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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2018年10月27日
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「安田氏英雄論」は破綻している

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 3年余りにわたってシリアで拘束され、23日に解放されたフリージャーナリスト、安田純平氏について、様々な意見がネットに掲載され、論争となっているようだ。拙ブログでも昨日書いたが、私は安田氏の解放を歓迎する。重ねて言うが、今回のケースで最悪なのは、安田氏を拘束した武装組織であり、安田氏は被害者である。最大の批判は人質ビジネスを仕掛けた者たちに向けられるべきであることは言うまでもない。

 しかし、だからと言って、安田氏が純粋に、100%の被害者であるわけでもない。きつい言い方かもしれないが、彼は人質になる可能性があることを知りつつ、現地に入ったのであり、今回の事件は安田氏自身が誘発した側面も等しく認識されるべきだと思う。あえて、国が渡航を自粛または禁止する地域に入るからには、彼のジャーナリストとしての信念があったのだろうだと推察する。ただ、そこまで危険をおかしてまで情報を得て欲しいと願う国民がいるかといえば、それは少数派だろう。


 安田氏英雄論を唱える人もいる。昨日書いたテレ朝の玉川某はその代表格だ。玉川のコメントはこうだった。

「民主主義といっても国や企業で権力を持っている人たちは、自分達の都合のいいようにやって隠したいんですよ。隠されているものを暴かない限り、私たち国民は正確なジャッジができないんです。それには情報がいるんですよ。その情報をとってくる人たちが絶対に必要で、ジャーナリストはそれをやっているんです。フリーのジャーナリストは命を懸けてやっているんです。一番危ないところに行かれているんですよ、安田さんは。そういう人を守らないでどうするんだ」

 これは、国民に代わって権力の監視を行う信託機関としてのジャーナリズムという、お馴染みの論法だ。しかし「権力の監視」という彼らマスゴミ側が矜持として持つ使命は、私は単純な自己陶酔でしかないと思っている。確かに情報は重要だ。しかし、自己責任の範疇を超える結果を招くことまでして提供して欲しい情報というのは、実際にあるのか。私はそうは思わない。

「民主主義が大事だと思っている国民であれば、民主主義を守るために色んなものを暴こうとしている人たちを『英雄』として迎えないでどうするんですか」

 玉川はこう言うが、救いようのないほど頓珍漢な見解だ。安田氏の解放には、おそらく身代金が支払われたと思われる。日本国が直接払ったのではないと言うだけで、結果として誘拐犯が金をせしめることには変わりない。その資金が、更なる拉致による人質ビジネスの資金となり、更なる人殺しの財源となるのだ。それは民主主義とは真逆のことである。そういう人物が「英雄」であるわけがないのだ。

 「安田氏英雄論」は、ジャーナリストの自己陶酔からくるものか、または権力と戦うことを、あたかも国民から付託されたように錯覚するジャーナリズムの自己満足でしかない。


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