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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2014年02月15日

朝日新聞の(声)欄には、嘘と偏狭な思想が溢れている

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 様々な情報が溢れている国内にいると、好むと好まざるとにかかわらず、目や耳から入ってくる情報で脳がアップデートされますが、異国の地にいると、情報はある程度取捨選択が可能になります。そんな状況にあって、わざわざ朝日新聞をチェックするのも物好きなことですが、この新聞に対する私の“興味”は底知らずなのです。

 朝日新聞が良く使う手(これは他の新聞も似たり寄ったりですが)に、「自分が語らず、他の誰かに語らせることによって、論説に客観性と説得力を持たせようとする試み」があります。以前は、朝日の論説委員や記者が堂々と、かつ恥ずかしげもなく「北朝鮮は地上の楽園」などと書いていたはずですが、嘘が段々ばれてくると、自社のイデオロギーに同調する他人に語らせ、あたかもそれが「市民を代表する声」とか「有識者の声」という体裁を取った上で紙面を構成します。

 いま、ソチでオリンピックが開催されていますが、下記はそのオリンピック報道に関する「市民」の声として、朝日新聞デジタルに掲載されたものです。

(声)五輪報道、国家を背負わせるな

 福祉施設職員 濱田敏也(神奈川県 49)

 ソチ五輪が佳境に入り、メディアで日本選手の健闘が伝えられている。だが、報道ぶりに違和感を覚えるのは私だけだろうか。
 それは「頑張れニッポン」という意識や語りがあることである。頑張っているのは選手一人ひとりであり、ニッポンが頑張っているわけではない。メディアはメダルの獲得数を国別で比較、メダルに届かなかった日本選手に落胆ぶりを隠せない出演者も見かける。
 メディアは選手に国家を背負わせてしまう姿勢から抜けきっていないように思える。東京五輪で銅メダルを獲得したマラソンランナーが、メキシコ五輪での活躍が期待される中、故障のため思うように走れないこともあり「すっかり疲れ切ってしまって走れません」との遺書を残して自ら命を絶ったことを思い出す。
 スポーツは楽しみ楽しませるために存在していると思う。選手に国家を背負わせてはならない。報道のあり方を考えてもらいたい。


 この場合の代弁者は一般市民です。この「市民」の方の考え方は、戦後民主主義(この場合は戦後レジームの意)がたいそう大事にしてきた個人主義を至上の価値観とし、国家というものをなるべく考えないようにしてきたリベラルな思想がプンプン漂ってきます。朝日新聞をはじめとする左翼メディアは、国家を疎んじ、国民を「市民」と呼ぶのを好みます。民主党が、仙谷由人が主導した憲法改正草案で、高らかに「地球市民」と謳い上げたのと同質です。日本人には国がなくても良いと、本気で思っているのでしょう。

 この(声)に出てくるマラソンランナーは円谷幸吉さんですが、円谷さんの遺書には国家に対する恨みつらみは一文字も記されていません。従って、円谷さんの自殺と国家の間には、明確な因果関係はないのです。それをあたかも「国家に潰され、死を選んだ悲劇のランナー」に仕立て上げ、それを追認する形で掲載し、読者を誘導しようという朝日新聞の報道倫理とは、どのように解釈すれば良いのか?「市民の声」だから何でも許される、もしくは少々の勘違いは許されると言うなら、朝日新聞は大新聞の看板を下ろし、タブロイド紙にでもなり下がれば良いのです。(私個人は、潰れた方が良いと思っていますが。)

 もう一つのパターン…といより常套手段は、サヨク的御用学者に語らせ、あたかも背後に博識や権威があると見せかける手段です。朝日新聞は昨年秋以降、特定秘密保護法に反対する大キャンペーンを張った際、この手を使いまくりました。その手は、上の「市民」と同じ(声)にも使われます。

(声)メディアと市民が試される時だ

 大学名誉教授 後藤乾一(東京都 70)

 デフレ脱却の高揚感を推進力として安倍政権は教育や、NHKなどメディアに対しても明確な方向を打ち出している。だが、安倍晋三首相の姿勢は配慮や謙虚さを欠き、方向性も危うさに満ちているように思える。
 特定秘密保護法や靖国神社参拝などにおいても然(しか)りである。これらは別個のテーマではなくすべてつながっている課題である。だが、首相らの発言や行動は本当に公の利益にかなっているのだろうか。ネットで瞬時に世界に伝わる現在、不用意なあるいはむき出しの本音は国民益を損なうことになりかねない。
 一元的な価値観で塗り上げ、異なる立場を排除しようとする狭量さも見える。その影響がメディアや教育の現場で強まっていることを憂う。かつて「権力に強く潮流には弱い」と言われたメディアが権力にも弱くなっているためだろうか。
 「大東亜戦争」の直前、戦後東大総長となった南原繁は「あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を」と短歌を詠み、国際政治学者の大平善梧は「言論の統制重く新聞の活字のうらをよみとらんとす」と嘆じた。メディアに課せられた重い責任と、政治に向かう市民一人ひとりの知的勇気が、今ほど試される時はない。


 また出ました「市民」(笑)。朝日新聞の目下最大の敵は安倍政権であり、NHK会長の籾井氏、経営委員の百田、長谷川両氏への批判は、遠回しの政権批判です。だから、安倍首相の足元を揺るがすような(揺るがすと“朝日が”考えた)トピックがあれば、よだれを垂らして喰いつきます。この後藤乾一なる人物の寄稿文は、紛れもない朝日新聞へのエールで、「独裁政権対マスメディア」という構図を読者に植え付けるための仕込みと読み取れますが、こういう識者然とした体裁を作ってもボロを出すのが朝日です。答えはWikipediaにあります。

Wikipedia ー 後藤乾一

インドネシア人労務者3000人を底なしの穴に突き落として虐殺した、という「ブキチンギの穴(日本の穴)」を寄稿した。高山正之によれば、この記事はやがて当時の関係者が知る事になり、工事中は一人の死者も無く、作業に従事した労務者達には日当が支払われ、要塞ではなく防空壕であり、後藤が何も調査をしないで発表したものと判明した。(以上、抜粋)


 捏造がお家芸の朝日新聞にとって、歴史を捏造した学者は、同じ血の匂いがして引き合うものがあるのでしょうか。後藤氏は、「一元的な価値観で塗り上げ、異なる立場を排除しようとする狭量さ」という言葉を、朝日にこそ向けるべきです。朝日新聞の場合は「狭量さ」などという次元は遥かに超えて、実態は「嘘つき」ですから、ツッコミどころは満載のはず。それとも、同じ敵を倒すという価値観の連帯は、嘘も許してしまうのでしょうか。それなら学者という肩書きも下げた方がよろしい。

 朝日新聞の社説は、私のような反朝日も毎日“楽しませて”くれますが、(声)も要注意です。中途半端な動機で購読しておられる読者の方には、一日も早い購読中止をお勧めします。



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