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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2014年12月03日

マスメディアは事実だけでなく、公職選挙法も曲解する

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 第47回衆院選が、昨日公示となった。この日を境に、大手メディアのみならず、個人ブロガーも公職選挙法と睨めっこをしながらエントリーを書く12日間が始まった。もっとも、大手新聞もテレビメディアも、公職選挙法の拘束を受けている意識すらないのではないかと疑うことも多い。2009年の「政権交代」総選挙では、選挙期間中ですら、恣意的な報道、誘導を意図したかのような論評も多かったと記憶している。しかし今、メディアはネットユーザーによって監視される存在でもある。2日以降に、彼等が特定の意図をもって記事を書き、論評を掲載・放送すれば、敏感なネットユーザーが黙ってはいないだろう。

 ともあれ、選挙の公示以降、メディアはある程度の制約のなかで紙面や番組を構成することになる。言い換えれば、1日までは何を言っても良かったということだ。(実際は、そんなことも許されない筈だが。) 首相の衆院解散宣言から12月1日に至るまでの間、反日メディアはその「自由」を存分に利用してきた。彼等はその「自由」を背景に、「解散と選挙に大義がない」、「政権の暴走」、「アベノミクスは失敗」などと、精一杯のネガティブ・キャンペーンを展開してきた。朝日新聞や毎日新聞の社説を一覧で出せば、彼等の意図は手に取るように分かる。大半が安倍政権批判に利用されているのだから。

 何故新聞はこうも偏向するのか。色々調べてみて行きついたのが、今から48年も前に出された、「公職選挙法第148条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解」という文書だ。

公職選挙法第148条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解(要旨)

1966(昭和41)年12月8日
第222回編集委員会

 第148条は、新聞が選挙について報道、評論する自由を大幅に認めている規定である。この報道、評論の自由を個々の記事の具体的扱いにあてはめてみると、従来の選挙訴訟をめぐるいくつかの判例でも明らかなように、はじめから虚偽のこととか、事実を曲げて報道したり、そうしたものに基づいて評論したものでない限り、政党等の主張や政策、候補者の人物、経歴、政見などを報道したり、これを支持したり反対する評論をすることはなんら制限を受けない。そうした報道、評論により、結果として特定の政党や候補者にたまたま利益をもたらしたとしても、それは第148条にいう自由の範囲内に属するもので、別に問題はない。いわば新聞は通常の報道、評論をやっている限り、選挙法上は無制限に近い自由が認められている。したがって、選挙に関する報道、評論で、どのような態度をとるかは、法律上の問題ではなく、新聞の編集政策の問題として決定されるべきものであろう。

 従来、新聞に対して、選挙の公正を確保する趣旨から、ややもすれば積極性を欠いた報道、評論を行ってきたとする批判があった。このことは同条ただし書きにいう「......など表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」との規定が、しばしば言論機関によって選挙の公正を害されたとする候補者側の法的根拠に利用されてきたためだと考えられる。

 しかし、このただし書きは、関係官庁の見解あるいは過去の判例によっても明らかなように、一般的な報道、評論を制限するものでないことは自明であり、事実に立脚した自信のある報道、評論が期待されるのである。


 私は法律関係には門外漢だが、公職選挙法の第148条は、報道や論評の基本的な自由を認めている。但し、その自由には制約がある。抜粋してみれば、これらの条文だと考える。

  • 虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない
  • 何人も、当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、これに選挙に関する報道及び評論を掲載し又は掲載させることができない

 この制約に照らし合わせて、上記の「公職選挙法第148条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解」を読んでみると、かなり興味深い。この統一見解は、新聞協会が非常に勝手な論理で法解釈を行い、自分たちの言動を正当化しているかを文章にしたようなものなのだ。

 統一見解では、「特定の政党・候補者を支持もしくは反対すること」は新聞社の自由の範囲内であり、その「支持もしくは反対」によって特定の政党や候補者が利益もしくは不利益を与えられたとしても、それは「単なる結果」であるから、「新聞社が責めを負うことはない」と言っているのである。そういう前提に立つことにより、新聞各社がどのような態度を取るか(=どの政党を貶めるか)は法的制約を受けず、新聞社の編集方針によって決められるものだと言っているのだ。

 こういう論法は、報道の自由を担保にしつつ、第四の権力としてのさばってきた新聞社の体質を良く表わしている。彼等は自分たちが指図される側だとは思っていない。社会を誘導し、世論を形成するのは新聞社だという自尊心が旺盛であり、その傲慢さの根底にあるのが「報道の自由」だ。その自由は「制約を前提とした自由」であるはずなのだが、いつの間にか「制約などない自由」にすり替わっている。

 産経などごく一部のメディアを除き、2009年の政権交代選挙では、彼等は特定の政党(民主党)を当選させる目的をもって紙面を構成し、選挙に対する報道・論評を行った。少なくとも私はそう見ているが、朝日新聞などを問い詰めても、「民主党が勝ったのは結果だから、報道に瑕疵はない」と言い張るのだろう。

 新聞報道や論評を鵜呑みにしてはいけない。報道や論評には必ず社是という下地があり、それをあたかも中立を装うような形で編集するのが新聞社なのである。有権者がやらねばならぬのは、自分の力で情報の取捨選択をし、選りすぐった情報を自分の頭で理解し、考えることだ。


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