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今日は時間がないのでごくごく簡単に。例の東京オリンピックのエンブレム問題についてである。
私はあまりテレビを観る方ではないが、一週間のうちに必ず観る番組がある。テレビ東京系列の「和風総本家」 ―― 普段は裏方であり、ほとんど脚光を浴びることのない真面目でひたむきな職人に光を当て、その職人の「少しでも良いものをつくる」という心意気が見事に表現される番組だ。
日本は職人の国である。熟練の技も勿論だが、商品をよりよくするための創意工夫と独創性がなお素晴らしい。そういう職人を見ていると、今回の東京五輪のエンブレム問題は極めて残念であり、そして恥ずかしい。7月末のエンブレム発表直後から、エンブレム盗用疑惑がネットを縦横無尽に駆け巡った。もう、「どう考えてもアウトだろ」という証拠が出てきても、組織委は釈明に終始した。組織委は責任を撮りたがらないから、この問題を解決する唯一の方法は、佐野氏が自ら辞退することしかなかった。案の定、昨日、そういう形でエンブレム問題はリセットされることとなった。

組織委の対応は遅すぎた。彼等はこの問題が発覚し、騒動が拡大してから会見を開き、エンブレム・デザインの原型なるものを公表し、佐野氏の最初のデザインが、使用中止を訴えたベルギー東部リエージュの劇場のそれと似ておらず、作品の盗用はないと主張した。しかし、これは盗用を否定するためのものであって、結果的に盗用と疑われることに対する釈明としては、何の役にも立っていない。組織委は、「俺たちに責任はない」ということを言いたいがためにあの会見を開いたのだろう。しかし本来、パクリに動機もヘッタクレもないのである。結果的に盗用の疑いが晴れなければ、問題は引き続き残るのだ。
エンブレム選考における審査委員長である永井一正氏は、「佐野さんの説明は専門家の間では十分わかりあえるんだけれども、残念ながら一般国民にはわかりにくい」と語ったと言う。これも、一般国民をバカにした見解だ。エンブレムは国民全般に理解が必要なものであって、それを目にする諸外国の人々の理解があって成り立つものだ。専門家の物差しで決めるべきものではない。
デザイナーの佐野研二郎氏は、最後まで盗用を認めなかった。パクリを肯定してしまえば、彼のデザイナーとしてのキャリアは終わるだろうから、最後の抵抗なのだろう。しかし、既に彼のキャリアに未来はない。残念ながら、彼の余罪も明るみに出てしまった。組織委は、一時、そんな佐野氏との心中を模索したのだ。明らかに、責任問題である。
佐野氏のパクリが表沙汰になって以来、有志のエンブレムデザインがネット上で公開されている。私は扇をあしらったエンブレムが秀逸だと思う。どんなエンブレムになるかはともかく、選考過程にこれ以上の瑕疵があっては、国民が許さない。デザインは公募、選考は国民に開かれたかたちで行ってもらいたいものだ。

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