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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2017年08月28日
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追悼の要求とは、一種のタカリではないか

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 一昨日の25日、安倍総理は南鮮文在寅と電話会談を行ったが、我が国と南鮮の公式発表の内容が食い違っている。日本側は、文がいわゆる元徴用工の問題について、「歴史問題が両国の未来志向的な関係発展の足かせになるべきではない」「問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定によって解決されたという立場だと説明した」としている。一方、南鮮側では「両首脳は強制徴用被害者問題など歴史問題を適切に管理しつつ、未来志向的で成熟したパートナーシップ関係へと発展させていくことでも認識を共にした」(聯合ニュース)と報じている。

 恐らく、青瓦台が国内向けに話の筋を変えたのだと思われるが、こういう問題は棒読みで「解決済み」を繰り返していくしかない。南鮮司法が日本企業に賠償を求めた場合は、徹底的に批判し、南鮮のローカルルールには従わないことを力説していくしかない。

 こういう、降ってわいたような歴史の蒸し返しは、タカリ国家の常套手段である。慰安婦問題で付け入る隙が無いとみて、徴用工を歴史カードに昇格させたわけだが、日本側が仮に謝罪と賠償を受け入れ、その問題が終息したとしても、また第三の慰安婦問題、第三の徴用工問題が新たに提起されるだけである。お付き合いする暇もカネも、日本にはない。

 タカリは、なにも朝鮮半島固有の習慣ではないのも事実だ。反日サヨクも、この手段を頻繁に使う。さしずめ、こんなコラムも、同じ類いのタカリだろう。

(天声人語)関東大震災の教訓
関東大震災の混乱のさなか、ある銀行員が見聞きしたことである。広場で群衆が棒切れを振りかざしている。近づいてみると大勢の人たちが1人の男を殴っている。殺せ、と言いながら

▼「朝鮮人だ」「巡査に渡さずに殴り殺してしまえ」との声が、聞こえてくる。「此奴(こやつ)が爆弾を投げたり、毒薬を井戸に投じたりするのだなと思ふと、私もつい怒気が溢(あふ)れて来た」(染川藍泉〈らんせん〉著『震災日誌』)。朝鮮人が暴動を起こしたとの流言飛語が、飛び交っていた

▼人びとは武器を手に自警団を作って検問をした。「一五円五〇銭」と発音しにくい言葉を言わせ、日本人かどうか調べた例もあった。あまりに多くの朝鮮人が虐殺された

▼差別的な振る舞いや意識があったがゆえに、仕返しを恐れたか。官憲もデマを打ち消すどころか真に受け、火に油を注いだ。「当局として誠に面目なき次第」と警視庁幹部だった正力松太郎が後に述べている。不安心理が異常な行動をもたらす。忘れてはいけない教訓である

▼そう考えると、首をかしげざるをえない。朝鮮人犠牲者を悼む式典に、小池百合子東京都知事が追悼文を送らない方針だという。例年とは異なる判断である。都慰霊協会の追悼行事があるので、「個々の行事への対応はやめる」のが理由というが、見たくない過去に目をつぶることにつながらないか

小池百合子東京都知事


▼今からでも遅くない。方針を改め、追悼文をしたためてほしい。大震災から94年となる9月1日。風化を許してはいけない歴史がある。


 小池都知事が、関東大震災の混乱の中であったとされる、いわゆる朝鮮人虐殺事件を悼む式典に、東京都知事として追悼文を送らない判断をしたことに対し、左サイドから批判が噴出している。朝日は、その批判を拡散装置の役を担っているようで、半島勢力の特異なフレーズ「歴史を直視せよ」を、表現を変えて発している。

 ここで、関東大震災で朝鮮人虐殺があったかないかを述べるつもりもないし、それが主旨ではない。要するに、追悼という謝罪の受け入れが、この式典の主催者である日朝協会、ひいては元朝鮮人の利権になっていることを疑問視したいのだ。

 よく考えてみればわかるが、追悼というものは、要求するものではない。この都知事の判断を受け、日朝協会ら主催者からは「突然の方針転換は納得できない」と非難する声が上がっているそうだが、追悼がなければ「遺憾」を表明すればよいことであって、批判するというのは筋が違う。主催者側にとっては、追悼を受けることが暗黙の約束ごとになっているという認識なのだろうが、それが進んで、「都知事は必ず追悼をしなければならない」という定義を当てはめるのは、明らかに越権行為だろう。

 朴槿恵前南鮮大統領は、「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」という、通称「千年恨」を公言した。日本を永遠に加害者として定義し、加害者である日本は、南鮮に対して永遠に謝罪と賠償を行う義務があることを表した考え方だ。恨みを持つのは勝手だが、それを相手国に要求したり、相手国の義務として捉えるのは、発想としてはタカリ以外のなにものでもない。

 朝日新聞が、タカリの片棒を担ぐ「パシリ」のような存在に見えて来るのは私だけだろうか。


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