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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2019年03月

新元号発表を前にあれこれ言う残念な人々

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 明日、新元号が発表される。「そもそも、元号って要る?」という元号否定派も存在するようだが、そういう人々は、元号がなくなることの不便さを理解していないか、もしくは天皇のご存在そのものを否定する革命派だろう。大化の改新を「646年改新」とか「飛鳥改新」と呼ぶのは不便だ。大正デモクラシーは「1910年代~1920年代デモクラシー」と呼ばなければならない。明治維新は一体どうなるのか。

平成


 元号というのは、日本人が時代を認識するためにはかなり便利なものなのだ。おっさんくさいダジャレを言うと、「昭和だね」とたしなめられる。日常的な会話の中にも、元号は根強く存在するのだ。戦後、進歩的文化人から元号の否定論が出たが、福田恒存はそれをきっぱりと否定している。

元号

 元号廃止の動機の一つは天皇制廃止、もしくは軽視の意図であるが、これは開花主義と同じで、君主制は保守的であり、共和制は進歩的であるといふ何の根拠も無い浅薄な考へ方に基づいてゐる。そして同様に元号廃止は歴史、伝統の断絶と文化の荒廃を齎(もたら)す。エリザベスス朝文化、ヴィクトリア朝文化と同様に、元禄、天明の文化と言はねばならぬ歴史的事実があるのだ。それを西暦一本で片附けろと言はれたら不便極まり無い。試みにこの私の文章の江戸、明治、大正、戦前をすべて西暦で表記しなければならぬとしたら、どうなるか考へてみるがいい。第一、クリスチャンでない日本人、ユダヤ人、アラビア人が何でクリスト教紀元にのみ附合はねばならなぬのか。現在、国際法と国内法と両建てで行かねばならぬ限り、西暦と元号の両建ては改めて問題にするまでも無く当然の事であらう。

「日本への遺言―福田恒存語録」より


 共産党は今でも元号廃止論を是としている。志位和夫は「元号は、時をも君主が支配するとの考えからきている。国民主権の原則になじまないと考えている」と主張するが、我が国の皇室が国民を「支配」したことはない。元号を廃止したからといって、国民主権が強化されるわけでもなく、民主主義が発展するわけでもない。共産党の元号廃止論は、福田恒存が言うように、「天皇制廃止」の一里塚である。元号がない国が国民主権を実現しているというなら、彼らのお里の中共の例を挙げて、具体的に述べてみたらいい。

 元号は是とするが、その元号の選定に関し、時の政権に絡めて「これだけは嫌!」と叫ぶ陣営もある。文学者の内田樹は、Twitterで元号に「安」や「晋」が入るなら、二度と元号を使わないそうだ。


 内田のような人のオツムのなかでは、安倍総理が独裁的支配者と定義されているのだろう。だから、仮に元号に「安」が入れば、それは安倍総理自身が望みによるものか、もしくはその希望を忖度した上での決定だというシナリオが、勝手に形成されているのだ。まぁ「勝手にどうぞ」といったところだが、文学者にして、この大人げなさ。イデオロギーはいい大人を幼稚にさせるものだ。「韓国が嫌いならキムチ食べるな」、「中国が嫌いなら炒飯食うな」と言っているようなものである。

 改元がこれだけ話題になるというのは、元号が日本人にとって不可欠のものであることの証左だ。どんな元号になるか楽しみに待ちたいが、決定後、志位や内田のコメントを聞いてみたいものだ。


日本への遺言―福田恒存語録
日本への遺言―福田恒存語録



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