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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2012年08月06日

大江健三郎と、戦後民主主義と、反原発デモと。

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昨年秋に、ツイッターで「大江(健三郎)は日本の誇りではない」とツイートして批判されたことがある。批判してきた人は、「ノーベル賞作家まで罵倒するのか。日本の誇りの一つだろう」と反論してきたが、大江健三郎という人物が日本の誇りなどと信じる人は、彼の言動をつぶさに調べた方が良いだろう。

1994年、大江はノーベル文学賞を受賞した。
私は文学には門外漢なので、大江の文学に対する価値は分からない。
ただ、問題はここからだ。
大江は、ノーベル文学賞受賞に慣例として与えられる文化勲章の受賞を辞退した。理由は、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」「戦後民主主義者に国民的栄誉は似合わないから」というものだった。
文化勲章は、皇居内の宮殿で、天皇陛下から直接授与されるものだ。
大江の文化勲章辞退は、天皇、皇室という日本古来の価値観を拒否したことに等しい。
この辞退を同じサヨクに属する筑紫哲也に批判されたのは割と知られているが、作家の曽野綾子氏にはこう批判されている。

安全な日本に住み、日本の社会構造の恩恵だけは受けながら、日本人民の選んだ国家の形態を拒否して見せるのがかっこいいとするのは、甘さというものである。

どう考えても、曽野氏の指摘の方が筋が通っている。

大江健三郎という人物に関して言えば、作家でありながら政治的な発言を繰り返して来たために、エピソードに事欠くことはない。
例えば、大江が昭和58年6月に毎日新聞に寄稿した文章に、こういうものがある。

日本の現実を、あらゆる日本人の生活を、じりじりひたしていこうとしている“静かな再軍備”に抵抗するためには、ぼくらはもっと注意深く発言し、報道しなければならないだろう。(中略)ここで十分に政治的な立場を意識してこれを言うのだが、ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと思っている。


今から30年も前の寄稿文だが、この文章から21年経った時点で「九条の会」なるものの呼びかけ人となり、「不戦を誓った日本国憲法第9条を変えるな、変えさせるな」と叫んでいることから見ても、大江の考えは終始一貫している。
政治的イデオロギーを持つことが悪ではないが、防衛大学生を「恥辱」と規定するのは、明らかに差別発言と言えるだろう。
戦後民主主義は、個人的人権の保障やら、個人の自由を絶対視するものだが、大江にとっては防衛大学生の人権など、どうでもよいということである。

最近、江藤淳の対談ものを読んでいて、面白いものがあった。
江藤淳は、大江健三郎の論敵と言われた保守派論壇の重鎮だ。これはまた古く、昭和35年という今から50年以上前の「安保改定・我ら若者は何をなすべきか」という対談だ。
古すぎるという批判もあるかもしれないが、極めて暗示的なので、少々引用する。

大江 ところが大衆運動というものは、ある段階では非民主主義的なテロ行為が必要である場合もあるわけです。個別的、偶発的なテロはいけないけれども、若い人間の運動がある頂点に達したとき、一種の集団的なテロ行為に移ることは、ぼくは非難さるべきではないと思いますね

江藤 たとえばどういう……?

大江 たとえばデモ隊が岸首相をとりこにして、引退するという言質をとったとする。殺してはいけないけれども……。そういうことは、非常に有力な中核団体によって支持されて、規律正しく行なわれるならば、ぼくはあってもいいと思う。

江藤 ぼくは反対だ。国会構内乱入ということがあって、さかんに批判された。ぼくもこれは批判したいと思う。もし入るなら、次のプログラムがなければならない。結局何をしたらいいのかわからないのに入るということは愚劣ですね。

大江 きのう銀座を歩いていたら、デモ行進をみんな見ているわけだ。ぼくのそばで見ていた女の子が〝これ、なに″と聞くと、〝全学連だよ〟と男の子が教えてやってる。こういう銀座を歩いている無関心派に反省を求める必要があると思うのです。

江藤 しかし、人間は日常生活の中で怒りをだんだん忘れてくる。しょっちゅう怒っていると早い話が胃も悪くなるしね。それはどみんな生活が楽じゃない。非常に疲れている。だから一般市民を強制命令の形でデモにかり出したとしても、堂々めぐりで結局実を結ばない。十五年間、進歩陣営はそうやってきたわけでしょう。

大江 ぼくはデモ賛成派なんで、デモに参加する機会があるくせに参加しない学生に対しては非常に怒りをもちますね。学生の中で、生活もあまり苦しそうでない連中で、戦後よく育った、体の大きい子供がいるね。その人たちが、銀座を歩いていて、デモをただ見ている。彼らにもデモに入ってもらいたいと思いますね。

江藤 スローガンに問題かあるよ。ただ鉢巻をしめて、強い言葉をつらねているでしょう。要するにソ連、中共を善とし、アメリカを悪とする価値観で動いている。だからそれ以外の人はデモに参加しないが、現状維持派かというと、彼らは彼らなりの批判をもっている。ウコサベンしている商業新聞の投書欄が反対の投書で埋まるようなことになるわけです。

大江 江藤さんのご意見は、リアリスティックだと思う。しかし、この問題に関する限り、ぼくは文学者としてのリアリズム信仰を捨てて、デマゴーグに踊らされる一兵卒になりたいと思うのです。いま若い人で、岸反対の人間がいて、同じ学校で一つのデモが行なわれている ―― それに参加しないやつがいたら男らしくないと思う。


あまりにお粗末な論理である。
当時は私は産まれてもいないので、安保闘争をお粗末と言える状況にあったのか無かったのか、同時代性を以って語ることはできないが、大江の言う闘争は、デマゴークに踊らされる一兵卒という言葉に良く現れている。
つまり、「理由などなくてもいいからとにかくデモに参加しろ!しないと男らしくない」という幼児性が露わな短絡的な行動であり、それを江藤に「次のプログラムがない。ただ鉢巻をしめて、強い言葉をつらねているだけ」とたしなめられている。
このとき、大江はただのデモ屋だったのである。
江藤は「大江氏が「やつは敵だ。敵を殺せ」という意味で政治的発言をはじめたのはこの時が最初」と追想しているが、対談から50年経ち、大江の頭の中にはいまだに、そしてひたすらに「反体制・反国家」があり、そんな人が反原発デモを呼び掛けている。
先月、「この反原発デモの中心に、大江健三郎とか落合恵子がいる時点で、完全にアウトだ。」と書いたのは、やはり過去の言動からみて、仮に私が反原発を志向していたとしても、こんなヤツと行動を共にすることは御免こうむりたいからだ。

毎週金曜日に官邸を取り囲むデモに参加している方を批判しようなどとは毛頭思わないが、ご自身がスピーチに拍手喝采を送る大江健三郎という人物の、過去から現在に至る思想を知ったとき、ドン引きする可能性があることは、知っておいて損はないと思う。


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[ 2012/08/06 11:17 ] 社会問題 | TB(0) | CM(7)
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