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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2015年01月12日

植村隆訴訟の根底には、人権擁護法法制化への地ならしがある

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 元朝日新聞の“捏造記者”植村隆が、先週9日、文藝春秋と東京基督教大学の西岡力教授を相手取って、1650万円の損害賠償と謝罪記事の掲載などを求める訴訟を起こした件だが、やはり釈然としない。

植村隆

 先に書いた記事の通り、植村は記者会見で終始一貫、自分が被害者であるかのような演出を試みた。彼は恣意的な悲劇のドラマにおける直接の原告を文藝春秋と西岡氏に設定したが、その周辺要因として、彼が勤務する大学への脅迫、家族への嫌がらせなどをあげた。私個人は、大学へ脅迫状を送りつけたり、家族の写真を晒したりするような行為は明確に非難する。そういう行為によって、「植村隆という人物と彼が書いた記事が持つ社会的責任」という視点を、敵方が「脅迫や嫌がらせという視点」にずらすに格好の隙間を与えることになり得るからだ。

 抗議活動というものは、その活動が社会的な支持を得る担保がなければ、事情を知らない一般人の心理が逆に作用するケースがある。勿論、植村とそのシンパ弁護士は、それらの「脅迫、嫌がらせ」を訴訟の要素に加える意図があったのだろうと考えられる。しかし、彼等はその「脅迫、嫌がらせ」を訴訟の真ん中に据えなかった。彼等が告訴したのは、文藝春秋・西岡教授という言論機関、言論人である。このことは何を意味するのか。

 ひと言で言ってしまえば、植村隆訴訟は、左翼政党がいまだに法制化を狙う、「人権擁護法案のシミュレーション」だということだ。この人権擁護法案ほど、「提出されては消え」を繰り返している法案もないだろう。この法案は、人権被害や差別の明確な定義もないままに、一方が人権被害を受けたと宣言すると、他方を訴える権利が生ずるという法案全体の曖昧さにある。国籍条項も曖昧だ。言論の自由とまともにぶつかる法案で、一旦法制化を見れば「天下の悪法」になるのは間違いない。そして、この法案を長く、地道に後押ししているのが、いつもは「個人」や「自由」を声高に求めるリベラル派の政治家、法曹、一般市民なのだ。

「君、それ差別だよ」

 170人の弁護士連中が、これから言葉狩りを始めるそうである。彼等は、まだ現実のものとはならない言論監視委員会を自ら組織し、言論監視体制に入るということだ。文春や西岡教授を訴えた植村の意図は別として、このサヨク弁護士大集の動きは、人権擁護法法制化への地ならしと見る必要がある。それが、文春や西岡氏の言論に対し、言論ではなく司法を利用する、彼等の明確な意図だろう。


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