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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2016年04月06日

第二の国歌があれば理想? ~ Webronzaのトンデモコラム

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 朝日新聞グループに、Webronzaというネット媒体がある。元外交官の佐藤優氏が推薦コメントを寄せていて、「朝日新聞のベテラン記者や編集者が執筆者を厳選している」と持ち上げているのだが、朝日の記者や編集者が人選すると言うこと自体、「バイアスかかってますよ」という宣言みたいなもので、これが推薦コメントになること自体が奇怪に思える。

 さて、そのWebronzaには「それでも「君が代」を歌いますか?」というテーマで“朝日が厳選した執筆者たち”がそれぞれの持論を展開しているのだが、4日に掲載された「「君が代」とは別の「第二の国歌」があれば理想だ」というコラムが2ch等で話題を呼んでいる。執筆者は大阪大学名誉教授の三島憲一という人物。「安保関連法の廃止を求める学生・学者・市民の共同行動」などでもスピーチをしている左傾斜型の学者である。内容は朝日が喜ぶような「君が代否定論」だ。

「君が代」とは別の「第二の国歌」があれば理想だ
野球観戦に耳栓は持って行きたくない
(WebRonza)

成熟度を示す球場の観客

 ときどきプロ野球の試合を観戦に行く。多くの球場では試合開始直前に「君が代」が演奏され、スタンドの観客も一緒に歌う。たいていの方は口パクのようだが、演奏前に「ご起立ください」とのアナウンスがある。
 小生はもちろん立たない。野球と「君が代」となんの関係があるのだろう。歌うと贔屓のチームが勝つなら歌ってもいいが。

 われわれの子供の頃は、大会社につとめているエリート・サラリーマンたちでも「君が代」を「ああ、相撲の歌か」と言って笑っていた。

 しかし、日本の市民の成熟度を示すのは、10人にひとりぐらいだろうか、あるいは、もっと少ないか、ひょっとしてもっと多いかもしれないが、やはり起立の要請に応じない観客が結構いることだ。

 ビールを飲みながら座ったまま雑談を続けている女性同士の観客もいる。

 いや、成熟度を最もよく示すのは、そういう観客に「なんで、あんた立たないんだ!」「国賊か!」「中国の手先か!」などとなじる人を見かけたことがないことだ。起立しない側も身構えずに、スマホで他の球場のスタメンをチェックしながら、質の悪いスピーカーから流れる音楽が終わるまで気楽に座りっぱなしでいられることだ。

 いろいろな考えの人がいることを皆さん、直観的に知っているのだ。うるさく言えば、価値観の多様化である。

 あるいは、皆さん、早く儀式を終わらせて、そのために高い入場料を払っている試合に入りたいだけのことかもしれない。これも価値観だ。

 昔は、演奏そのものも「起立」もなかった。多分アメリカの球場の慣行を真似たのだろうが、いつの頃からか、すべてのスタジアムではないが、「相撲の歌」だったのが、「野球の歌」になってしまった。

 もちろんこの流れにはある種の力が働いていよう。そして、「国賊か!」という叫びが ・・・続きを読む(残り:約3391文字/本文:約4156文字)


 朝日新聞に金を払うつもりはさらさらないので、残りの765文字について、書かれている内容は不明だ。だが、記事のタイトルと3391文字の内容を考えれば、執筆者の意図は想定の範囲内だろう。

 執筆者の三島は、君が代不起立が「日本の市民の成熟度」だという。成熟とは、精神が十分に発達した状態のことを言う。言葉尻を捉えるつもりはないものの、執筆者は、起立して君が代を歌う側こそ精神の発達が不十分だとでも言いたいのか。加えて、君が代を不起立で無視する輩を咎めないことが成熟というのは、咎めない側への甘えであって、起立しない側への肯定を意味するわけではないことを、執筆者は考えるべきだろう。

 三島は、君が代という国歌に対する態度の様々を「価値観の多様化」と表現する。これは、日教組をはじめとする戦後左翼の「君が代強制は特定の価値観の否定」、「強制は思想・信条の侵害」という、いつもの常套句だ。しかし、君が代や日の丸は、思想や信条などと別次元にある普遍的なもので、こんなことを外国人が聞いたらいい笑いものだ。小説家の浅田次郎は、以前フランス人記者から、「日本ではなぜ国旗・国歌が社会問題になるのか」と聞かれてハッとしたという。こんな議論をしているのは、世界広しと言えども日本ぐらいなものである。

 三島のような国歌否定論者にとっては、君が代は「日本のアジア侵略を正当化した憎き歌」というのが建前になっている。だが、仮にほかの歌が国歌になったところで、彼らはやっぱりそれを否定するだろう。要するに、君が代は象徴であり、彼らが忌み嫌うのは国家であり、国家のもとで特定の歌が「国の歌」になると、それはやはり「価値観の強制」になるからだ。単に君が代をスケープゴートにしているだけで、彼らの真の敵は国家なのだ。

 過去に記事にしたのだが、平成14年、第六十九回日本ダービーの生中継で国歌が流れる際、NHKは足慣らしをする馬の尻を次々と映し出し、それが国家が終わるまで続いたという。君が代斉唱時に馬の尻を映すのも価値観ということだろうか。


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