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聖徳太子が制定した十七条憲法は、日本で初めての成文法である。天皇を中心とした国家をつくるという規範を表わした面で、歴史的にも非常に意義の大きな法だ。だが実は、十七条憲法で天皇が出てくるのは三番目である。順を追って見てみると、こうなる。
一曰:以和為貴/人と争わずに和を大切にしなさい
二曰:篤敬三寳/三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい(三宝=釈迦、その教え、僧)
三曰:承詔必謹/天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい
「和を以て尊しとなす=人と争わずに和を大切にする」。この第一条は、見事なまでに、日本民族の性質に影響を与え続けている。極端に言えば、拘束していると言っても良いかもしれない。仏教を尊ぶ前に、そして天皇を尊ぶ前に、規範として「和」があったのである。東日本大震災の被災地で見た助け合い、譲り合いの様相は、この「和」なくして説明するのが難しい。
そんな「和」を大切にする日本人が特定の民族や国家を嫌うとしたら、余程の理由があるのである。簡単に言ってしまえば、日本という国が東亜の独立を目したのが大東亜戦争だが、その東亜独立という目的には、間違いなく「和」の精神があった。戦後教育と体制は、「日本は侵略国家」という刷り込みを行ってきたが、当の東亜の国々は、いわゆる侵略を根拠に日本を恨むどころか、極めて親日的だ。いまや、日本に対して反感を表わす国が特定アジア3国のみだというのは、一般常識になりつつある。
上のグラフは、
日刊SPAのサイトに掲載されている、内閣府による「韓国に対する親近感」世論調査の推移である。約35年前からの親韓度と嫌韓度の推移が可視化されているが、この推移は興味深い。日本のメディアは、南鮮で盧泰愚が退任する1993年頃まで、「南鮮は軍事政権であるために怖い国家で、反面、北朝鮮は楽園である」という宣伝を行っていた。90年代までの南鮮への親しみの無さは、その影響があるのかもしれない。99年あたりから親近感が増し、2009年あたりにはその親近感がピークを打つ。冬ソナが放送されたのが2003年。以降、親近感は急激に上昇する。この頃、南鮮当局はほくそ笑んでいたはずだ。
ところが昨年、南鮮に対する感情が急激に悪化する。昨年を境に、南鮮に対する親近感に急激な反転が生じた。転機はどう見ても、李明博の竹島不法上陸と、その後に李が発した天皇謝罪要求発言である。だがこれは、くすぶっていた日本人の反韓感情に火を付けたに過ぎない。
日刊SPAが掲載する通り、この李の暴挙以外に、日本人に半島民族を嫌悪させる事象は数多くあるのだ。
- ・2001年
- 新しい教科書』の内容に対し、韓国が抗議&内容修正を要求
- ・2002年
- サッカーの日韓ワールドカップ開催
- ・2003~4年
- 『冬ソナ』ブーム
- ・2005年
- 島根県「竹島の日」制定に対して、韓国で大規模抗議デモ
- ・2007年
- 米大学で韓国人留学生による銃乱射事件発生
- ・2009年
- アメリカで「慰安婦の碑」建立運動始まる
第2回WBC。韓国チームがマウンドに太極旗を立てる。- ・2010年
- バンクーバー五輪で浅田真央とキム・ヨナが対決
- K-POPブームが本格化
- フランスの「ジャパンエキスポ」に韓国ブース出展
- ・2011年
- 東日本大震災に対する韓国の反応(「日本の大地震をお祝いします」の横断幕)
- スイーツ世界大会で韓国チームが日本チームを妨害
- 高岡蒼甫ツイッター事件→お台場デモ
- ・2012年
- 李明博大統領の竹島上陸&天皇への謝罪要求
- ロンドン五輪サッカー男子日韓戦での「独島パフォーマンス」
この李の竹島上陸と天皇謝罪要求以後、「観音寺(対馬市)の仏像窃盗事件」、「朴槿恵の千年恨発言」が起き、悪化した南鮮への感情は修復不可能なところにまで落ちた。
この間、日本から南鮮に対する何らかのオフェンシブなアクションがあれば、彼等の反日言動の理由にもなるのだが、日本は極めて冷静に振る舞っている。竹島の教科書記述や閣僚の靖國参拝などは、彼ら独自の反応であり、世界的に観て奇異、かつ挑発的な行為ではあり得ない。
李の竹島上陸だけなら、修復の可能性はあったかもしれない。だが、李の行動の以前に、南鮮のアクションによって日本人の心に嫌韓感情が鬱積していたわけで、李の行動は単なるダメ押しでしかないのだ。李は竹島上陸の直後に天皇謝罪要求発言をし、反韓の火をさらに燃え上がらせた。そこに朴槿恵がしゃしゃり出てきて、その火に油を注いだというわけである。朴槿恵への支持率は徐々に降下しており、南鮮元首が支持を失った時に必ず切る反日姿勢は、更に激化する可能性がある。急激に増加した反韓感情は、いくら和を尊ぶ日本人でも、心にしっかり刻み込まれている。忘れっぽい日本人でも、忘れることはないだろう。
ちなみに何度か「修復」という言葉を使っているが、私自身は修復など必要がないと考えている。ただひたすら、視覚や聴覚、そして思考の中から“南朝鮮”という存在を消したい。
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