では、大きな問題としては、3つほどにまとめることができるのではないかと思う。

1 脅迫の問題
あいちトリエンナーレの主催者側へ、FAXで脅迫があった問題だが、これは、公共の福祉、公序良俗を思えば、主催者側が公然と怒りを煽った反発でもあり、自らが招いたわざわい、自業自得にも思えるが、どのような理由であっても、脅迫は犯罪である。

ただ、主催者側の津田さんも、東さんとの対談で、「あいちトリエンナーレが決まった時に津田がやるんだったら絶対つまんなくなるだろうってツイートした人を全部もちろんリスト化していて、コロスってリストに入れている」と、ツイートした特定多数の人に対して、脅迫していたようだ。
https://hosyusokuhou.jp/archives/48857273.html

FAXの脅迫犯を逮捕した愛知県警が、ツイートで脅迫した津田さんの脅迫は黙認し逮捕しないのは、真面目な警察官の方には申し訳ないが、警察の公正な仕事とはいえないだろう。津田さんは、ツイッターを用いたと思われるが、このように犯罪目的で、ツイートの個人情報を扱うのは、Twitterの規約違反の疑いも強い。


2 憲法違反の問題
大村愛知県知事は、河村名古屋市長を、憲法21条違反と発言した。公権力たる市長は、憲法を遵守し、表現の自由を守らなくてはならない、という大村さんの主張だが、公権力は、憲法21条同様に、憲法12条の公共の福祉も遵守する必要がある。

公権力たる名古屋市長が、あいちトリエンナーレの中止を促したことを、朝日新聞は批判しているが、名古屋市長はあいちトリエンナーレの会長代行でもある。あいちトリエンナーレへの直接的な介入は、何の問題もないだろう。

むしろ、憲法違反かどうかについて、公権力たる愛知県知事が、是非を判断、公言するのは越権行為ではないかと。大村愛知県知事の憲法違反だとする発言は、愛知県警のトップの発言でもある。憲兵のようでもあり、今の日本国の公権力としては、越権行為ではないかと思う。公権力において、合憲か違憲かを判断するのは、行政ではなく司法、裁判所の仕事ではないだろうか。


3 公金の問題
あいちトリエンナーレは、文化庁から公金の支出が予定されている。公金は、日本国民の税金を源資としている。

あいちトリエンナーレでは、今回、昭和天皇を貶める作品の展示が行われた。天皇は日本国の象徴であり、天皇を貶めることは、日本国と日本人を貶めることも、意味しているだろう。

あいちトリエンナーレでは、アメリカ国旗の毀損や、慰安婦像の展示など、国際法上違法な展示作品や、日本国の考えと異なった展示作品もある。あいちトリエンナーレに、公金を支出することは、これら違法な展示作品、日本国政府としても容認することを意味しており、外交においても、アメリカや韓国に対して、誤ったメッセージを送る危険性があるだろう。日本国として、厳正かつ適切に、対処すべき問題ではないかと思う。


〇以上、3つの大きな問題に論点をまとめてはみたが、いずれにしても、

あいちトリエンナーレの賛成 = 天皇を貶めることを容認

…このように、あいちトリエンナーレの問題の背景を、さらに単純化することもできるであろう。宮内庁は、あいちトリエンナーレに対して、厳しく抗議すべきではないだろうか。

日本国政府としては、あいちトリエンナーレのスポンサーである文化庁として、あいちトリエンナーレ中止の責任を、会長の大村愛知県知事などの主催者側に対して、求めるべきではないだろうか。
[ 2019/08/11 10:09 ] [ 編集 ]
パ賊の一人に過ぎなかった大村知事
パ賊大好きカタカナ語マンセ~論者共が喚いている表現の自由が侵害されたフンダララ問題は、大村知事の責任問題に帰結します。ヨシフ・スタ~リン?そんな奴は関係有りません。

そして大村知事の姦違いは、税金を支出する芸術祭に於いて、当初から有った県庁担当部局の懸念を無視して独断で鮮人・津田の展示を決定したことにあるのです。知事らが確信犯であったことはもう巷間知れ渡っています。

また表現の自由とは公共の福祉とセットの概念であって、日本国民の多くの批判の存在こそが公共の福祉に反していることは明白であり、大村知事の展示中止会見での説明は責任を批判した多くの日本国民に負わせんとする、最低最悪なもので言語道断です。しかもガソリンまくぞと脅した犯人は知事らと同じ反日陣営の人間でお仲間だった、というオチも付きました。

よって横文字の訳の分からんゲ~ジツ債の話はここまで。

以下は、不敬罪の制定についてです。現在、天皇や皇族に対して、鮮人・津田の様な不埒者が現れても罰することすら出来ないのは異常です。何故なら天皇・皇族には一般人には有る反論権が無いのですから、刑事罰で天皇・皇族の人権を擁護せんと図るのは国家の務めです。

国会議員の諸氏よ、少しは勘考しなさい。天皇・皇族に対する人権ジュウリンややり得になっている少年法や日本国民だけを標的にしたヘイト法やらの戦後ニフォンの非人道性を。民腫系・狂匪・捨民ら毀日パ賊政盗のゴミ共には言ってません、お前らは消えろ、とだけ言っておきましょう。
[ 2019/08/11 11:02 ] [ 編集 ]
今回のブログについて
自分は今回のブログ内容に違和感を感じました。
まず
>観る人、触れる人に不快感を与えるようなものを芸術とするなら、私はその芸術に一片の価値も見出すことはできない。それを表現者や芸術家の自由だと言われたところで、そんなものは発信する側の自己満足
について
例え不快感を与えるものは芸術ではないというのはやはり狭量な考えであって不快感や憎悪を与えるものもまた「芸術」であって賞賛や讃美を与えるものだけが芸術というのは違うと思います。
また
>自己満足に公金を使うことを是とすることはできない。
という部分は
つまりブログ主曰く「不快感を与えるもの」特に今回の様な内容が「日本国を乏めるプロパガンダ」な内容には公金を使うなという事ですがそれなら逆にどういう内容なら公金を使っても構わないのでしょうか?
ここに限らず多くの保守系ブログで主張されているのが「このような催しを公金を使ってやるのが許せない」というのですが
それなら公金を使う催しをやるなら公金の出資者(今回の場合は国)の意に沿うような内容でしか出来ないならそれもまたプロパガンダではないでしょうか?
もっと言うならそもそも税金この国に籍を置いてる以上一律に納める義務がある以上その使い方(この様な催し物に於いては)に線引きをするのもどこか矛盾した想いがあります。

確かに今回の展示内容は個人的にも不快や呆れはありますがだからといって脅迫で中止においやるやり方やそれに従ってしまった事はやはり残念な思いもあります。
例え多くの人に不快感や憤りを与えるものであってもそれを表現として認める寛容さが失われたのは残念です。
[ 2019/08/11 12:09 ] [ 編集 ]
Re: 今回のブログについて
昭和平成令和どの

人様のブログに書き込むからには、本文をちゃんと読むのが礼儀というもの。

>不快感を与えるものは芸術ではない

などとブログ主は言っておられない。貴殿も引用する通り「観る人、触れる人に不快感を与えるようなものを芸術とするなら、私はその芸術に一片の価値も見出すことはできない」ということである。ブログ主は価値の問題を言っておられるのだが、そこも理解できないのか。

>「日本国を乏めるプロパガンダ」な内容には公金を使うなという事ですがそれなら逆にどういう内容なら公金を使っても構わないのでしょうか

という疑問も読解力の欠如から来ている。「反日プロパガンダ」は前回のブログ記事にある言葉だが、そこでも「公共の福祉」という根拠が示されている。公共の福祉を念頭においた催しとただのプロパガンダを(根拠も示さずに)同列に扱うのは、戯言としか思えない。

>脅迫で中止においやるやり方

脅迫した奴はどのような思想を背景にしているのか分からないが、ブログ主は朝日の論調に「過激な抗議はごくごく一部であり、脅迫などを含む抗議を前面に押し出し、それによって企画展が中止に追い込まれたというストーリーを喧伝するのは、明らかなミスリードだ」と抗議しておられる。
しかも、その「脅迫」を警察に届け出ないまま3日に「表現の不自由展その後」の中止を発表し、6日になってようやく被害届を出して翌日犯人逮捕という流れは、大村知事が「脅迫」を口実に中止したように見える。犯人が逮捕されても展示を再開しないのもその推測を裏付ける。

結局、昭平令氏はなんの考えもないまま、何でも展示する寛容さをもてと言うのか。
[ 2019/08/11 14:24 ] [ 編集 ]
彼らも「不自由」(な頭)
ヨシフ・スターリンを尊敬した親御さんがその名を与えたという有田芳生がスターリンの「公認芸術」をココに譬えますかw。
それにしてもこの人、一応ジャーナリストとか名乗るにしては、そのツイート、もうちょっとどうにかならない?と云いたくなりますねえ。

今回のトリエンナーレの公費の内訳は、愛知県が6億円、名古屋市が2億円、他に文化庁が補助予算として7,800万円の金額を予定しているが、改めて愛知県の交付申請を精査する意向だそうです。原資は税金です。どうぞ厳しく査定して戴きたい。

来場者の嫌悪感を掻き立てた作品群は、過去に各会場で皆展示を却下されたので今回の「表現の不自由展、その後」と題したのでしょうが、ならば、この展示を批判し中止を求める人々の「表現」をも素直に、十分に尊重されて然るべきではないのか?と思います。
この展覧会中止に批判を寄せる者達は、何故反対意見者の「表現」に背を向けるのでしょうね?それも他者に「不自由」を強いているのでしょうに。

公金は国民県民市民の税金ですから、その提出者の意向は当然重視されるべきで、提出者である観覧者は、作品に悪意を感じ不快な思いをする物に、自分達が支払った税金を使って欲しいとは到底思えないでしょう。
実際にその物を視なくても映像を見れば、国民の一人として、「金返せ」と言いたくなる汚物の数々。こんなものに税金が遣われてなるものか!です。

昭和様の肖像を使った悪意の「作品」の前半は、昭和61年に富山県立近代美術館に一旦展示され、県議会や地元紙に批判されて非公開になったのだそうです。その後、同館は作品を売却し(ということは買い上げたのですね、それも驚き)図録を焼却。
今回の作品の焼却映像は、それを模した物だとか。更にはその灰を踏みつける行為が「芸術」?だったら焚火の後を踏みつける方が健全な芸術ですね。
この「作品」の始めが昭和様御生前の時点で為された事に、底知れぬ悪意と無礼しか感じられません。

仮にそこに怒りがあるとしても、その怒りを美に展化し観る者の心に訴え得る表現が芸術ではないのか?
主義者の剥きつけの悪意など、全く公金と公館を使用するには値しない。
[ 2019/08/11 14:42 ] [ 編集 ]
書き足りないw
昭和様への悪意と無礼の極みの「作品」や、チョウニチと南鮮お婆の嘘を報道から32年経ってチョウニチが認め社長の首を差し出した慰安婦の像は勿論ですが、私的に「気持ち悪い」と感じたのは、安倍総理と麻生副総理のお口にピンヒールを差し込んだ、作りが非常に拙劣な「作品」でした。
作者の残虐性と下品さだけを発散させている物に、誰が「芸術」感覚を持てましょう。
[ 2019/08/11 15:02 ] [ 編集 ]
午前中に書いたものだけど何故そんな批判されるとは思ってなかったので面食らってます。

>不快感を与えるものは芸術ではない
でもブログ主が言ってる「その芸術に一片の価値も見出すことはできない」とは同義語ではないでしょうか?少なくとも自分には「価値が見出だせない=芸術ではない」と思いました。

それと公共の福祉に関してですが確かに今回の展示が不快感や憎悪を煽るものだった事は確かだけどそれがイコール公共の福祉に当たるかと言えば難しいのではないでしょうか?
勿論不快や憎悪を感じるのは確かだけどそれらはあくまで「感情」であって悪感情を煽るものだから公共の福祉に反するというのは稚拙ではないでしょうか?少なくとももう少し法的根拠、或いは裁判で闘って今後の表現の自由と公共の福祉を巡る事例の1つとしてされて欲しかったです。

それと公金の使い方の関しては少なくとも「芸術」という分野に於いては提供者の意向や好奇を組んだ物だけを催せればいいとは思いません。
確かに不快や憤りを感じる物を催すのはいい気分では無いですが敢えてそうでないものを催す事で決して知りうる事が出来なかった負の側面を知る機会を得れる事になる。
勿論それに対し批判する事も賛同することも自由だけど少なくとも公金を用いた催しに対する好悪の取捨選択する機会を失うのは日本の将来にとってプラスになるとは思えないです。
[ 2019/08/11 16:33 ] [ 編集 ]
国民の不断の努力
>不快や憎悪を感じるのは確かだけどそれらはあくまで「感情」であって悪感情を煽るものだから公共の福祉に反するというのは稚拙ではないでしょうか?少なくとももう少し法的根拠、或いは裁判で闘って今後の表現の自由と公共の福祉を巡る事例の1つとしてされて欲しかった

そのとおり。今回のことを通して、公共の福祉とに適わない表現とは何かの議論をするべき。
少なくとも、現時点ではきちんとした見解は出にくい。しかし、それは現時点の我々国民の見識が未熟なだけのであって、こういった「悪感情を持った人が、相手に悪感情を煽る目的で創作/制作したもの」をどのように解釈すべきか、それを法的にはどのように定義して適用するのか、社会規範的にどのように扱うべきなのか、きちんと明確にしていくべき。

それこそが、「国民の不断の努力」。
セクハラやパワハラもそのような国民の不断の努力で排除すべき風潮が定着しつつある。
新しく起こる事態に対して、どう対処すべきか議論を経なければ、答えは出ない。当たり前。常に答えが用意されている訳がない。

ただ、この議論が決着するまで展示をやめることができないかというと、そうではない。
この、明らかに悪意のある展示物によって不快な感情、間違った解釈が蔓延することは容易に考えられるので、仮差し止めが行われてしかるべき。
これが、裁判所の命令で行なうのか、主催者の判断で行なうのかは、どうでもよい。仮で差し止めることが大事。

その意味で、この展示が中止になったことに問題はない。

しかし、大村は、その理由としてテロが怖いからとした。これが最悪。

このような展示を議論できる法的根拠がないことに問題があるので、一旦差し止めて、議論をつめるとして、そのような委員会を結成するなりすればよかった。

それが政治家、首長のやること。

大村は、そんなこともわからなかった。政治家としての資質があまりになさすぎる。

定見が割れることに対して、半分を切り捨てるのが、首長の役割ではない。
議論を興させ、これをまとめて道をつけるのが、首長。

こんな基本がわかっていないことを大村は自ら証明した。

この意味で、大村は知事を辞職すべき。
[ 2019/08/11 18:18 ] [ 編集 ]
元号並びさん
肖像画を燃やしたり、遺書を蹂躙して何が芸術かという話ですよ。
いろいろ後付けで理屈をつけても、およそ芸術と言えるものではありません。
簡単な話です。
[ 2019/08/11 18:48 ] [ 編集 ]
今晩は。

公金を投じた芸術で許されるのは、日本の”義務教育の教科書”に掲載しても大丈夫かどうかだと思います、
じゃあ、駐韓日本大使館前で使用されている反日プロパガンダの作品が、日本の義務教育の教科書題材に相応しいのかというと、決して、小学生・中学生・また高校生の時期の教育において相応しいとは言えません。
駐韓日本大使館前での反日プロパガンダ作品を日本で展示したいのなら、公金を当てにせず、自分の金でやって下さい。
義務教育の教科書に載せられないような美術作品を、公金が充てられる展示会に出品できると思ったら大間違いです。
[ 2019/08/11 19:19 ] [ 編集 ]
昭和平成令和さん
>それと公共の福祉に関してですが確かに今回の展示が不快感や憎悪を煽るものだった事は確かだけどそれがイコール公共の福祉に当たるかと言えば難しいのではないでしょうか?

○憲法二一条の表現の自由とは、尊重されるべき権利だが、公共の福祉のために、時、所、方法等につき、合理的制限もされる。

《それ故、新憲法の下における言論の自由といえども、国民の無制約な恣意のまゝに許されるものではなく、常に公共の福祉によつて調整されなければならぬのである。》
(昭和23(れ)1308 食糧緊急措置令違反 昭和24年5月18日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 札幌高等裁判所)
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/279/055279_hanrei.pdf

《しかし憲法二一条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきであるから、》
(昭和24(れ)2591 教育委員会委員選挙罰則違反 昭和25年9月27日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 東京高等裁判所)
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/320/054320_hanrei.pdf


○公共の福祉については、興味深い判決がある。

《憲法第十三条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定されている。この規定は、個人の尊厳と人格の尊重を宣言したものであることは勿論であるが、個人の生命、自由、権利も、社会生活の正しい秩序、共同の幸福が保持されない限り、所詮それは砂上の楼閣に終るしかないのである。されば同条には「公共の福祉に反しない限り」との大きな枠をつけており、また他方において憲法第三十一条においては、社会秩序保持のため必要とされる国家の正当なる刑罰権の行使を是認しているのである。されば、被告人が現時国民に非常なる害悪を与え国民憎悪の的である掏摸を行つたことに対し、原審が諸般の事情を考慮して、実刑を科する判決を言渡したことは、事実審である原審の自由裁量権に属することであつて、これをもつて憲法違反乃至違法であると言うことはできない。》
(昭和22(れ)201 窃盗 昭和23年3月24日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 大阪高等裁判所)
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/612/074612_hanrei.pdf

○掏摸は、スリと読み、いわゆる窃盗のこと。婦人の鏡を盗み、すぐに返したのだが、諸般の事情により実刑が科せられた事件だ。《現時国民に非常なる害悪を与え国民憎悪の的である掏摸を行つたことに対し》とあることに、着目したい。天皇は、憲法において、

《第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。》
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

とある。つまり、天皇は、日本国と日本国民統合の象徴であるから、天皇の写真を燃やすといった表現が、現時国民に非常なる害悪を与え国民憎悪の的である表現、といえるのではないかと思う。

○星条旗の扱いについては、国際法違反であることはあきらかだ。特攻隊員の思いを踏みにじった内容も、日本人としては、看過しがたいものがあり、日本人の憎悪を煽る表現、国民憎悪の的である表現といえるだろう。

○あいちトリエンナーレの問題は、感情論だけではなく、法的にも問題がある展示が行われた。主催者側の大村会長の責任が、問われることになるのではないだろうか。
[ 2019/08/11 21:52 ] [ 編集 ]
>もう少し法的根拠、或いは裁判で闘って今後の表現の自由と公共の福祉を巡る事例としてされて欲しかったです。<
法廷弁護人でもない者のブログへの投稿が法的根拠や法廷闘争に耐え得る事例を要求とされるとは、正直、驚きますわ。
その様に仰る方には普段会話する人もかなりの用心を要するんでしょうね。

ちなみに、公共の福祉とは、公的面に於ける人々の幸福、あるいは幸福な環境を言います。
「福」は勿論人々の幸福、「祉」も又、幸福・幸い・恵み、を意味します。決して悪意や不快を意味しません。
吉凶と言う言葉を引けば、福祉は「吉」。他者から示される悪意や不快は「凶」と言えるのではないか、と思います。
公共の場で敢えて「凶」を我慢させられる(それも「げいじゅつ」の名の下に)日本であって良いとは私は思いません。
救いのない暗闇であれ悲惨な表現であれ、芸術には芸術の実があるものと存じます。

この様な不快な意見が一日の内に多く寄せられる「作品」の展示をしたければ、公費を使っての公館ではなく、私費で私的空間で為さればよいだけだと前にも書きました。
過去にそれらが展示を外されたのも、全て公共の場に出そうとしたからであって、私的展示場で却下されたものではない様ですね。場を選べばご自由でしょうに。
この日本の何処でも展示してはならない、等とはこちらのブログでは何方も仰ってないと存じます。
[ 2019/08/11 22:57 ] [ 編集 ]
芸術がわからない皆様へ
今回展示された作品の作者の意図として、「悪感情を持った人が、相手に悪感情を煽る目的で創作/制作したもの」は有りません。あなた方が勝手に「そう思った」だけ。
それを踏まえてご意見してね。
[ 2019/08/12 05:30 ] [ 編集 ]
とらこさん
>過去にそれらが展示を外されたのも、全て公共の場に出そうとしたからであって、私的展示場で却下されたものではない様ですね。場を選べばご自由でしょうに。

〇まったく、そのとおりでしょうに。

〇他の方のコメントで散見してますが、芸術万能主義というか…管理人さんの芸術への価値観はおかしいとか、見る側の人たちに芸術の理解がないとか…あいちトリエンナーレの問題、その本質からは論点がズレているのではないかと。

〇個々の作品側の人たちの表現の自由は、もちろんたいせつです。しかしながら、それ以上にたいせつなのは、おおやけの見る側の人たちの思い、公開された作品をどう感じるのか、どう感じたのか…ということです。公共の福祉による自由権の制限は、最高裁判決で認められた制限です。

〇公共の場である以上、公共の場にふさわくない作品、違法性のある作品は、芸術作品としてどんなに立派であろうが、製作者がどれだけ著名人であろうが、ふつうに時、場、方法など、合理的制限されてしかるべきではないかと。「など」、ですから、ふつうに公費の使われ方なども、合理的制限に含まれると思います。
[ 2019/08/12 10:07 ] [ 編集 ]
松蔵さま
芸術に限ったことではありませんが、作品は世に問うた瞬間に、作者個人のものではなくなります。

作者の意図にかかわらず、何を受け取りどう感じるか。
ルネッサンスの昔から、作品には肯定も否定もありますよね。
観衆、観客がいなくては成立しないのが芸術ですから、理解不理解をこえて話題に上がること自体、芸術への理解と承知しています。
正直言って、近代アートは人形浄瑠璃や万年青などと同様、同じ嗜好を持つもの同士の狭くて同調性の強い世界です。
もともと、普段人々に意識され難い分野であります。

造形物に強い思想をを込めて量産し、政治に利用するのは、南北朝鮮に多くみられる独特な文化です。
理由は歴史問題もありますが、率直に言って、作家の生活上の都合もあります。
朝鮮民族には、大小様々な彫塑像制作の伝統と継承がありますから、世界のあちこちに設置したくなるのです。
作家たちは、利用する市民団体の意図とは別に、カスタマーの需要に応えて生活の糧にしているだけです。

今回の騒ぎは、市井の平凡で善良な人々が、普段無縁なアートに、ちょっと触れてみようと出かける楽しみを台無しにしたと考えています。
一番の被害者は、物言わぬ多数の人々と協賛に名を連ねた企業です。

一方、津田さんをはじめ、問題の作品群の作家さんたちは、記者会見も開けて存在感を示すことができました。
炎上狙いと言われても仕方がないですね。
左派のみならず、検閲という言葉に敏感な方々の支持をある程度得たことで、被害者を気取ることが出来ました。
彼等の成功と言っても良い、と思います。
多くの善意を無にして恥じない、左派の冷酷さが改めて実感されます。



[ 2019/08/12 11:00 ] [ 編集 ]
>「悪感情を持った人が、相手に悪感情を煽る目的で創作/制作したもの」は有りません。


根拠もなく、ここまで自信を持って言えるものだと呆れた。
根拠のない自信の典型であった。
[ 2019/08/12 12:37 ] [ 編集 ]
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