私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2014年06月

集団的自衛権「他国の戦争に巻き込まれる恐れがある 71%」考

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 昨日のエントリーでは、毎日新聞が必死になってかき集めた集団的自衛権反対のための世論調査について触れた。そのなかでも特に異彩を放つ回答が「日本が集団的自衛権を行使できるようにした場合、他国の戦争に巻き込まれる恐れがあると思う」という回答が、全体の71%を占めた部分だ。繰り返しになるが、この世論調査は、そのもとになった設問を掲載していない。だから、この71%が誘導されたものなのか、あくまで“素”の回答なのかはわからない。ただ、仮にこの71%という数字をそのまま受け入れるた場合、これは日本人の世間知らずぶりが如実に表れた数字だと言える。

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 厳密に言えば、「恐れがある」と回答する場合、僅かな可能性を考慮してそう回答する人もいるだろうし、可能性が大いにあると考える人もいるだろう。しかし、国連憲章で謳われる集団的自衛権が加盟国共通の理念である以上、その71%の人たちは、間違いなく、この権利を有する国連加盟国193カ国に同じ「戦争に巻き込まれる恐れ」があるとは考えていない。同じ権利を有する192カ国に「恐れ」がなく、日本にだけ「恐れ」があるという考え方がおかしいのだ。

 単純に考えてみよう。戦争に巻き込まれる恐れがあるという考えの背景は、いくつか考えられるが、最も大きな理由は「日本は憲法9条によって守られてきたから」という迷信だから来るものだろう。こういう迷信を崇拝する護憲派の人たちは、軍事力ではなく「話し合い」で物事を解決しようと説く。軍事力の行使は、問題解決の手段として彼等のスタンスの対極に在るものだから、決して容認しようとはしない。

 ただ、「話し合い」は軍事力を行使した後に、最後の調停に使われる手段であるのが現実なのだ。支那は、パラセル諸島の領有について、話し合い以前に実力行使している。フィリピンとの問題であるスプラトリーでも同じだ。「話し合い」とは、実力を行使し、自国に有利な状況を生みだしておいてから行うものなのだ。

 そのようなリアリズムの中に身を置くとき、相手国に実力行使をさせないことが、「話し合い」よりも大切なのである。それを担保するのは、抑止力以外にない。集団的自衛権の行使を容認すると、戦争に巻き込まれる恐れがあるという人たちは、どうすれば戦争に巻き込まれない状態を作れるかを考えればよい。「話し合いをする」だとか、「憲法9条を守る」という観念論では、対外的な説得力をなんら持ち得ないことを理解すべきだ。

 集団的自衛権の行使容認派にしたって、戦争が起きても構わないと思っている人は殆どいないだろう。ただ、目の前に有事が発生する可能性が少しでもあれば、それに備える体制や法体系を整えることは行政府や立法府の当然の責務であって、政府にとっては義務と言ってもいい。その考え方、進め方に異論を唱えるのは自由だ。だが、単なる情緒や観念論だけで反論せず、説得力がある対案を出すべきだ。


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