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民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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青山論文の衝撃 ~ 『石原・橋下共和制主義者』説

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昨日発売の新潮45に、青山繁晴氏の衝撃的な論考が掲載されている。
タイトルは、『深部に潜む次の危機 橋下、石原を繋いだ「脱天皇」』だ。

この論考が伝えようとしているのは、日本維新の会の共同代表に就任しようとしている石原慎太郎、橋下徹両氏が、日本の伝統を守るどころか破壊しようとする共和制主義者ではないかという点だ。
実は私は、青山氏がこの説を語るのを、以前聞いていた。
11月末に、東京で青山氏の講演があり、氏はそこでこの説を披露していたのである。
但し、青山氏の講演は内容はオフレコという約束であり、録画、録音もNGであるため、ブログには書かないでいた。実際のところ、書こうにも、この説を自分の中で消化しきれないでいた。
そこで、拙ブログの、聡明で尊敬できる読者の方とメールでやり取りし、情報交換をし、裏取りを始めた。断片的ではあるものの、徐々に情報が取れてきた。
但し、この衝撃的なイシューは、いちブロガーごときが簡単に述べる性質のものではないので、やはり書くのを躊躇した。
そんななかで、青山氏のこの短い論文が発表された。

石原慎太郎、橋下徹は、共和制主義者なのか?

現職国会議員の引き抜き以来、失速感が否めなかった橋下維新だが、それでもこの衆院選にあたり、橋下氏は大阪を中心に、期待を集める存在であったことは間違いない。
石原「太陽の党」との合併は、周囲の反対を押し切ったものだった。
なぜ橋下は、そこまでして石原氏と組んだのか。
青山氏はこう述べている。

この(※注:原発政策など)迷走の打撃は、総選挙に置いて致命傷のひとつとなった。しかし橋下には、石原しかなかった。石原慎太郎との結びつきほど深いものはあり得ないことを、橋下は知り抜いていたからである。
 ではその深部の結びつきをもたらしたものは何か。
 共和制主義である。
 すなわち天皇陛下のご存在なき日本国への夢である。
(抜粋)


青山氏は、石原氏に関しては、過去の石原発言に根拠を見出している。
過去の発言とは、下記のようなものだ。

「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀もすれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度、笑止千万で李の通らぬたわごとだということになる、というより問題にもされなくなる、と僕は信じる」
(文芸春秋1959年8月号)

「ぼくは天皇を最後に守るべきものと思っていないんでね」(三島との対談)


そして青山氏は、三島の「非常に無垢ではあるけれども、天皇制反対論者」(新潮社発刊の決定版三島由紀夫全集第40巻・対談2)という石原評を添えている。

石原氏は、東日本大震災の折に被災地に行幸・慰問された今上陛下に対して深い尊敬は持っているが、石原氏にとってその尊敬は、制度としての天皇陛下のご存在とはまったく別問題だ、と青山氏は指摘する。

橋下氏は周知の通り、思ったことをストレートに出す類の人物である。脳裏にある思想も出やすいように思う。
橋下氏に関しては、青山氏はもっと辛辣だ。
青山氏はこう手厳しい表現を用いて、橋下の思想を突いている。

橋下の「天皇なき日本への希求」は、石原よりはるかにリアルな、呪いから出ている。天皇陛下のご存在こそが、日本社会に身分差を生んでいるという認識である。


そいて青山氏の橋下評は、石原氏のケース同様、橋下氏自身の発言に根拠を見出している。

「いずれにせよ、天皇は責任を取れない。最終責任を取れる存在がないのが、現在の日本の最大の問題のひとつだ。」

 彼の真意を、私はこう忖度した。
「俺こそが日本の責任を取ってやる」


もともと、太陽と合併する前の旧維新の会が「首相公選制」というお題目を出して来た時点から、胡散臭さが漂っていた。旧維新に尊王精神がないという指摘は、以前から多かった。
しかし、石原氏や橋下氏が本当に共和制を求めて国政に進出してきたとするなら、胡散臭いどころの話ではない。女性宮家の創設話は立ち消えたが、女性宮家とは次元が違う。そもそも共和制とは、皇室を無きものにしようとする主義であり、日本の国体を破壊せしめんとするものだからだ。

青山氏が鳴らすもう一点の警鐘は、実は共和制主義なるものは、戦後の日本政治に人知れず根付いているという点である。
中曽根元総理が、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一という3名の後継総理候補者の中で、“宮沢は本質はアメリカ流で、昭和天皇崩御にかこつけて天皇の法的地位を変えてしまいかねない”と見做し、“忠実に天皇陛下をお守りするのは竹下しかいない”と判断し、竹下登に譲位したそうだ。自民党が宮沢という脱天皇論者を抱え込んでいたということだ。
ちなみにこの宮沢像は、私が以前書いた、宮沢の「天皇は総理官邸の門番」発言と符合する。

本人の人となりを直接知らない有権者が、政治家の本質を見極めるのは、至難の業である。メディアは嘘をつくし、干されることを覚悟で過激なことを暴露する評論家も少ないだろう。
青山氏の『深部に潜む次の危機 橋下、石原を繋いだ「脱天皇」』は、政治家の顔に隠されているかもしれない信条を、考察を加えた上で読者に情報として提供する論考である。
私自身はこの説に、今は賛成とも反対とも言えない。もう少し掘り下げてみようと思う。しかし、論考は一定の説得力を持つと感じる。
興味のある方は、是非ご一読いただきたい。



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[ 2012/12/19 07:39 ] 政治 | TB(0) | CM(12)
No title
非常に参考になります。
[ 2012/12/19 17:07 ] [ 編集 ]
日本=天皇・ご皇室
日本が日本たりえているのは、ご皇室が綿々と続き、それが日本人の本家であるからです。その本家を無くした時、この国はどうなるのか?そうです、世界中の、その他大勢の国々と何ら変わらない、伝統も無くした唯の国になってしまうのです。

しかも、戦後日本の場合、特亜が国内に蔓延していますから、簡単に乗っ取られてしまうでしょう。既にカスゴミ勢力が特亜、特に朝鮮勢力に乗っ取られているのは多くの国民が周知の事実です。それが国レベルになってしまい、もう回復不可能になるのです。考えただけでも恐ろしいではありませんか。

石原氏の真意がどうであるか知りませんが、もし記事の通りの行動を、ハシシタと組んで実行に移して来たら、我々日本国民は、全力で連中を叩き潰さねばなりません。今回の総選挙で棄権した人間が居る様な、日和見は絶対に許されないことは言うまでもありません。
[ 2012/12/19 17:12 ] [ 編集 ]
No title
読みました。
あれだけ尖閣に拘り、国家の誇りと領土防衛を至極当然に論じる石原氏の不思議さは唯一点、天皇観と日本の伝統に就いて殆ど口にしていない事だと感じておりましたので、青山繁晴氏の掲載文には頷く部分がとても多かったです。
同雑誌の末尾に掲載されていた佐伯敬思氏の{「維新の会」の志向は天皇制否定である}と併せて読みますと、更に石原・橋下両者の結びつきに理解出来ました。

橋下氏はともかく(私には余り興味の対象では無いので)、石原氏がこの手の話題を三島対談でしか残していないらしいのも不思議に思っています。余りご自分からは触れたくない話題なのだろうと推測しておりますが。

それにしてもこの新潮45の一月号は、編集長が存在しているのか?と思える程全方向雑誌で、発刊当初とは随分違った感じを受けました。しかし、安倍自民叩きはケンザイそのもの。
記者匿名座談会「かくして始まった<軽薄短命>政権」という新聞・雑誌・テレビ・ネットの「匿名」者はもしや一人で四役か?と思える安倍氏こき下ろしの「座談会」。しかも選挙前の「会合」で(投開票前の今の段階でひとつ言えるのは、安倍が何か言うたびに自民の比例票が減っていくと言うこと。党の自民の幹部がボヤいている)だそうです。
「民意」を測れないマスコミは、民主党が負けるとしてもこんなに惨敗するとは思えなかったのでしょうね。今夜もお酒が美味くなる~~~!

[ 2012/12/19 19:55 ] [ 編集 ]
天皇=自由 という事実
この論文に対して、天皇に疑義をはさめば糾弾するというのは・・・、といった的外れな反論が予想される。

しかし、本来日本維新が問題であるのは、そういう次元ではなく、「天皇こそ自由の源泉」というような日本の歴史の原理について、全く無知であるからなのだ。

参考記事: 投票前に見る真正保守主義政策の神髄1 自由・天皇・法の支配、邪法の阻止
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/63115641.html
[ 2012/12/19 23:13 ] [ 編集 ]
No title
こんにちは 初めて書き込みしますが私は無学な庶民ですが
日本から天皇をとったら、石原人とか橋下人、
その後に人気になる○○人になってしまう気がして反対です
石原氏や橋下氏の人気は今後十年もつのですかね
世界一犯罪の少ない日本人の宗教心は未だ他宗教の教典のように
言葉化されていませんが
昔から今に連なる絵、歌、芝居、書、茶などの美意識や、
外国人が「うちと違う」という感想や、
ああ、やっぱみんなコタツは好きだよね、
でもダメ人間になっちゃうよねー アハハ
とか あれやこれや
そんなものの集合でやっと日本人は
日本というものを自覚するのです
天皇はその中心のアイコンで錨で、この錨を失ったら空気のように溶けて
すぐに「橋下人」よりもっと設定の深い「毛主義人」とか
「イスラム人」とかに溶解していくに決まってます
別な○○人になってしまうと思います
「天皇」は設定として強いんですよ 世界に対峙できる程に

こんなに世界で希有な宝の価値が分からないなんて、
当たり前にあるから
水と安全と電気と天皇はタダだと思ってしまうのですかね
長文失礼しました
[ 2012/12/20 03:49 ] [ 編集 ]
はじめまして
青山氏の論考の概要をお聞きし、「さもありなん」と感じております。

石原氏にも橋下氏にも「えらそうな立ち居振る舞い」を「保守」と考えているかのごとき印象を以前から抱いており、虫が好かないと感じております。

つまるところ「保守」とは皇室の存在のもとにまとまる立憲君主制であり、ヨーロッパの王侯貴族と違うのは「祭祀王」であることです。

「現人神」は国家神道の誤りであったでしょうが、一神教とは異なる独特の「聖なるもの」への畏敬が我が国を作ってきたと思います。

ニューディーラーのごとき落ちこぼれ社会主義者に洗脳された石原の世代人、「敗戦利得者」として口を糊してきた橋下のとごき弁護士は、意識的な無意識的かは別にしてはっきりと「共和制」になじみが深いはず。

石原の小沢嫌いは「近親憎悪」とみています。どちらも心根は左翼全体主義でしょう。
[ 2012/12/21 02:50 ] [ 編集 ]
No title
天皇のことを祭司王とすることは大変危険であり、天皇制廃止へと繋がるものであることにご留意下さい。

巷で「祭司王」という言葉が一人歩きしているのは非常に由々しき事です。フレイザーの『金枝篇』の中で世俗の王とは別な存在として考えられた存在が祭司王であって、そうしたものがあったというあ明確な証拠があるわえけではなく、また必ずしも人間でなくてはならないことはなく、動物の場合もあり得る。

それと混同しがちなのは神官王(priest King)です。世界史的にみて神官が天下を取った王朝ではこの形態となる。古代エジプトの王朝のいくつか;インカ帝国;イランのサーサーン朝ペルシャ帝国。インドでは婆羅門が国王を兼ねた藩王國など。

 こうした国では皇族の義務として神官の修行を行うことが課さえており、神官であることが王であることの必要条件でした。神官は神々を祀る技術を伝承する人々であり、神懸かりするシャーマンというわけではない。現在の官僚の役割も兼ねていた。
 古代国家で祭政一致は標準的であり、君主は神々の一種であった。これはヨーロッパの王朝の根源も同じです。日本と同様に現人神ではあるが、神官王ではない。

日本の歴代天皇や皇族で神官の修行を行ったり、引退後に神官になった例は皆無です。藤原氏はもともとは神官だったが、その家業は分家?が大中臣として継ぐことになり、藤原氏は廷臣(官僚)の家としての歴史を紡ぐことになる。神官の修行はしない。まあ天皇で仏教に出家した人々は数多い。民間でも僧侶の実家が神官であった例はしばしばでした。 最も有名なのがかの栄西僧正(栄西禅師)です。

つまりは天皇は祭司王でも神官王でもなく、神々の一種としての現人神である俗権力の君主であることが判るのです。
国家元首としての国王と大統領の違いは国王は程度の差こそあっても現人神であるという点にある。

もちろん、祭主として様々な祭事に参加して所定の役割を行うことはあるが、それを以て神官王ということにはならない。

しいていえば、祭司王とは平安時代なら仁和寺の門跡である「御殿」がそれに相等しする。江戸時代に於ける将軍と天皇との関係も擬似的に王と祭司王のような関係となってはた。

何故このことに私が拘るかと言うと、天皇が神官王だとすると伝承している神道があることになってしまうからです。しかし元来、神道には複数の起源があって、起源の異なる伝統が併存していた。明治以前の神道は非常に多様なものだったわけです。宮中にもそうしたいろいろな神官がいて異なる担当をもっていた。それが明治維新で追い出されて宮中三殿なる怪しげなものが捏ち上げられて、宮中祭祀なるものが行われるようになっているわけです。構成要素には古いものはあっても宮中祭祀は連綿などとはほど遠い紛い物です。

そこでもしも天皇の本業を「神官」とすれば、「本業でない」国事行為を切り離して神官に専念せよとして条約や法令への著名などが切り離すことが可能となる。首相公選の危険はそこにある。これは参議院とならぶ安全装置が取り外されることを意味するものであって、維新会が如何に橋下の野望達成の為の邪悪なものであるかがはっきりするでしょう。

連中はナチの親衛隊が行ったように一夜で片付けるかガスを使って短波室の活動を止めてもてもよい程の国賊です。

奴らに決して天下を盗るられない為にも、天皇の本業が神官であると理解できるような表現には慎重になって下さい。
[ 2013/04/17 14:26 ] [ 編集 ]
誤字訂正
読み返していたら以下の箇所に誤りがあることに気がつきました。


> しいていえば、祭司王とは平安時代なら仁和寺の門跡であ>る「御殿」がそれに相等しする。「御殿」とあるのは御室の>間違いです。

「御殿」ではなくて「御室」です。

現在、仁和寺を総本山とする真言宗御室派は関西を中心として存在する真言宗の小規模な宗派ですが、「御室」はそこから採った。現在では地名にもなっている。

昭和天皇がが敗戦責任で退位して出家して仁和寺に門跡としてこの寺に入るという具体的な計画が高松宮などのよって準備されていた(戦犯として処刑されることを防ぐ目的もあったらしい)ことは少しは知られていることですが、仁和寺と皇室との深い縁による。実は皇室の信仰は今に至るも神仏習合的です。
TVや通俗書に騙されてはなりませぬ。   少し脱線します。天皇は神官ではないですがl、明治以前には世襲的な神官の殆どが仏教信者でした。

さて現在、関東に仁和寺の末寺がないのは鳥羽伏見の戦に始まる戊辰戦争の戦費調達の為に、皇族の最高位にあった「楞厳院御室」純仁法親王を還俗させて官軍総大将として末寺を長谷寺一派(現在の豊山派)に売却するかたちで捻出したことに由る。

 その見返りが、神仏分離と仁和寺の荘園の召し上げときたからたまったものではない。明治維新とは実はとんでもない悪しきものでもあるのです。

[ 2013/06/11 18:32 ] [ 編集 ]
No title
 斯う言うのがきょう出来たんですけど、参考に成りますかね。
 たまたま偶然に出来たんですけど、参考迄に。

 もう一度URL。↓
 http://ch.nicovideo.jp/woody-aware/blomaga/ar319202
[ 2013/10/22 08:17 ] [ 編集 ]
面倒臭いだろうので本文を転載します。
主題:親天皇的共和政概観。
   …如何にして天皇制の神聖性を手中に捉え、共和政を実現するか?



 …幾重にも申して居る事だが、実は政治体制(政体)を巡っての論争は虚しい。
 儒家・儒学・儒教的なものと言う訳でも無いのだが、其の国民が有ってこその国体で有り国家で有る。
 国民の基礎がより確りしたものに成ら無ければ、決して其の国(邦)は良き物には成ら無いのだ。

 だから…戦略的に申せば、若し日本で共和政を実現してしまうとすれば、手っ取り早く言えば天皇の其の特殊性・神話性・存在事実性を確認し、認めてしまった方が良い。イタリアでムッソリーニが行ったローマ教皇庁(ローマ法王庁)とのラテラン条約に依って、イタリアが現実に政教分離の国に成った事を認めれば良い。
 天皇の神話性、本来持って居た現人神性を認めてしまえば、其の保守勢力は此れに従わ無い事は無いだろう。天皇の神格を実現する事、其の一手は現代に取っては政教分離、此のやり方しか無い。政教一致ではラテラン条約以前のイタリアの広大な教皇領や分裂を認める事に成り、現在のイラン=イスラム共和国と同様の現実との矛盾を引き起こす事に成る。政教分離は近代の大きな収穫で有り、其れを踏み外した「国家神道」と言う大きなプランを江戸時代に設計され、其れを近現代国家で実現しようとした所に、現代天皇制の大きな野望と躓き、頓挫が有った事を否定は出来無い。
 天皇制を神聖と思って居る人々を説得するには、其の神聖性を却って利用するのが良い。其の為には、「天皇制を否定し無い」と言う「大きな戦略」(グランド・ストラテジー)が要る。其の上で国会を戦略するべきだ。

 道筋としては天皇の神格化を否定してはいけない。寧ろ「天皇の神格化」を通じて、天皇制を政治の場から分立して行くと言う非常に現代的な現実性に富んだ戦術が必要と成る。
 詰まり、「天皇制の存立の自由」を謳う事に依って、却って親天皇制政権を形作り、其の上で天皇の神聖性を利用し、天皇制を民主主義、公的な「俗世」から遠ざける方が、却って近道なので有る。

 其れは、実は明治政権もやった事だ。
 そして「明治の計画」は実は現在でも進行中で有り、一体“明治の目的”とは、日本国の富国強兵・殖産興業、そして付け足すなら文明開化の3つに在るので有って、決して「天皇制の存在」を重化する事では無い。
 我々の目的は近代化と脱近代化、即ち「西洋文明を追い付き追い越せ」と言う主題に有るので有って、超近代、又は現在なら「超現代」に有るので有り、我々国民が明治以来様々な多数の犠牲を御霊(みたま)として捧げて来たのは天皇の為などでは無く、此の「超近代」化と言う「目標」の為に有るので有る事を、決して「明治プロジェクト」の問題として忘れてはいけない事を忘れ去ってはいけない。最初に祖の官僚・大久保利通が考えたのは日本近代化の10年毎の30年計画程で有るが、暗殺に斃れた大久保の計画が其処で終わって居た訳では無いだろう事は容易に推察が出来る。彼なら現代を更に進める為に、今度は脱官僚化、脱天皇化と言う事を考えたに違いないので有る。其の10年単位では無く100年単位の数世紀に渡る計画を渡って考えてみれば、明治創業の計画は「五箇条の御誓文」や「天皇神聖化」は緊急を要する問題なので有って、世紀を過ごす単位としてみれば唯の其の場の道具(ツール)でしか無い。政治を興す最大の効果は「伝統の継承」(消化、トラディショナルtraditionalとコンサーヴァティブconservative。“伝統性の維持”)に有るので有り、此の「計画」を引き継ぐ事こそが、我々の戦略性、政治性の生命に他成らない。

 政治の要諦は、尚且つ言う。「伝統の継承と保守継続の維持」に有る。日本の100年計画、いや「千年計画」に立ち戻らなければ成らない。其の為には天皇制など唯(ゆい)の道具に足らない事を、我が民族と我が国家は道標(みちしるべ)に事実として連結する幾つかの「千年単位」として受け留めなければ成らない。

 「伝統」を否定しない場合、当然其処には勿論「天皇制の否定性」など出て来よう筈が無い。そして明治の政略紛争に明け暮れかねなかった太政官大久保卿の遺言には必ずこう書かれて居るだろう。「いずれ、其の時が来たら官僚制度(太政官制)を解体せよ。」との命令が至言として残されて居る筈で有る。

 実は、此の手は別に現代の私達が初めて執った、或いは指揮ったもの、指揮るものでは無い。
 かの徳川家康も其の手に染めて居る手なので有る。
 いや、概ね織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の系譜は、皆此の手を踏んで居ると見て良い。宗教が如何に恐ろしいもので有るかは、昭和の災禍が物語って居る。しかし、時代を律して行くには何等かの何かに対する信仰が必要なのも此れ又理なりで有る。其れを、先ず織田信長が足利将軍家を立し、先ず廃した。そして次に社会平定(天下布武)の手として、天皇を直接に立てた。そして最後に、天皇を超える新しい信仰を立てようとして、其処で失敗した。明智光秀の手に掛かったので有る(因みに織田家は平氏で有る。太政大臣に成る。)。其れを排した豊臣秀吉は、次に天皇家の臣下として藤原氏(摂関家。関白に成る。)を名乗り、其の体制を整え社会平定(天下布武の継承。天下統一、或いは一統)へと乗り出して其処へは成功した。しかし其処で終わった。彼は国内制御の余り、海外へと手を広げ過ぎた(韓半島・中国大陸への派兵)。最後に政権を執った(指揮した)のは徳川家康で有った。彼は政略的に豊臣氏を上手く攻め、先ず秀吉の子の秀頼を手駒に取った。そして更に推し進めて、源氏長者の名を引き継ぎ(征夷大将軍の位の資格を持つ)、遂に将軍と成った。そして幕府を開き、江戸時代を幕開けさせ、最後に豊臣家・豊臣氏を滅ぼしたのち、天下を完全に平らげて亡く成った。
 が完全には此れからで有る。寿命の尽きた家康に代わって、二代将軍秀忠と三代将軍家光に迄待って、家康の死後の政策が展開された。家康は非常な保守派で有った。農業国家を堅持し、経済を石高制とした。そして天皇の宗教性にも問題を持ち、上手に京都から更に離れた関東に立って自らの永世城下を造成し始めた。近世江戸城下町の形成で有る。そして、「武家諸法度、禁中並公家諸法度、寺社諸法度」の3法令を下し、天下を武家・天皇公家・庶民に至る迄支配を集める体制を構築した。キリスト教などを排斥して新しい秩序が入り込むのを防ぎ、文化の防壁とし、265年に及ぶ平和な社会の維持に其の後成功した。

 私達は此の先人達に見習わなければ成らない。但し、「現代的に解釈して」なので有る。

 私達が真の親皇派・勤皇派の志士で有るならば、過度の天皇家の神聖化は実は避けねば成らない。
 いや、「慎むべき」と言い換えるべきか。
 其れは天皇家が身を滅ぼす元だ。元凶で有る。其れは日本も参加した先の大戦での過程で証明されて居る。
 天皇家を神聖にし過ぎた為に、却って其の取り巻きの者が権力を危険な程に握る。そして、結局は其のが藤の寄生樹足る事を見るが如くに、「天皇家」を共連れにして滅びて行ってしまう。藤原家しかり、平家しかり、(ひょっとしていにしえの蘇我氏しかり?)、近代の両軍部と内務省しかりで有る。行き過ぎた果断な行動も慎むべきで有る。日本の明治を成功させた要因として、反面教師としての「建武の中興」の存在が有る。明治政府は建武の中興の失敗の愚を避ける為に必死で其の人材が動いた。特に危険と成る人物は「足利尊氏の如き者」と兵部太輔大村益次郎が言い残した施策で有る。彼は歴史から政権変動運動に参加した者から、必ず再び分裂が起き再戦争が起きる事を見抜いた。言う成れば「西南戦争」で有る。余りに苛烈なものを全国に必要としたものには、必ず其の政権に諸悪が蔓延(はびこ)り、其れを見て「正義の主」が其れに嫌気を差し、最後には世論に勝てず必ず此れに牙を剥く。実は平家の滅びや建武の中興の失敗(失政)、織田信長の失敗、ナポレオンやヒトラー、スターリン、又クロムウェルの登場ですらそう言う事に事情が無いだろうか?見え隠れしないだろうか?
 其れ程「明治維新」改革は日本史上も上古の「天智天皇改革」(大化の改新)以来の珍しき苛烈な計画で有ったから、其の成功には必ずしや「歴史に其のものを学ぶ」と言う姿勢が欠かせなかったので有る。

 私達だって、歴史には学ぶべきだ。
 逆手を取って行くと、逆に苛烈な方針を取った方が、其の者の身は滅ぶので有る。
 一体どちらがいいかと言う事は、此れは難しい。だが、近年でも急速な改革印象を急いだ余り、政権を掬い取られた民主党の例も無いでは無い。結局、自由民主党保守政治へと舞い戻ってしまった。
 私達は「急いては事を仕損じる」ので有り逆にそうで有るならば其処を牛耳れば此の事は簡単に事が済む。
 天皇神聖化、或いは「天皇親政」化を用いれば、逆に転ぶ様に「共和政」は手に入って来るので有る。
 現保守党は天皇の神聖化は兎も角も、天皇の親政化、詰まりは「元首化」を図って居ると思われる。
 とすれば、事実として其の通りにしてやれば良い。そうすれば、間違い無く「我々共和政の実」をもぎ取る日は近い。此の大戦略に整って立たなければ、内務卿大久保利通の本当の100年戦略は露と消えるものと成ろう。謀略に富んだ此の政権維持者は実は其の下僕(しもべ)足る官僚制度整備をも、実は本気なら「日本起死回生の手駒に過ぎない」として切り捨てた事は計画から見て間違いは無い。
 10年の略を採るか、100年の略を採るかの区別は明白で有る。機を見ては10年を採るが、既に100年位上を経って居る以上其の年月の変化は我々に味方して居る。

 私達は過去の亡霊には身を寄せたく無いものだ。
 だが、長期計画として此れを捉えれば、何の事は無い内務卿の思想は実は其の様なもので有る筈と推察する事が出来る。100年の大久保利通の亡霊は、現在でも支配を続けるか。否か正かは歴史が決めるで有ろう。
 ただ私達は無闇と無駄をしてはいけない。官僚制が熟し腐敗し、現行の社会保守が其れを阻止する為急速な改革(江戸の三大改革の様な保守主義の)を採る事を、きちんと見定めて、あの開国派の「田沼意次構想」を失敗に陥れた様な事態にはするべきでは無いのだ。いや、「田沼の失敗」は結局日本に逆に過激な「定家の改革(寛政の第二改革)」を呼び込んでしまい、「江戸期政権」を長持ちさせるには役立ったが、平和の維持と引き換えに世界に大戦を呼ぶ「歴史的な引き金」を日本より世界史的に見れば引き出してしまった可能性すら有る。
 若しあの時、日本が覚醒めて居れば、あれ程苛烈な西欧諸国の人種差別主義者の列は出て来ず、日本の態度に鑑みて「世界観」を変え、あんな二度に渡る「世界大戦」(特に前期大戦(一次)よりも後期大戦(二次)の方)を、アドルフ・ヒトラーの人種主義差別観(アーリア主義)をすら生まなかった可能性すら有るのだ。「100年」をとんずらすると言う事は、ひょっとすると「世界史」は意外と狭い範囲(此の地球上)で起きて居たが為に、私達は予測し難い不幸と難を招くと言う事にも成りかね無い。江戸人には分からなかったかも知れないが、又逆に言えば「江戸期日本人が海外、オランダを含む外国人を差別観を持って西洋・韓国(朝鮮)・中国に至って蔑視して居た事」が、同じムジナの要素として大戦は跳ね返って来ただけではないか!

 だから、「大観」は見失うべきでは無い。其の上で、自らは漸次に、相手には暫時なら暫時に、柔よく剛を制すで自らの行いを慎み、至って優柔無礙に此の「共和政実現要項」を成し遂げなければ成らない。

 フランス革命やロシア革命、清教徒革命などは愚のは愚の骨頂の見倣いで有る。

 私達は天皇制を同じ手を使って滅ぼしては成らない。此処に「親天皇的共和政概観」は必要なので有り、私達の近代発足の最大観念は、「田沼意次の改革」の辺りでの失敗を世界史規模で引き起こさない事なので有る。

 私の申す戦略的「大観」とは以上の様なもので有る。
 じっくりと見られよ。必要なのは悪じゃない、善で有る。
 目標は「超近代」迄生き延びる事なのだ。



うっでぃ。
[ 2013/10/22 20:02 ] [ 編集 ]
No title
この人、これもそうだけど道州制なんかも橋本のせいにして批判してなくね?大阪人としてこいつは嫌い。
[ 2013/11/05 17:54 ] [ 編集 ]
No title
 道州制は別に橋下さんの独自の意見でも無くて自分でも1987年頃にNHK教育の夜の15分オピニョン番組「テレビコラム」でも接触して来た訳だから、若しそう言う事が有るとするとちょと問題も感じますね。

 橋下さんと慎太郎さんが共和主義者かも知れないと言うのはちょっと闇意見とも言うべきで、余り根拠は無いかも知れない。

 共和制と言った場合は西洋の共和制の意義が強くって共和政治と言った場合には東洋の共和政治の意味も有る訳でしょう。

 戦後の荒れ地を天皇の害とも思ってる人々に取っては天皇制などは余り目もくれない現実なのかも知れない。

 最早日本の議会勢力の多数は「王党派」とも言えるロイヤリティに包まれて居る訳で、其処で割って入る新規参政者に危機感を抱いたのかも。
 日本人の意見の半分は投票されて居ない訳だから、国民投票する前に天皇制の意義に付いては謎に付されて居る訳で、余り既存の人々に付いては突っつかれたく無い問題なのかも。

 しかし天皇機関説を持ち出さなくても「日本の方針」としては其の近代化の具体的な目標に天皇支持巷間説を明治維新に取り上げた訳で、「天皇を否定する」必要は無いとしても政治に天皇を持ち上げる理由はそろそろ無いのかも知れない。

 寧ろ天皇、「王統(皇統)」を保持保存する為には、もう一度政争の具に天皇を巻き込まれない様にする事が一番の安全策なのかも知れない。
 其処まで「天皇の統帥権下」の軍部はぎりぎりの部分に迄「天皇存在」を危機に招き込んだ。
 其の心配からすれば、天皇の系統と系譜を守る為には、政治機関と宗教性等との分離はイマイチちょっと考えられる気もしますね。

 日本は余り神話的に再び天皇制を神格化付けようと言う動きは、確かに倫理的に堕落を呼びそうな感じでも其の時代の勢いに付いて、却って危険だと言う感じもします。

 フランス革命もロシア革命もそう言ったものは過去を無理やり隔絶してしまうと言った点で実は「革命」としては「寛容性」を欠き間違った原点だと言う気がします。日本社会はもっと寛容な社会体制を持ち天皇制の保全にも国民統合の意欲にももっと気力や配慮を傾け持たなければ成らない。
 道州制論や共和主義にも必ずしも天皇制の存在否定せずと協同出来ない訳では無い。もう少し言い方や意見は無いものかと愚案します。
[ 2013/11/10 08:09 ] [ 編集 ]
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