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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2018年11月12日

玉川徹のトンデモ発言 ~ 「都合の悪い情報は見なければなかったことになる」

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 南朝鮮との関係が“順調に”悪化している。そもそも反日全体主義で教育を受け、その中で暮らす民族との間に友好を育むことは難しく、条約ですら司法を使ってでも反故にしようとする国家とは、こちらから進んで関係を改善する必然性もない。いわゆる徴用工判決問題に続き、BTS(防弾少年団)という未熟な青年たちのおイタが物議を醸しているが、守旧メディアがいくら火消しに走ったとしても、無駄な努力に終わる。守旧メディアは、ネットに対してほぼ無力であるからだ。

 それほど、ネットの言論空間が持つ力は大きくなってきている。もちろん、ネット言論は玉石混淆である。真実とデマが入り交じり、その中から真実をピックアップする能力は個人のスキルに依るところが大きい。表現の自由に関しても、例えばSNSをとれば、言葉の制約はそのサービス事業者側が持つ基準に依存しているから、そのサービス事業者の判断によっては制約が生じる。しかしその基準があったとしても、守旧メディアとは比べ物にならないほどの情報が出て来て、その情報についての議論は、守旧メディアでは対抗できないものとなっている。最近でいえば、蓮舫の二重国籍疑惑に関し、過去の週刊誌等での発言を最初にピックアップしたのは、ネット民だ。

 だから、私個人的には、守旧メディアはネットとの共存や、相互補完を、これからのテーマとすべきだと思う。しかし、そういう考えとは真逆なメディア側の人間は極めて多いようだ。恰好のサンプルが、テレ朝の玉川徹である。安田純平氏が拘束を解かれ、帰国したときに「英雄」と称したのが玉川だ。玉川は過日のモーニングショーで、トンデモ発言をかましていた。

「ネットなんきゃ見なきゃいいんですよ」
「見なきゃ無かった事になるんですよ」


 この発言は、ネットでの安田純平氏に対する批判が家族の耳にも届くという文脈の中で発せられた。しかし、安田氏への論評だけならまだしも、玉川の発言は、ネット言論自体を無きものとすればよいという趣旨である。これはどういう理屈から捻りだされたものなのだろうか。

玉川徹


 玉川の、「ネットなんきゃ見なきゃいい」「見なきゃ無かった事になる」というのは、ネットでの言論を無視してもよいというものだ。しかし、ネットであろうと守旧メディアであろうと、はたまた路上での井戸端会議であろうと、それは言論活動のひとつであり、そこには発言の主体たる国民がいる。都合の悪いことなら、他人の意見を無視しても構わないという論理は、守旧メディアの傲慢さであり、ネットに対する差別だ。玉川が生きるジャーナリズムというのは、そういう世界なのか。それなら、他のジャーナリストに失礼である。

 玉川の発言を更に解剖していけば、「国民の知るべき情報は、我々ジャーナリストが取捨選択する」という理屈にもつながる。いわゆる「報道の自由」と「報道しない自由」の使い分けだ。こういう理論は、ジャーナリズムが一般国民の上位に位置し、情報を「与えてやる」という意識がなければ生まれない。

 数々の発言で炎上する玉川だが、テレ朝もよくこういう偏向した人物を使い続けるものだ。それとも一種の炎上商法なのだろうか。いずれにせよ、玉川徹という人物の傲慢さが良く表れた発言であり、批判は当然の反応だろう。


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