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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2017年12月18日

捏造新聞社が「南京を直視せよ」とのたまう片腹痛さ

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 MXテレビが1月に放送した「ニュース女子」について、BPOの委員会が「重大な放送倫理違反があった」とする意見書を提出した。MXのほうは、「今回の意見を真摯に受け止め、全社を挙げて再発防止に努めてまいります」と、しおらしいプレスリリースを発表している。この決定を受け、朝日新聞は16日の社説「BPO意見書 放送の倫理が問われた」の中で、MXを猛烈に批判している。

 事実関係の誤り、裏づけ取材の欠如、不適切な映像使用、侮蔑的な表現など、指摘された問題点は数多い。驚くのは、MXが適正なチェック(考査)をしないまま放送したことだ。

 バラエティー・情報番組であっても事実を扱う以上、報道と同じように真実に迫る最善の努力が求められる。持ち込み番組であればなおさら、慎重かつ厳格に考査しなければならない。視聴者に届けるものをチェックするのは、放送に責任を持つ者の最低限の義務である――。

 BPOの見解は、今さら確認するまでもない当然の内容だ。MXは、公共の電波の使用を認められた放送局としての自覚を欠いていたというほかない。(以上、抜粋)


 朝日新聞の批判は、自社がイデオロギー上の連帯を感じる沖縄米軍基地反対運動へのシンパシーから来るものだろう。保守や戦後民主主義を否定する者は、とにかく叩いておけという、“あれ”だ。朝日の場合、こういう反応がほとんど条件反射のように出て来るが、このMX批判が朝日にとってのブーメランになることを認識していないとしたら、末期症状どころか、手の施しようがない状態だ。


 朝日は、「事実を扱う以上、報道と同じように真実に迫る最善の努力が求められる」と書いている。では、朝日は真実に迫る最善の努力をしてきたのか。直近でいえば、東日本大震災の際の吉田調書では、朝日は記事における捏造を指摘され、当時の社長の木村伊量や取締役編集担当の杉浦信之が雁首を揃え、謝罪した。慰安婦報道における吉田証言を基にした偏向記事は、記事を削除するのに32年も費やされた。朝日がMXに求めた「視聴者に届けるものをチェックするのは、放送に責任を持つ者の最低限の義務」は、朝日自身が守っていないことなのだ。「お前が言うな」という合唱が、築地界隈に響き渡りそうである。

 朝日は、自分たちの過去を棚に上げることが、あたかも朝日に許された特権であるかのように勘違いしているのではないか。その例証が、17日の社説「南京事件80年 冷徹な直視の姿勢こそ」だ。1937年12月13日の南京陥落から80年が経過したこのタイミングで、朝日は社説で南京事件を取り上げ、朝日自身が国際問題化の重要なパートを担ったこの問題に関し、死者の数が本質ではないと開き直っている。

 出版物やネット上では、事件がなかったかのように扱う論調が以前からあり、近年強まっている感がある。この風潮が日本の主流の考えであるかのように中国で扱われることもある。

 加害者・被害者の立場の違いに加え、言論や学問の自由をめぐる違い、そして時に政治的な思惑も絡み、互いに理解を妨げている現実がある。静かな環境で研究と交流が日中間で進むよう望みたい。

 そもそも、人数は史実の重要部分ではあっても、歴史から教訓を学ぶうえでは必ずしも問題の本質とはいえない。

 何万人が死んだ、ということではなく、一人一人が死に、それが何万にも上ったのだ――。南京事件のただ中に置かれた中国の知識人の日記の形をとった堀田善衛の小説「時間」は、主人公にこう語らせている。

 80年も経てば証言者は減り、記憶は風化する。日本にとって恥ずかしい過去を表に出すのを拒もうとする力は、今後さらに強まるかもしれない。

 しかし、過去を直視できないとすれば、それが真に恥ずべきことだ。不戦を誓う平和国家としての戦後の歩みを誇りとしつつ、不幸な過去に厳然と向き合う姿勢を忘れてはなるまい。


 「本質」や「直視」ということばで思い出すのは、慰安婦報道で記事削除に追い込まれた際、前述の杉浦取締役編集担当が書いた「慰安婦問題の本質 直視を」というコラムだ。このコラムで杉浦は、「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と書き、朝日の誤った記事への批判をかわし、文字通り「本質をずらそう」とした。今回、朝日は、支那が30万人とも喧伝する南京事件の被害者に対する批判を、「歴史から教訓を学ぶうえでは必ずしも問題の本質ではない」と説いている。これは、朝日自身の「恥ずかしい過去」の目くらまし作戦ではないのか。

 1970年、朝日は文革大礼賛記事を掲載し始め、翌71年から、南京大虐殺というプロパガンダの大キャンペーンを張った。本多勝一の「中国の旅」の連載を開始し、日本国民に罪悪感を刷り込むキャンペーンだったのだが、後に本多自身が、一切裏付け取材を行っていなかったことを、著書の中で認めている。本多は、中共が用意した証人の証言をただ聞き書きしただけだったのだ。


 日本で初めて南京大虐殺なるものが教科書に載ったのは、1978年だ。少なくともその年まで、支那の教科書にすら、南京大虐殺なるものの記述はなかったという。つまり、日中両国の教科書に、この大虐殺が史実のように掲載されるようになった原因を作ったのは、朝日新聞なのだ。そんな新聞が、正面切って、「真実に迫る最善の努力が求められる」と言う資格などない。

 こんな新聞社には、言論空間から退場してもらいたい。もちろん、捏造という「恥ずかしい過去」を認め、全世界的に謝罪と訂正の記事を出すという義務を果たしてから、だ。


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