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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2015年07月17日
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多数を否定する民主主義とはなんなのか

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 昨夜、報ステをちらっと見ていたら、稀代の偽善者がこういう趣旨のことを言っていた。

 集団的自衛権の行使は、政府が適切に判断すると言っている。しかし、その判断基準になるものが、特定秘密保護法によって護られているために、全て明らかにされるわけではない。


 この偽善者は、我々国民ひとりひとりが政府高官と同じ質と量の情報を持ち、政府の判断の可否を判断できると、本当に思っているのだろうか。思っているとしたら、単純にバカである。

 我々国民は、勤労し、納税し、子供に教育を受けさせる。そして、全ての国民が政治に直接的に関与するわけにいかないので、国民の代理人を選び、政治を付託する。信頼できると思う政治家を選び、良くないと思ったら落選させる。それを繰り返し、日本が正しい方向に向かうことを期待するのだ。それが、民主主義の基本的なシステムである。

 政治を代理人である議員に付託することは、決して白紙委任を意味するものではないけれど、我々は国会議員や政党を選んだ時点で、その代理人に政治を委任している。古館の言っていることは、政治家は基本的に信用ならぬ存在であるという蔑み。また、メディアは政治家を自由に評価してよい特権階級であるという傲慢さの表れだ。そして、政治家を選んだ有権者への冒涜である。

 一昨日、報ステで「政治を勉強してきたものとして言わせてもらうけど、民主主義とは多数決ではない」というコメントが出たそうだ。私は見ていなかったが、発言の主は、コメンテーターの中島岳志であるようだ。これは、TBSに出演した國分功一郎発言のデジャヴである。國分は、昨年12月にTBSのNews23に出演し、「民主主義っていうのは多数決じゃない。今の日本の政治体制は独裁の体制」と公言している。

nakajima-kokubun.png
中島岳志(左)と國分功一郎(右)


 多数決が疎んじられる民主主義とは一体何なのか。多数決が否定されるなら、国民の多数の意見が反映されない政治システムを、我々は抱えているということになる。それなら、我が国は支那や北朝鮮と同じではないか。彼等が安倍総理を批判する文句が「独裁」である。しかし、多数を否定することこそ、独裁の肯定なのだ。単純な論理破綻である。

 何が何でも憲法解釈による集団的自衛権の行使容認がダメだというなら、彼ら反対派は、「集団的自衛権はダメ」という条文を書いた憲法改正を発議すべきである。集団的自衛権反対派は、憲法解釈がダメというなら、解釈の余地を残さない憲法を提案せよ。

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[ 2015/07/17 07:17 ] 政治 | TB(0) | CM(27)
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