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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2015年05月18日

沖縄大集会と拉致問題 ~ 戦後日本の平和というまやかし

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 15日、沖縄本土復帰43年の日に合わせ、“市民団体”などが辺野古の周辺で「平和行進」なるものを行った。沖縄県内の米軍基地の閉鎖などを訴える運動らしい。加えて昨日、3万5千人(主催者発表)が集結し、辺野古への新基地反対を訴えた。15日のデモの画像を見ると、ノボリには全国の労組の名前が恥ずかしげもなく書かれていた。週末は勿論のこと、14日あたりの航空便の沖縄路線は、プロ市民と組合員で大混雑だっただろう。

 米軍基地反対・辺野古移設反対と叫ぶ人々は、「平和」を連呼する。基地が無ければ平和が来る、憲法9条があれば他国の侵略を受けないという空想的平和主義に基くものだが、そういった主義はどうでもよいのだが、彼等は、戦後の日本が本当に平和だったのかという検証を怠っている。空想的平和主義はほとんど宗教であるから、疑うことを知らないのだろうが、戦後の日本が平和だったとは思い難い。

 単に一発も銃弾を放たず、一発の銃弾も受けないことが平和だとしたら、それは銃撃戦が無かったという、一面的な事象に過ぎない。他方、日本の平和は、現実に壊されているのだ。拉致事件がその最たる例証だ。

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 拉致被害者にもご家族にも何の罪もない。しかし、彼等の「平和」は、北朝鮮と不逞朝鮮人とによって、何の前ぶれもなく破壊された。平和というものが、ひたすら願っていれば来るのなら、我々国民が一途に願い、祈れば、被害者は家族のもとに帰り、被害者を含めたご家族には、ふたたび平穏な日々が訪れるはずだ。しかし、現実は違う。平和というものは、願って手にするものではなく、自分たちで勝ち取るものなのだ。

 日本は、自衛を除けべ、国際紛争の解決手段としての軍事オプションは持たない。我々の世代も、それが平和を維持する仕組みだと教えられてきた。しかし、その仕組みを頑なに維持することにより、拉致被害者を取り戻しに行く実力行動は否定される。憲法9条、基地反対という、極めて宗教的な思考停止によって、拉致被害者とご家族のための問題解決の時間が、一日一日、遠のいていく。

 拉致被害者がご家族のもとに戻らない限り、日本に平和など訪れない。いま、あると思われている平和は、まやかしである。拉致事件は、憲法や基地問題などを忌避する、l空想的平和イデオロギーでは解決できないのだ。「いざとなったら実力を行使しても取り戻しに行くぞ」というオプションを持たなければ、ただでさえ困難な奪還は、よりその度合いを増す。救いを求める自国民がとわ割れていることを知りつつ、救助に行けない国家が、果たして国家であり得るのか。それでも日本は平和国家と言えるのか。

 沖縄に終結する活動家に理解せよと言っても無駄だろうが、少なくとも我が国で「平和」を語る時、拉致被害者とその家族の存在をひと時も忘れてはならない。

 私は残念ながら仕事で行けないのだけれど、5月21日には、沖縄の大集会よりもっと切実で喫緊な、救う会東京・救う会全国協議会主催の「北朝鮮に未来を描かせないためにやるべきこと 東京連続集会85」がある。このような集会にも、是非目を留めていただきたい。

北朝鮮に未来を描かせないためにやるべきこと 東京連続集会85
日 時: 平成27年5月21日(木) 午後6時半~8時半 開場6時
場 所: 友愛会館9階ホール(03-3453-5381)
参加費: 1,000円(事前申込み不要)


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[ 2015/05/18 07:17 ] 社会問題 | TB(0) | CM(13)
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