私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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インドの安倍首相“国賓”招待と、藤原岩市中佐の知られざる功績

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 安倍首相が、肝入りの日本版NSC法案の審議を欠席してまで、トルコを訪問した。国会審議の欠席には賛否があるだろうが、訪問自体は日本と親日国トルコの蜜月ぶりを表わすものだった。原発の受注という成果以外に、エルトゥールル号の乗組員の子孫や、イラン・イラク戦争下に孤立した日本人をテヘラン空港から救出したトルコ航空機の機長の親族らと懇談したことも、日本とトルコの絆を再確認する意味で貴重だった。

 もうひとつの親日国にインドがある。私はかなり驚いたのだが、来年1月26日に行われる「共和国記念日」の式典に、インドが安倍首相を“国賓”として招待することを日本政府に打診していると、共同が伝えている。インドには法律で定められた全国一律の祝日は3日しかない。1947年にイギリスから独立した8月15日の独立記念日、10月2日のガンディー生誕記念日、そして1950年の憲法発布を祝う1月26日の共和国記念日だ。独立記念日は別にあるものの、インドにとっての共和国記念日とは、憲法を制定し、共和国へ移行し、名実ともに自主独立を勝ち取った日を記念するもので、インド国民には重要な日だ。日本の首相では初めてというのだから、なかなかの厚遇といえる。

 インドは親日国である。何故親日国かというと、永きに渡る英国の弾圧と搾取の歴史からインドを開放し、独立のためにともに闘ったのが日本だったからだと知られている。確かにそれは正解ではあるが、それだけでは十分だとは思えない。そこには、精神性がなければならない。つまり、インドの独立が日本の国益にかなうからという理由だけで日本人が闘ったのであれば、それほど強固な紐帯は生まれない。真にインドの解放と独立を祈り、愛情と誠意をもって同じアジア人の将来に渡る幸福を目指して闘うという大義が共有されたからこそ、インドは日本に対する愛情を持ち続けるのだと思う。

 日本ではほとんど知られていない、藤原岩市という人がいる。陸軍中佐であり、少なからぬインドの人々に「メイジャー・フジワラ」として知られる人物だ。先の大戦で、大本営からタイ、バンコクに転じ、主に諜報活動を担う特務機関「F機関」の機関長として活躍された人物だ。F機関のFは、Friendship(友情)、Freedom(自由)、Fujiwara(藤原)にちなんでいる。

藤原岩市

 当時若干31歳であった藤原機関長は、短期間大本営での情報、宣伝、防諜業務に携わっただけで、秘密工作には実務経験のない素人同然。その上、現地語も英語もろくに話せない状態で、その上、マレー、インドの土を踏んだことは一度もない人物だった。「F機関」に与えられた部下も、当初は6~10名程度。その貧弱な部隊で、藤原中佐は、アジアで搾取を続けてきた欧州列強へ心理戦を仕掛けた。現地のインド人、マレー人、華僑を宗主国から離反させ、味方につけるのだ。当時の日本軍は、アジアで快進撃を続けていた。戦闘に勝利すれば当然、捕虜を獲得する。その捕虜の中から、白人以外の軍人を集め、被植民地の独立を勝ち取ろうと、演説をぶつのだ。この手法で彼はインド人捕虜を集め、インド国民軍の基礎をつくる。のちに計5万を数える軍隊創設の実現だ。

 主役はあくまでインド人である。自由を勝ち取るのは日本人ではなく、インド国民なのだ。そして、後に樹立されることになるインド政府は、日本の傀儡であってはならない。藤原はその信念を1ミリも曲げず、ひたすら至誠と情熱を以て、インド独立に向けたムーブメントを後押しして行った。少しでも打算を見せれば、心が離れる。だから藤原中佐は、インド独立のために身を捧げる覚悟を持ち、「至誠と信念と愛情と情熱」をもって作戦を遂行して行った。

 日本が戦争に負け、藤原中佐も後に投獄された。シンガポールのチャンギ刑務所に拘留され、F機関が行った様々な工作に関する厳しい尋問が行われた。その時の英軍のマレー探偵局長との会話が興味深い。

探偵局長 「貴官は一般歩兵将校で、陸軍大学校卒業後、野戦軍参謀を経て、短期間大本営の情報、宣伝、防諜業務にたずさわっただけで、この種秘密工作の特殊訓練や実務経験のない素人だという。しかも、語学も、現地語能力は皆無、英語はろくろく話せないとのこと。その上、戦前、マレイ、印度の地を踏んだ事もなく、この度の現地関係者と事前に、何の縁もなかったと訴える。更に貴官の部下将校は海外勤務の経験も、この種実務の経験もない若輩の将校であったとの事。そんなメンバーから成る貧弱な組織で、このようなグローリアス・サクセスを収めたと云っても、納得できるだろうか、納得し得る説明を加えられたい」

(中略)

私は、この好意の局長に満足を得る回答を与えたい、局長の云うことも道理だと思うけれども、名答が浮ばない。私はしばし考え込んでしまった。そして、これより外にないと思い至った所信を、誠意をこめて語った。

藤原中佐 「それは、民族の相違と敵味方を超えた純粋な人間愛と誠意、その実践躬行ではなかったかと思う。私は開戦直前に、何の用意もなく準備もなく、貧弱極まる陣容で、この困難な任務に当面した時、全く途方に暮れる思いに苦慮した。そしてハタと気付いたことはこれであった。英国も和蘭も、この植民地域の産業の開発や立派な道路や病院や学校や住居の整備に、私達が目を見張るような業績を挙げている。しかしそれは、自分達のためのもので、原住民の福祉を考えたものではない。自分達が利用しようとするサルタンや極く一部の特権階級を除く原住民に対しては、寧ろ、故意に無智と貧困のまま放置する政策を用い、圧迫と搾取を容易にしている疑いさえある。ましてや民族本然の自由と独立への悲願に対しては、一片の理解もなく、寧ろこれを抑制し、骨抜きにする圧政が採られている。絶対の優越感を驕って原住民に対する人間愛――愛の思いやりがない。原住民や印度人将兵は、人間、民族本能の悲願――愛情に渇し、自由に飢えている。恰も慈母の愛の乳房を求めて飢え叫ぶ赤ん坊のように、私は、私の部下とともに、身をもって、この弱点を衝き、敵味方、民族の相違を超えた愛情と誠意を、硝煙の中で、彼らと実践感得させる以外に、途はないと誓い合った。そして至誠と信念と愛情と情熱をモットーに実践これを努めたのだ。われわれが、慈母の愛を以て差し出した乳房に、愛に飢えた原住民、赤ん坊が一気に、しがみついたのだ。私は、それだと思う、成功の原因は」と力説した。

探偵局長 「解った。貴官に敬意を表する。自分は、マレイ、インド等に二十年勤務してきた。しかし、現地人に対して貴官のような愛情を持つことがついにできなかった。」


 藤原中佐の回顧録が、「F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐」という書籍になっている。興味ある方はご一読されるとよいと思う。

 安倍首相がインドに主賓として招かれるなら、その待遇は藤原中佐のような方々がいてこそのものである。



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