私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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ひとりの命に勝る価値観があるとすれば…

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 もう5年も前のことになるが、鳩山由紀夫が平成22年の通常国会で施政方針演説に立ち、「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです」と、声をひっくり返して絶叫した時、私は「命の価値とはこんなに薄っぺらいものになったか」と愕然とした。鳩山は異次元の人間だから、彼の口から何が発せられても驚かないのだが、さすがにこの演説には辟易とした。

 官邸前では、「平和!平和!」と連呼する暇人たちがたむろしているようだ。彼らが平和の対極として存在する戦争を忌避し、命を大切にしろと主張するのは勝手である。だが、こういう人たちは、自衛隊の武器使用を極端に制限することにもご執心で、そのために自衛隊員の命が危険に晒されることには全く関心を持たない。彼等にとって、戦争で失われるであろう命と、国と国民を守ろうとして危険に晒される命の重さは違うらしい。主張も勝手なら、価値判断も随分と勝手なものだ。

 命を守れという主張は正しい。だが、ISILに拉致された日本人の一人が殺害され、もう一人が命の危険に晒されていることにいま抱く怒りや危機感を、拉致被害者とその人たちを拉致した北朝鮮に対して抱いたことがある人は、一体どのくらいいるのだろうか。同胞ということには変わらないのに、拉致被害者の命には無頓着であり続け、自主的に危険区域に渡航した人の命に対して熱くなるダブルスタンダードを、一体どのくらいの人たちが感じているのか。

 かつて社会党は、拉致などないと言っていた。イデオロギーまみれのこの政党は、北朝鮮を礼賛し、日本を貶めることを生業としてきた。その本質は、社民党になったいまも変わらない。彼等にとって、拉致被害者の命などどうでもよかったのである。その政党が、囚われの後藤氏の命を案じ、後藤氏の母親の石堂順子氏に散々世話を焼く。福島瑞穂の天秤にかかえれば、命の重みに差異がでるということだ。

 ISILに代表されるイスラム過激派こそ、その命の価値を蔑ろにしてきた者たちである。彼等はムスリムにイスラム原理主義を強い、異教徒の命など虫けらのそれ同然に扱う。日本国内には、中東への2億ドル支援を表明した安倍総理の演説がテロを誘発したと、政権批判する人たちがいる。中には、首相退任を以って捕虜の命を救えというバカな元官僚やエセジャーナリストもいる。彼等にとって、人の命など政争の具に過ぎないのである。

 ネットでは後藤氏に元朝鮮人疑惑が浮上し、中には「元朝鮮人の命を何故日本が救わなければならないのか」という過激な意見も出ているようだ。私はこの意見はナンセンスだと思う。後藤氏が日本国のパスポートを所持している以上、日本国は等しく保護する責任があるのだ。これを否定すれば、日本国は日本国たり得ない。

 人命は尊い。だが、批判を承知で書くが、敢えてひとりの命の価値に優先するものがあるとすれば、この国を引き継ぐ次世代の命に価値を見出すことである。戦争で命を賭した先人たちは、将来日本を担う世代のために戦い、命を落とした。それと同じく、その次世代の命がテロの脅威にさらされる危険があるとすれば、ひとりの命に代え難い価値があるのだと考える。

(今日は随筆です)


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[ 2015/01/29 07:24 ] ぼやき | TB(0) | CM(11)
判断は法秩序の維持vs覚悟を決めた個人の命
ISILが秤にかけよといっているのは、題記のこと。
個人の命を見送れというのは大変に苦しい。
しかし、覚悟を決めて入った後藤が、法秩序を犠牲に己の命が救われることを、喜ぶだろうか。

後藤は、人道すなわち世の正義に命をかけた。
彼の意思を踏みにじるなかれ。
私は死刑囚を野に放つより後藤の救出を断念すべきと思います。
今こそ、ヨルダン政府と世界に日本国として救出を断念し、法秩序を優先すると伝えるべき。

後藤は法秩序と人道のためにそれを理解し受け入れると信じると声明し、日本人の魂を伝えるべき。

これを非難する者あらば、法秩序を尊ばぬ者であり、心ある日本人にその魂を解さぬ者なしと訴えるベし

私はこれまでの政府の対応を評価するし、やれることはやったと評する。
[ 2015/01/29 08:17 ] [ 編集 ]
お互い様で不感症
聖書を読んだ事が無いも同然の私ですが
一粒の麦もし死なずば という言葉が浮かびます。

安倍総理をはじめ、政府はこの恐喝「イスラム国」拘束者の為に、実によく対処されて居られると感心いたしますし、関わって居られる政府の皆様の疲労し切ったご様子には大事ない事を願って居りますが、一方で拉致被害者奪還にも、そのままこの姿勢を見せて戴きたい、とも切実に願って居ります。

正直を申せば、おなじ命でも私は拉致被害者さん達を想いますが、申し訳ないが自己過信でか勘違いでか己の意志を持って渡航した後藤氏には然程想えないし、もしもこれが福島みずほ拘束、となったらもっと不感症になっているだろう事はほぼ断言出来ます。
なので、立場を替えれば、私も「お互い様」なのです。
官邸前で踊る宗教ごっこやプラカード披露している人々が何故拉致問題には口を閉ざすのか、今回ものすごく心で理解出来ました。

彼等の背骨は日本には無く、私は彼等の世界を解りたくも無い。仮に解ろうとしても出来そうも無い。と言うことがこの事件で解った、という感じです。

今は官邸や議事堂前まで集を募って行動出来るんですね。60年末にはとても近寄らせて貰えない場所でしたけど。
[ 2015/01/29 09:40 ] [ 編集 ]
No title
60年末じゃなくて、60年代末 でござります。
遙か昔の事でした。
[ 2015/01/29 09:44 ] [ 編集 ]
現実に即した対応
一人の命を救うことで
別の多数の命を犠牲にすることもある
という冷厳な現実を直視する必要がある。

テロリストの言いなりになるのは
新たなテロを誘発する可能性が高い。

>日本人の魂を伝えるべき。

日本人かどうか怪しいので、それは無理筋かと…。
[ 2015/01/29 09:45 ] [ 編集 ]
鴻毛よりも軽し
>命を守れという主張は正しい

か、どうかは判りませんですね。ケースバイケースだと思います。これは私ではない、二千年も前に司馬遷が結論づけていることでして。

死は或いは泰山よりも重く或いは鴻毛よりも軽し
司馬遷「報任少卿書」より

命を重んじて惜しむべき場合も、潔ぎよく捨てる場合もある。その判断は義にかなうべきか否かによるべきである、ということですね。

その判断ができない人間は禽獣以下です。もとより一国の、ましてや多国間の政治外交に口を挟む資格などあろうはずがありません。
[ 2015/01/29 15:32 ] [ 編集 ]
No title
ごく一部の愛国者を除き、日本人は愚かな豚に成り下がったことが今回のテロで良く分かります。
イスラム教の連中に媚びへつらっている有象無象の愚民を見ると、一度この国をリセットして皆殺しにしないとまともに再生しないのかも、とさえ思えてきます。

愛国者の命は何物にも代えがたい貴重な宝です。しかし、醜悪な豚の命など守るに値しません。我々以外の間抜けな豚はみんなイスラム教徒に屠殺されてしまえばいいんです。豚は不浄な生き物らしいですから丁度いい処置だと思いますよ?
[ 2015/01/29 20:21 ] [ 編集 ]
名無しさんへ
名無しさん

今まで我慢していましたが、今日は言いましょう。
あなたのコメントは不快極まりない。
管理人として申しますが、もう拙ブログへコメントいただかなくて結構です。
お引き取りください。
[ 2015/01/29 20:49 ] [ 編集 ]
名無しさんへ2
この名無しさんがあの名無しさんかどうかは知りませんが、不特定多数の自分を名乗らない卑怯な名称を使い、つまらないゲスなことを書き連ねることは不快なだけでなく保守としては非常に迷惑です。

どんな意見があるにしても少なくともまともに名前をかけるようになりましょう。
[ 2015/01/29 21:07 ] [ 編集 ]
命の価値と政治
ISILと気が合うのか、極左過激派の「お友達」が多く官邸の前に集まり、「2億ドル支援やめろ」、「市民(※注:サヨク用語)の命を危険に晒すな」等の他に、「ABESINE]、[I am not Abe]等と叫んでいるようです。

国際外交の難しさを知らない「市民」とやらにひたすら罵声を浴びせられるのは、一国の首相もたまったものではないだろうが、今回のテロ事件を利用して自分たちのイデオロギーをごり押そうとする非常に卑しい人々が多くあぶりだせたのはある意味幸運だったと思います。

彼らは「ABESINE」だの色々騒いではいるが、朝日新聞阪神支局の記者銃撃事件である「赤報隊事件」等の所謂右翼過激派の起こした事件においては「テロに屈するな」と主張するはずだが、今回は「テロに屈せよ」という二枚舌は異常極まりない。

このような自分たちのイデオロギーに合致する人物の命は守らせるが、逆は守ろうとしないような集団に「平和」「人権」「命」など語る資格はないし、語られたくもないが、政府はたとえ一人の命であろうとも守らなければなりません。

これは、以前ハーバード白熱教室にてハーバード大学のマイケル・サンデル教授がお話しされていたことですが、

「あなたは汽車に乗って線路を走っている。ある時線路が2方向に分かれる所があり、一方には人が1人、もう一方には人が3人が線路上に横たわって動けずにいた。あなたは汽車を止めることができず、どちらかの線路を選んで進まなければならない。この時あなたならどう判断するか。」

という質問をされていました。

この場合、権力者がとるべき判断は「選ばない」だそうです。

つまり、成行きに任せるしかありません。

「一人の命を犠牲にして三人の命を助けるべきだ。」という主張をされる方もいるかと思いますが、これは企業の経営者の判断としては成長戦略という点では正しいかもしれませんが、政治の判断としてはまずい選択です。

「一人の日本人と三人の外国人」ならば、人によって判断が分かれるかもしれませんが、安易に一人の日本人を選ぶことは「差別」を生み出しかねないです。(ここでは自国の政府は自国民の保護だけを考えればよいという議論は置きます)

しかし、「一人の凶悪犯罪者と三人の善良な市民」ならば少し違うかもしれません。ここが難しいところです。

いずれにしても「命に価値をつけるべきかどうか」という議論は法哲学、政治哲学においては難しいところでしょう。

日本がグローバル化によって経済・外交的に海外進出をする過程においてこうした問題が生じるのも時間の問題だとは思っていました。

2億ドルの人道支援については「テロとの戦いを標榜する西側に対して支援を行うのは慎重でなければならない」等の慎重意見もありますが、2億ドルの人道支援を【テロリストの要求によって】取り下げるというのは言語道断です。今は要求が変わりましたが、人質拘束・殺害の原因を首相の所為にして「ABESINE」などと非難する集団はテロリストを含めて正真正銘の屑だと考えております。

グローバル社会において、海外で仕事・生活をする日本人がテロの標的になる可能性は十分に考えられます。テロリストにとってみれば最も交渉しやすい相手でしょうから。

世界的にみても日本は犯罪発生率が非常に低い国です。海外は日本ほど安全ではありません。それは肝に銘じておくべきでしょう。

グローバル化を生きる時代にこうした(法的な意味での)テロとの戦いは日本も避けられません。その為にも日本版NSCの他に海外情報収集機関(日本版CIA?)、自衛隊の国防軍化と憲法前文および九条の改正が早急に整備する必要があると思います。
[ 2015/01/29 23:37 ] [ 編集 ]
No title
>あなたのコメントは不快極まりない。


私は不快には感じていないので気にしません。私は「私自身の言論の自由はすべてに勝る」という信条に基づいて発言しています。
[ 2015/01/30 18:59 ] [ 編集 ]
名無しさんへ3
日本語が余りお得意でないのか、行間のことばが伝わらなかったようですね。
「お引き取りください」の前に、「強制的に排除される前に」という意味が込められているのが理解できませんか?
あなたが気にしなくても、管理人の私が不愉快だと申し上げている。
言論の自由は無制限ではありません。
特に他人の庭で発言する場合はね。
ここまで言って理解されないなら、貴方のコメントは今後すべて削除します。
[ 2015/01/30 23:08 ] [ 編集 ]
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