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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2016年03月02日

放送法による不自由さを、政治家に転嫁するのはジャーナリズムか?

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 田原や岸井、鳥越など左派ジャーナリストたちが、高市総務相発言に反発し、マスメディアの蜂起を呼びかけたのが一昨日。彼らが訴えたのは、政権による圧力によってメディア側が委縮し、息苦しさを覚えるという、なんら客観的事実に基づかないものだった。主張に説得力を持たせようと、メディア現場からの匿名での手紙を紹介したが、こんなものはいくらでも捏造できるし、実際の手紙だとしても、愚痴レベルである。なんの傍証にもならない。

 田原は81歳、岸井は71歳、鳥越は75歳。それぞれに戦後のジャーナリズムを支えてきた自負があるのだろうが、その自負が彼らの傲慢の下支えになっているのではないか。傲慢と思しき発言は、あの会見でいくつも飛び出した。昨日も書いたが、岸井の「政治的公平、公正っていうのは一般的公平、公正とまったく違いますからね」という発言、田原の「高市さんには恥ずかしい思いをさせなきゃいけないと思います」などは、まさにその典型例といえるだろう。

私たちは怒っている


 我々一般の社会人が、会社を興か会社員として働くかを問わず、常に口酸っぱく言われるのが「法令遵守」だ。事故を起こして免許を剥奪されるバス業者がある通り、法令に違反すれば罰則が科される。今回会見を開いたジャーナリストたちは、放送法という彼らを縛る法律があるにもかかわらず、それが「努力目標」であるかのように言い張る。立憲主義だの護憲だのを叫ぶジャーナリスト連中が、自分たちの法の恣意的解釈を正当化し、高市総務相には法を破れと言っているのだ。これがジャーナリストの姿だろうか。

 マスメディアもその業界にいるジャーナリストも、時代とともに、既得権益を失いつつある。今回、高市総務相発言を問題視したジャーナリストたちは、情報が一方的にメディアから一般人に流れる時代に全盛期を迎えた世代だ。情報の上流にいる自分たちが、下流にいる一般読者、視聴者に情報を“与える”という構図だ。この構図は、ネットの普及によって大きく崩れた。ジャーナリストに限らず、誰もが情報を発信し、広め、記録し、情報を取り出したければ“ググる”。

 このパラダイム転換に、彼らジャーナリストは全く付いていけていない。彼らは放送法第4条が努力目標のように言うが、ググれば誰でも第174条で定めた“総務大臣による業務の停止”に行き着くのだ。その一言で萎縮してしまうなら、今までの報道姿勢・編集方法が間違っていたということであり、心を入れ替えて法に則っていけばよいだけの話。至極単純である。

 田原らは、「放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない」と説く。しかし、「電波は国民のもの」という美辞麗句のもと、そのルールは事実上、法を無視し、放送する側が勝手に決めている。そもそも電波は国民のものと言うのであれば、国民に停波の権限があってしかるべきなのだが、国民ひとりひとりがそんなことを言い出したらキリがないので、国民はその権利を選挙によって選ばれた国会議員に付託しているのである。電波が国民のものというなら、民主主義による電波の管理は、選良が担うべきなのだ。

 会見での一連の主張は、時代に取り残されたジャーナリストたちが、放送法による自分たちの不自由さを、政治家に転嫁しているだけの話だ。放送法改正でも掲げて選挙に出てみたらどうなのか?

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