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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2018年02月22日

竹島の日 ~ 李承晩を英雄視できない南鮮の国情

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 今日2月22日は「竹島の日」である。1905年、政府の竹島編入に関する閣議決定を受け、同年2月22日に、島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行ったことにちなむ。「竹島の日」というのは鳥取県の条例で、同日には記念式典が開かれる。が、政府は終始及び腰だ。対照的に、南朝鮮側はすこぶる感情的である。この式典の日、南鮮から政治家や運動家が松江市にやってきて、小競り合いを起こすのが恒例行事となっている。竹島(南鮮名、独島)を行政区域と主張している南鮮の慶尚北道は、22日、糾弾声明を出すそうだが、要求はまるごと内政干渉そのものだ。

竹島


 さて、この竹島を一方的に南鮮側に編入したのは、李承晩である。南朝鮮の初代大統領で、1952年にいわゆる李承晩ライン(南鮮では「平和線」と呼ばれる)を引いたことで、火事場泥棒的に島をかすめ取った。日本の侵略(南鮮ではそう考えられている)の歴史を転換し、逆に日本に対して島を取ることで一泡吹かせた李承晩だから、南鮮では英雄視されていると誰もが思うだろう。だが、李承晩は実は、南鮮の歴史教科書では登場しないのだそうだ。

 日本が朝鮮半島を併合したのは。1910年のことである。だが、李承晩は、その6年も前の1904年に米国に渡り、1945年に大戦終結まで、実質的に朝鮮半島から遠く離れたところで独立運動なるものをやっていた。1919年に上海で大韓民国臨時政府が樹立し、翌年には臨時政府大統領に推されたのに、李承晩は米国にとどまった。つまり、外野でギャーギャーやっていただけで、何もしていないのだ。

 李承晩は独立のために戦ったわけではない。外野という安全地帯で独立を叫び、1945年に日本の朝鮮統治が終了した後に半島に戻った。そして3年後の建国のとき、運よく初代大統領になったということだ。建国時の抗日闘争のなかに、李承晩はいなかった。独立のために何一つ英雄的行動をしていないのだから、テロリストとはいえど、伊藤博文を暗殺した安重根よりも扱いが軽いのだろう。正義か否かは別として、朝鮮民族にとっては、独立のために抗日パルチザンとしてテロ行為を行っていた金日成のほうがまともに見えるのかもしれない。

 李承晩が勝手に引いた「李承晩ライン」によって、祖国の大切な島が奪われたままになっている。南鮮と理解しあえることは永久に不可能なのだから、島を奪還するためには戦以外の方法はないだろう。日本政府は南鮮と戦争するつもりは毛頭ないのだろうから、領有権の主張は極限まで大きくすべきではないか。情報戦に長ける特アに対抗するために、広報やロビー活動等々に人や金といった資源を投入すべきだ。

嘘だらけの日韓近現代史
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