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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2020年05月08日

立民党は自分らの過去をきれいに忘れることができるらしい

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 拙ブログでも、最近は構っていられなくなっていた山口二郎大センセー。どうも大センセーは3日の憲法集会でスピーチできなかったことが残念らしく、国会前で開かれた小規模な集会にメッセージを寄せている。

与党の一部からは、これを機に憲法改正によって緊急事態条項を入れるべきだという声も上がっています。これこそ恥知らずの所業です。統治能力を持たない安倍政権に緊急事態対応の大権を与えることは、立憲主義と民主主義の破壊でしかありません。


 なんだかアジ演説に出てきそうな物言いだ。この人たちにとって、憲法議論というのは時の政権によってコロコロ変わるようである。立憲主義というのは、誰が宰相であろうと、その権力、権威は憲法に依るものだという考え方のはずで、言い換えれば、誰が国家のリーダーであろうと、憲法に規定されない権力は有しないということだろう。学問を教える立場なのだから、活動家と間違われる(間違っていないけど)ような物言いはせず、もっと説得力のある言説を絞りだせないものなのだろうか。

 さて、説得力といえば、立民の陳さんが説得力の有無というより、マイナスにしか捉えられないようなツイートを発した。


 「御冗談を」と反応してしまう。「政治の役割は」といっちょ前に言いながら、彼と彼の政党である立憲民主党は、政治などずっとやっていない。国会は糾弾集会と化している。武漢ウイルスが国内問題化した2月の時点でも、彼らはそれには関心を示さず、専ら「桜」と「森友」をやっていた。翌3月の4日には、陳さん自らが質疑に立ち、「総理、嫌でしょうが、『桜を見る会』について質問します。時間が余ればコロナ対策もやります」と発言したのは記憶に新しい。陳さん自身、「もっと時間があればコロナも桜もやりたい」ということで、コロナウイルスを軽んじたつもりはまったくなかった」と釈明しているのだが、他の議員の質疑も含めて総合的に判断するとすれば、立憲民主党には当時から武漢ウイルスに対する関心は薄く、「何が何でも倒閣」だった。

 彼らは分断はダメだという。だが、政治がやることには必ず賛否が付きまとうのであり、国民がこぞって賛成することなどはほとんどない。例えば「アベノマスク」と呼ばれる、政府が調達して国民世帯に配布する布マスクだ。彼らは政権批判のために、その布マスクまで利用した。そうやって、危機にある日本の舵取りを行う政権の邪魔をし、点数を稼ごうとしたのだ。

 「人々に希望を持ってもらえるメッセージを発する」ことが政治の役割と考えているのであれば、彼らは審議拒否などは絶対にしない。彼らの発するメッセージがあったとしても、そんなものに希望を持つ人は、せいぜい党の支持率と同じくらいなものだろう。ことばと行動に一貫性がない人たちを信頼する人はいない。

 自民党も至らぬところは沢山あるが、少なくとも東日本大震災の当時、自民党は決してこうではなかった。当時は一時的な政治休戦を申し出て、頼りない菅政権の足を引っ張ることはしなかった。分断を回避したとすれば、当時の自民党であり、いまの立民党ではない。陳さんも、自分たちの言動を振り返り、言っていいことと悪いことの区別ぐらいはできる人になってもらいたい。


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