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江藤淳が自刀し命を絶ってから15年。今日は江藤氏の命日である。文藝評論家ながら保守の論客として活躍し、戦後左翼思想家の代表格のひとりである吉本隆明をして、「小林秀雄同様、江藤さんの文章自体が文学になっている」と言わしめた人物だ。私が最近購入した、小川榮太郎氏の「
最後の勝機」、山村義明氏の「
GHQの日本洗脳」などでも、巻末の参考文献のなかに記載されるほど、江藤の功績はいまだに大きく、影響力を持つ。
その江藤淳が、1960年という、私も産まれていないころに書いた論文「“戦後”知識人の破産」のなかで、戦後の進歩的文化人の「平和主義」、「民主主義」、「国際主義」という絵空事を採り上げ、こう批判している。
「平和主義」についていえば、それは武力のかわりに「絶対平和」という点で万邦に冠絶しようという急進的な心情のあらわれであり、「中立主義」とは、結局世界支配のかわりに国際的な権力関係から離脱したいという願望の政治的表明にすぎない。
しかし、実際には、「平和」とは戦争を回避する努力の継続ということにほかならず、この努力が生かされているのは相対的な国際関係のなかにおいてである。万邦にさきがけて、などということが可能なわけではない。また、「中立」とは、おそらく東西二大勢力のいずれにも荷担せず、恒に紛争のらち外にいるという特権的な位置のことではなく、問題に応じてどちらかを支持するという判断を留保する努力のことであろう。
平和を唱えれば平和が実現し、憲法9条の無抵抗平和主義を世界に広めようなどという言説、もしくは行動が、国際社会において何ら意味を持たないことを明確に指摘したものだ。江藤の存命だったとしたら、「憲法9条を世界遺産に」などという不見識な運動については容赦なく批判しただろう。
さて、この「平和とは戦争を回避する努力の継続ということ」ということを理解できないのが、朝日新聞をはじめとしたサヨクメディアである。最近のテレビ・新聞報道などを見ていると、「オスプレイ 東京上空を初めて飛行(NHK)」、「オスプレイが東日本に初飛来 地元自治体は反発(朝日新聞)」、「オスプレイ 危険の拡散は許されぬ(東京新聞)」、「オスプレイ丘珠到着 道内初飛来 きょう駐屯地で公開(北海道新聞)」など、まるで悪魔が日本全土に押し寄せるような報道が目につく。

オスプレイ
このオスプレイ関連報道が、必ず報道しなければならない件であるとは、どうしても思えない。他に報道すべき事案は山ほどあるにもかかわらず、このことが優先される謂れはない。政府は、戦争を回避するための継続的努力の最も重要なものとして日米同盟を位置づけ、オスプレイ配備という課題はその一環であるにすぎない。
「オスプレイが飛んできたら、それは必ず墜落して人が死ぬ」という言説には何ら根拠が無く、「集団的自衛権の行使を容認すれば、必ず戦争に巻き込まれ、人が死ぬ」、「原発があれば必ず事故が起きて人が死ぬ」、「特定秘密保護法が制定されれば、政府は情報を隠匿し、国民の知る権利が侵される」という情緒的、扇動的なプロパガンダと同類だ。それは、日本というコップのなかで、無知蒙昧な“ある程度の層”には響いたとしても、国際世論およびその情勢には何ら影響力を持たない。
朝日新聞や進歩的文化人が主張する「護憲」や「憲法9条を世界へ」というのは、単に「ウチには鍵をかけないけど、泥棒は入ってくれるな」という紙を、進んで玄関に貼りだすような愚劣な行為である。それで家を泥棒から守れるのならよいが、公正や信義を持つ“信頼できる泥棒”がいるなら、それこそお目にかかりたい。
そんなプロパガンダ散布役を買って出ている一人が、かつて江藤淳の論敵と言われた大江健三郎だ。反原発運動は、っ過去に、吉本隆明にも批判された。江藤や吉本は、天国で、「大江はやっぱり変わらないな」とため息を漏らしているのではないだろうか。
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