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福田恒存が支那のことをこう書いている。
中国
私は中国を見た、この足で歩いた。そしてその苦しみを知った。中国の近代化などと言はれても、少しも実感が湧いて来ない。あの、十億だか、十二億だか、戸籍も不充分な人間にどうして、そんな事が出来ようか。近代化が行はれる前に、それに適応できる素質がなければ、すべては水泡に帰する。鄧小平氏は、それができると思つて言つたのではない、出来ないからこそ、言つたのだ。それに恐らくは政敵を斃す手段として。
私は鄧小平氏を非難するために、以上のことを言つたのではない。同情して言つてゐるのだ。誰がやつても、中国の平定は出来ない。毛沢東も出来なかつた、だから永世革命を唱へたのではないか、鄧小平氏の自由化はそれを裏返しにしたに過ぎまい。平定すべき「国家」には、やはり適正な領土と適正な人口が必要である。
Wikipediaを参照する限り、この「問ひ質したき事ども」は1981年の著書だから、文化大革命が終結してそれほど時間が経っていない頃の支那観である。鄧小平が“出来ないからこそ”国家の近代化や平定を公言したという見方が興味深いが、その強弁をプロパガンダと見れば、彼の民族の性質は今もって少しも変わっていない。
G2の一角と言われるまでに成長した支那経済だが、その恩恵を享受するのは沿岸部のごくわずかに限られる。内陸部はいまだに近代化から取り残され、貨幣経済が行き渡っていない地域もあると聞く。支那が無ければ経済がまわらないと言われて久しいけれども、それとは反対に、人件費の上昇等によって「世界の工場」という謳い文句も立ち行かなくなりつつある。国内にめぼしい産業はなく、外需頼みの経済がこの先どういう展開を見せるか、多くの経済学者が論戦を展開している。即ち、支那の成長は約束されたものではないのだ。
渡部昇一氏の書籍を読むと、興味深い事が書いてある。支那のひとりあたりの農民の耕地面積は、この小さな日本の農民の平均の一割よりも小さいという。鉱山資源は殆どなく、石油もない。森林はほとんどはげ山で、水もあまりない。本来、国家としての役割は、自国内に産業を興し、雇用を生み、その経済の循環によって国民に富を分配することにあるはずだが、支那の場合、矛先は外国の領土に向かうのだから困りものだ。その方向性を担保するのが、増強の一途を辿る軍事力だ。人民の貧困など、中共の頭にはないのだ。日本の帝国主義云々と批判をするが、その実、その帝国主義を自ら実践している。
いま、支那と台湾が相互に市場開放を促進する「サービス貿易協定」で、支那が台湾を飲み込もうとしている。武力ではなく経済による支配だ。それに対し、台湾の若者が立ち上がった。台湾の学生たちが台湾立法院(国会)の議場を占拠し、馬英九政権に対し、同協定の撤回を求め、籠城を続けている件だ。
ご存知の通り、台湾は支那とは違い、民主主義国家である。この台湾の学生たちの行動が示すものは、選挙による政治リーダーの選出は、その政治指導者に対して白紙委任状を出したことを意味しないということだ。選挙がない支那人には理解不能だろうが、これは民主主義のメカニズムのひとつである。日米安保当時の日本における学生運動と同列に語る人もいるが、少し違うと思う。日本の学生運動には、志はあったにせよ、少なからず暴力が含まれていた。今般の台湾学生の抗議は、極めて穏便に、平和裏に行われている。民主主義の成熟を示すものだろう。
台湾の政治マターに口出しすることは内政干渉になるが、学生等を色々な形で支援することは可能なはずだ。日本から、彼らへの連帯の意思を伝えよう。彼等の民主主義が一党独裁の中共の経済的浸食に打ち勝つことができれば、台湾の自立は夢物語では終わらない“実現可能な理想”になる。
加油、台湾!
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