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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2012年08月04日
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空想的平和論と日本人の情緒感覚

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東京の雰囲気は、想像できないほど情緒的なもののようだ。私にはそれが、あまりに特異な国の出来ごとに思われてしかたがない。
カンボジア全体の軍事情勢は、ほぼ安定している。(中略)しかし日本の新聞をひろげると、「空洞化する和平―カンボジア総選挙」とか「風前の灯のカンボジア和平」(中略)などと派手に扇情的にあおっている記事や社説が多いのに驚いてしまう。


これは、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)代表を務めた明石康氏が1994年、中央公論に寄稿した「明石康カンボジア日記」に書かれた一節である。
日本のマスメディアが報ずる記事を鵜呑みにしてしまうと、悲観的な状況としか理解しようがないものであっても、現場ではまるで感覚が違うという例証だ。

当時はカンボジアへのPKO派遣が政治問題化しており、朝日新聞などは「自衛隊ではなく非武装の別組織を派遣すべきだ」という主張を垂れ流していた。
これは、守旧メディアの感覚のズレが、究極の域にまで達していたことを意味する。
ある程度の危険を考慮しなければならないために、自衛隊を派遣するのであって、そのような場所に非武装の民間人を出し、誰がその人たちの身の安全を守るという部分はすっ飛ばす。
事実、このような非武装の民間人ボランティアであった中田厚仁という方が殺されている。
カンボジアでの悲観的情勢を報道で煽りながら、自衛隊はダメ、まして海外派遣など言語道断という論戦を張り、非戦闘員による平和維持活動こそが未来志向であると主張し、民間人に及ぶ危険には口をつぐむ。
論理破綻という以前に、犯罪的と言っても過言ではないだろう。

こういう空想的平和論は害である。
この空想的平和論は、「非武装中立こそが世界平和を構築する手段である」というもので、自衛隊が憲法違反であるという論戦の以前に、極めて情緒的な主張に過ぎない。
日本人は等しく、大東亜戦争で310万人の同胞の命を失ったというトラウマを持っている。
それは戦中と戦後直後に生きた方々により深いだろうし、戦後教育を受けた今に生きる我々の心の中にも存在してる。
この情緒が時に厄介な存在になる。
時に、その情緒というものが、論理的整合性をも凌駕してしまうからだ。

オスプレイの問題にしても、原発再稼働反対にしても、同じである。
原発の再稼働のひとつの問題は、再稼働に至る政府の意思決定プロセスに大きな問題があった。3.11後、何もしていなかったのに、曖昧な福島冷温停止宣言をし、生煮えの議論(議論があったことすら信用できない)しか経ていない安全基準を設定し、再稼働に踏み切った。
毎週金曜日に官邸を取り囲むデモ参加者のなかにも、色々な考えが存在するのだろうが、その行動は「情緒」に支配されている気がしてならない。
何故なら、原発を全廃した直後の日本の姿が、論理性をもった主張として、彼らの口から伝わってこないからだ。
オスプレイの件についても、同じ匂いがする。
危険だと叫ぶ人たちは「安全原理主義」なのだろうが、実際、飛行機事故の致死率は一般の車よりも低い。そもそも、事故を起こさない乗り物など、この世に存在しない。
もとより、この手の人達は、米軍基地そのものが存在悪だという「情緒」に支配され、国の安全よりも市民の暮らしに優先度があるのだから、何言っても通じないのだろうが。


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[ 2012/08/04 15:34 ] 社会問題 | TB(0) | CM(2)
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