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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2016年12月12日

拉致被害者の生存を否定する、有田芳生の非日本人的発想

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 昨日も書いた、ユーキャン新語・流行語大賞事案。この件に対する批判的意見には、審査員の意思がどうであれ、このことばが肯定されることへの不快感があり、まして国会議員がその「死ね」ということばへの表彰を満面の笑みで受けるという非常識への批判もあった。そして、あまり表だって批判されていないことに、言霊がある。言霊とは、ことばが持つ霊力が、実際に起こる現実とシンクロすることを意味するが、他者に対して「死ね」ということばを発することへの不快感には、無意識に言霊を信仰する日本人の特性が現れているような気がする。

 12月10日から16日は、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」である。法務省のサイトによれば、この運動は「北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、その抑止を図ることを目的とする」とある。この運動に際し、法務省が啓発ポスターを制作したが、それに対し、有田ヨシフが愚劣な反応を示した。


 有田の論理によれば、日本政府が拉致被害者の生存の証拠を持っていないのだから、「必ず生きている」ということばを使ってはダメなのだそうだ。日本人らしからぬ、ことばへの平面的な理解…。この輩が、ジャーナリズムの世界に属していた事実を憂うのは、私だけではないだろう。

 「必ず生きている」ということばが、確証がある事実ではないことぐらい、誰でもわかる。生存の確証があるなら、話の展開は、既に別次元に入っているはずだ。「必ず生きている」ということばに込められたのは願望ではなく、「生きていることを信じて、救い出す」という思いであり、その思いを国民のコンセンサスにしようという働きかけだろう。被害者の生存を信じなければ、拉致問題への認識は深まりを見せず、事件の解決に対する国民的合意が固いものになることはない。また、ことばに秘められたも意味の中に、被害者家族への慰労や励ましがあることも、想像できるはずだ。

 有田がこの「必ず生きている」ということばを否定するなら、有田自身が拉致被害者が亡くなっている確証を持っているということになる。有田がそのことを意味する事実なるものを得ているなら、それは平壌から与えられたディスインフォメーション(故意に流す虚偽の情報)だろう。有田が平壌の手先となり、北への宥和政策を日本国民相手に啓蒙するためのエージェントとして動いている可能性すら否定できない。

 「必ず生きている」とは、日本人が持つ言霊信仰に訴えるものだ。その意味すら感じられないのであれば、有田が「特定日本人」と言われても不思議ではない。

北朝鮮拉致と「特定失踪者」―救出できない日本に「国家の正義」はあるか
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