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少し前に、産経新聞阿比留記者のことばを引用しつつ、
安倍政権はバカ発見器だという趣旨のエントリーを書いたが、安倍談話が出た直後の左派メディアの対応を見ていると、安倍政権には確かにそういうファンクションがあると確信する。
ビジュアル的に顕著なのが、TBSとテレ朝である。TBSが安倍談話の生中継中、「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」という4つの」キーワードをチェックリスト風に並べ、視聴者の反感を買った話は一昨日書いたが、テレビ朝日も負けてはいない。同局の看板番組である報道ステーションでは、古館と女子アナウンサーの後に4つのキーワードを書いたのぼりを立て、ネットでは「合戦か?」「一揆かよ」と失笑された。

こういった報道局は、単一の価値観を絶対視し、それ以外の価値観は決して許さない。その傾向がもっとも顕著に出たのは、14,15日と16日の朝日新聞社説である。
とにかく、この2日の朝日新聞の社説は、感情むき出しである。特に安倍談話が出た翌15日の社説では、「安倍首相は」「首相は」と書き出すも、途中で「安倍氏」と表現が変わる。南鮮紙がよく「安倍は」と呼び捨てにするが、そのノリと同じ匂い。兎に角、敵意むき出しなのだ。
村山談話からの明らかな後退という、朝日史観が強烈なパンチを喰らったことは、どうやら自覚したようだ。「お詫び」に関して朝日は、「中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある」とし、その「わけ」を首相らの靖國参拝だとし、支那や南鮮の謝罪要求の正当性を主張する。このくだりに関しては、主語が明らかに支那、朝鮮になっている。「いったいどこの国の新聞か」と度々指摘される、朝日の真骨頂だ。
翌16日の社説では、朝日は権利をキーワードとし、その権利が圧殺されるかのような妄想を社説に綴った。
全体主義が進むなか、治安維持法や言論、出版、結社を取り締まる法が、情報を統制し、反戦、反権力的な言論を弾圧した。体制にものをいう大学教授が職を追われた。国民の目と耳は覆われ、口はふさがれた。
社会の生命線は、情報が開かれ、だれもが自分で考え、意見や批判をしあえることである。
よく、他人事のように書けるものだ。戦前の全体主義を牽引したのは新聞である。確かに、国による情報統制は存在した。しかし、そのお先棒を担いでいたのが朝日新聞をはじめとする新聞で、国民の目と耳を覆ったのは、他ならぬ新聞なのだ。その歴史を忘れたとは言わせない。
この15、16日の朝日社説を読んで、私はやはり朝日新聞が「宗教新聞」であると確信した。ここで言う宗教とは、西欧を中心とする一神教を崇める宗教を言う。一神教ではひとりの神を絶対化し、他の価値観を許容しない。経典を持ち、その絶対的価値を拡散するのが一神教の世界である。そのため、生命を尊べと教えている宗教でありながら、他の価値観を持つ者を邪教者扱いし、時に派同じ宗教でも宗派間で闘争が起きる。八百万の神の世界に生きる日本人には、心であろうと感覚であろうと、理解し難い。
朝日の場合、教義は日本悪玉史観だ。日本が戦前も、日本的な民主主義を持っていたことを、彼等は決して認めない。朝日にとって、戦前、戦中は、政治家と軍部によって国民が自由を奪われ、圧政に苦しんだというストーリーが必要だし、日露以後の日本の戦争は全て侵略戦争であり、アジア諸国の人々を苦しめたという前提を必要とする。だから、日本は永遠に野蛮な国として、蹂躙されたアジア諸国の人々に対し、永遠に謝罪しなければならないと教える。それ以外の価値観を、朝日は決して許容しないのだ。
安倍談話によって、朝日新聞の教義が崩れようとしている。安倍政権が謝罪の連鎖に終止符を打てば、朝日の教義は成立しなくなるのだ。だからむきになって、安倍談話を批判するのだろう。テレ朝の“のぼり”も、否定されようとしている教義を守るための条件反射と考えれば、腹に落ちやすい。
朝日新聞は、宗教は宗教でも、心の安息を与える宗教ではない。決して「多様な価値観」など許さず、特定の価値観を押し付ける、所謂カルト宗教である。
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