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日本維新の会が分党するそうである。石原慎太郎、橋下徹両共同代表が昨日名古屋で会談し、懸案であった結いの党との合流問題について協議。石原氏が分党を提案し、橋下が了承したと伝えられる。
結いの党との合流に関しては、少し前までは統一会派を組む案で進んでいたようだが、ここにきて話は合流を前提にし、一気に加速したようだ。今さら書くまでもなく、維新・結いの合流に関して障害となっていたのが、石原氏を中心とした旧太陽側が主張する「自主憲法制定」という理念である。結いの江田憲司らがこの理念を頑なに拒否し、橋下は石原・旧太陽を袖にし、江田に擦り寄ったかたちだ。
もともと、大阪維新には旧太陽の保守的な理念を由としない風潮があり、綱領の中で石原氏が書いた「占領憲法」という表現にも拒否反応があったことは、過去の報道の通りである。旧太陽側に「自主憲法制定」という理念があったとはいえ、党綱領にも、最近はとんと聞かなくなった維新八策にも、「自主憲法」という文字はない。「改正」という言葉に変換されている。石原氏が橋下氏に対し、「譲ることに疲れた」と言った通り、妥協は限界に来ていたのだろう。

蜜月だった頃(?)の石原・橋下コンビ
今言うと結果論になってしまうけれど、私はそもそもこの日本維新の会という政党の成り立ち ―― もとをただせば大阪維新の会と太陽の党(たちあがれ日本)の合流自体が無理筋であったと思う。橋下が本音を語ったのは、2012年の11月。旧立ち上がれ日本のメンバーを念頭に、「合理性を感じない人とは政治はやりたくない。
古い『真正保守』とか言っている人たちには、早く退場願った方がいい」と豪語している。この発言は、太陽の維新への合流の半月前のもので、合流劇に多少の綱引きはあったにせよ、これは理念の否定=存在の否定という意味を持たせた暴言だった。
この頃、橋下は、「“たちあがれ”のメンバーの力は別に必要ないです。
石原さん個人の力が必要なわけであって、その他のメンバーの力は、まったくいりません」と断言している。要するに橋下は、石原氏を一本釣りし、地方政党の色が濃い維新に全国区の看板が欲しかっただけなのだ。平沼赳夫氏をはじめとする旧太陽系の議員諸氏は、今までよく我慢されたものだと思う。
なんだか、1996年のデジャヴである。当時、後の総理大臣、いや“後のルーピー”鳩山由紀夫が、さきがけを分かち、新党を立ち上げる動きを見せていた。その時ルーピーは、自社さ連立政権の色がつくのを嫌い、さきがけの武村正義(元蔵相)の入党を拒否した。新語・流行語大賞に選ばれた、いわゆる「排除の論理」だ。その時に横からしゃしゃり出てきたのが菅直人である。菅は新党結成に賛同し、社民はみんな入れようとか訳の分からない事を言って掻き混ぜた。
分党を提案したのが石原氏であることを差し引いても、これを今の政局に置き換えると、新党を作ろうと言っているルーピー役が橋下、排除された武村役が石原氏、横からしゃしゃり出てきて「あの人たちも入れよう」と掻き混ぜている菅役が江田である。そして、新党に入れようと言われている「彼等」役が細野だ。
そして誕生したのが、あの民主党(旧民主党)だ。民主党は、あらゆる思想を持つ議員を集めた結果、政権は取った。だが、国民の失望と怒りを買い、ほぼ再起不能だと言える。橋下・江田主導の新党は、このなかから議員を拾い集め、議席を増やす努力をするのだろう。つまるところ、彼等が言うところの政界再編とは、新旧民主党の誕生の経緯と酷似していることから、やはり『新たな民主党らしき政党』が生まれるだけの話だろう。逆にすっきりする。第一、アントニオ猪木や小沢鋭仁らと憂国議員諸氏が同じ党に入ること自体が不自然だった。
今日、石原氏は会見を開くという。発言に注目したいが、いかんせん、石原氏ももうお歳だ。有望な若手保守系議員の処遇だけはしっかりやってもらいたい。
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