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仏アングレームで起こった日韓漫画騒動だが、日本の漫画を極めて不公平に扱ったこの事案をきっかけにし、愛国保守派の反仏感情が急速に増加しているようだ。現地を訪れた日本人の方によれば、慰安婦を否定することは「歴史修正主義」と捉えられるという。つまり、フランスでは、日本軍による慰安婦の強制連行という虚構を歴史的事実と捉える考えが支配的であり、このことに反発するのは「ナチスドイツのガス室は存在しなかった」と主張するようなものであるという。情報戦において、日本は完全に後手に回っているということだ。
同じフランスにおいて、駐フランス中共大使が駄文を寄稿したのだが、その中には「ヒトラーの墓に花をたむける人がいると想像してみて欲しい」という一文があったということだ。「世界はナチスと日本を同列に並べて論ぜよ」というのが彼等の策略であることが良くわかる。
支那が日本に対して持つ感情は、ひと言で言えば憎悪だろう。だが、その憎悪を拡張するために、彼等は世界に向けて、事実ではなくプロパガンダを散布している。ひと昔前であれば、「人民の不満を内政に向かわせないよう、外に敵を作ってガス抜きをする」という手法だと解説されていたが、今はもうそのレベルを遥かに超えている。彼等は、敗戦後に米国が画策したように、日本が二度と立ち上がれないように外堀を埋めているのである。
彼等は手段を選ばない。選ばないというより、日本に対してなら何をしても良いと思っている筈だ。そのひとつの例が、映画「
東京裁判」の映像にある。所謂戦犯とされた日本の先人に対する、支那人の扱いについてだ。
上海監獄という建物からバスが出てくる。それを数多の支那人民が見物している。被告である日本兵は、後ろ手に縛られた上でトラックの上に乗せられ、大きな札のようなものを括りつけられ、市中引き回しの屈辱を与えられる。そして処刑場に連行され、後ろから銃殺される。おぞましい映像だ。

上海監獄から出てくる“所謂”戦犯を迎える支那人民

後ろ手に縛られ、市中を引き廻される“所謂”戦犯

公衆の面前で処刑される“所謂”戦犯
いま、私たち日本人に牙をむいているのは、こういう民族なのである。何もこのような画像を持ち出して、「一緒に支那人を嫌いになろう」と呼び掛けているのではない。ただ、彼等の本性を知っておかなければならないと思うのだ。
巣鴨プリズンの受刑者たちは、戦勝国の論理で裁かれ、不当に命を奪われた。だが彼等は、刑の執行までの間、少なくとも受刑者としての扱いは受けたはずだ。我々の目が及ばない外地で処刑された先人たちのなかには、裁判すら受けられなかった人もいる。また、明らかに冤罪だと周囲が気づいていたにもかかわらず、処刑された人たちもいる。上海の映像は、明らかに尊厳を蹂躙されたリンチ的な処刑を物語っている。
支那は、先の大戦後の世界で、最も多くの命を奪った国家である。平気で自国民に銃を向けるのも、この国家だ。自国民に銃を向けるほどの国家が、我々の事をナチスと同等だと主張している。彼等はそのような暴言を吐く資格を、戦勝国という立場に求めている。そしてその主張を裏支えしているのが、間違いなく村山談話だ。これほど理不尽なことがあるだろうか。
世界は腹黒い。その中でも、我々の隣人はとびきり腹黒い。彼等と情報戦を戦うなら、日本人にもよほどの覚悟が必要である。
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