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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2015年03月11日

関東大震災のときの摂政宮と、東日本大震災のときの今上陛下

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 3月11日が来ると、色々な想いが胸と頭を通過する。ある想いは怒りであり、これは時の政権の無能さに向けられるものだ。そしてやはり、強い想いは震災でお亡くなりになった方々、いまだ帰らぬ行方不明者に対する哀しみである。昨年のこの日にもこの写真のことを書いた。

昭和天皇のお写真

 津波に流されたがれきの中にあった、昭和大帝、香淳皇后両陛下のお写真である。「仲睦まじい老夫婦が、ご自宅の壁にかけていたのかな・・・」。そんなことを勝手に想像してしまう。色々な方々の人生が一瞬にして奪われた忌まわしい3.11である。

 かつて、「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定されていた時代に、関東大震災が起きた。その時のことを過去のエントリーで書いたのだが、もう一度呼び起こしてみたい。

 関東大震災のあと、皇室はどう対応されたのか。

 震災が起きた1923年9月1日、大正天皇は御病気で、日光の御用邸でご静養中だった。東京におられたのが22歳の若き摂政宮で、後の昭和天皇である。

 若き摂政宮は震災当日は一睡もされず、徳川侍従次長より報告を受けられた。そして翌2日には、御内帑金一千万円を下賜された。当時の一千万円とは、今の貨幣価値で十億円を超えるとも言われている額だ。そしてその翌3日には山本首相を赤坂離宮に召され、その一千万円についての趣旨を伝えられた。

 そして4日には侍従武官を横浜、横須賀、東京市内に差遣されて慰問にあたらせている。7日になると、全国の御料林から材木を伐採し、急場の住宅建設用にと下賜された。さらに各宮家では、避難民のために庭園を開放され、さらに御座敷までも開放された。大富豪の大部分が門戸を固く閉ざし、一歩も入れない者が多いため、一般庶民からは怨嗟の声が高かったという。

 12日、震災から二週間と経たない時に、大正天皇のお名前に摂政宮が副署された詔勅が出される。詔勅では、「自分の天子としての徳がないからこのような震災が起きてしまうのだ」という趣旨が述べられ、また、「非常事態においては、平時の法規に拘泥せず、また機会を損ねて前後を誤るという愚を犯さず」と書かれている。

 15日、摂政宮自らが市内の視察を開始しておられる。総じて、「機会を損ねて前後を誤るという愚を犯さず」のお言葉通り、まさに電光石火のご対応だ。阪神淡路で自衛隊の派遣を逡巡した村山富市、4年前の大震災を自らのパフォーマンスの場として利用した菅直人のような人たちと比べることなど怖れ多いが、天地ほどの差がある。

 この昭和の大帝の先例を、今上陛下は十分にご存知で会ったのだと思われる。だから那須の御用邸を開放され、ご自身も被災地をまわられた。

被災地を訪問された天皇皇后両陛下


 ここに日本の歴史があるのだと思う。皇室と国民の紐帯は、震災を経験して更に強固になる。震災後、諸外国のメディアが現地に入り、現場で守られる秩序と被災者同士の思いやりの精神を世界に報道した。日本人以外には真似ができない姿勢、振る舞いに、世界が驚嘆した。更に突き詰めれば、世界広しと言えどもどの国にも真似ができないのが、日本の皇室と国民の信頼関係なのだと思う。

 震災に学ぶ点は数多あるが、日本における皇室の静かだが底知れぬ力も、「再認識した日本」のひとつだった。

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[ 2015/03/11 10:57 ] 皇室 | TB(1) | CM(6)
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