第二次世界大戦は、人類がこれまで経験した中で最も激しい戦争であり、当事者となった各国の国民が経験した苦難は深く、短期間で霧消するものではない。かかる戦争の和解は容易ではなく、そもそも完全な和解は難しいのかもしれない。現に、日本では東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、日系人の処遇、米国による占領の在り方について不満を抱いている国民がいるし、米国、豪州、欧州では戦争捕虜の処遇で日本に対して不満を抱いている人々が存在する。しかしながら、完全な和解は無理だとしても、日本と米国、豪州、欧州は戦後70年をかけて国民レベルでも支持される和解を達成したと評価できる。
戦争を戦った国々においては、終戦後二つの選択肢が存在する。一つは、過去について相手を批判し続け憎悪し続ける道。そしてもう一つは、和解し将来における協力を重視する道である。日本と米国、豪州、欧州は、後者の道を選択した。血みどろの戦いを繰り広げた敵との間でなぜ日本とこれらの国々は和解を遂げ、協力の道を歩むことができたのか。日本との関係で一つ目の道を選択し、和解の道を歩まなかった国々との違いはどこにあるのか。その解は、加害者、被害者双方が忍耐を持って未来志向の関係を築こうと努力することにある。加害者が、真摯な態度で被害者に償うことは大前提であるが、被害者の側もこの加害者の気持ちを寛容な心を持って受け止めることが重要である。これは、日本と米国、豪州、欧州の関係のみならず、独仏関係においてフランス側が、独・イスラエル関係においてイスラエル側がそれなりに寛大であり、ドイツとの関係改善に前向きであったことが現在の良好な関係に繋がっていることによっても証明されている。(18P~19P)
過去の国策の誤りを率直に認め、痛切な反省と心からのおわびを表明した村山談話は、国際社会に評価され、以後の日本外交の基礎になってきた。
それがあるのに、新たな安倍談話を出す必要があるかどうかは意見が分かれる。それでもあえて出す以上、日本と周辺国の間に新たな誤解や不信を招くようでは本末転倒だ。
首相自身の個人的な思いを超えて、日本国民を代表し、国際社会をも納得させる歴史総括にする責任が首相にはある。
そのためにも、以下の点に心を砕いてもらいたい。
戦争の惨禍を体験した日本人や近隣諸国民は少なくなっている。まずはこの人たちの思いに寄り添う内容にすることだ。
もうひとつは、中国や韓国とのこじれた関係を打開する和解のメッセージとしての性格を明確にすることだ。
談話に何を込めるか。首相の判断を世界が注視している。
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