FC2ブログ

私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2012年06月12日

国会で炸裂した「石原節」 ~ 尖閣を守る主体は国民である。

← 応援クリック、ありがとうございます。

石原東京都知事が11日、衆議院の決算行政監視委員会に参考人として出席し、国の尖閣諸島への対応について、怒りをあらわに「石原節」を炸裂させた。

いったい、誰がこの島を守るんですか。政府にやってもらいたいよ。
『東京がやるのは筋違いだ』と言うけど、筋違いだよ。筋違いだけど、やらざるを得ないじゃないですか。
『強盗に入るぞ』と宣言されて、戸締まりしない国は、間が抜けていると思います。
こんな、ばかな目にさらされる国、どこにあるんですか。あなた方の責任だよ、自民党の責任だよ、政府の責任、国会の責任ですよ。しっかりしてもらいたい。
(国会議員に対し)皆さん、有志がいたら行ってください。東京の船を提供しますから、行ってくださいよ。国会議員は行ってくださいよ。


約21分間、「石原節」の独演会だった。
石原都知事の言うとおり、ここまで尖閣問題をたな晒しにしてきたのは、一義的には自民党の責任である。民主党でそれがいっそう著しく劣化したという話である。
言うならば、自民党そのものが戦後レジームをここまで引きずってきたということだ。
戦後、日本を支配したGHQは、米国はもちろんのこと、支那への批判も検閲対象とした。支那への批判は一切メディアに載らず、批判を抹殺する言論統制が敷かれた。
ここから日本は変節すると思われるのだが、強制された検閲が、メディアの自主的な自己検閲に姿を変え、それが支那賛美へと変わっていく。
支那を侵略したと刷り込まれた国民は、支那に対しては事を荒立てることを是とせず、批判されても黙ってきた。
言うならば、国民レベルで自らを検閲してきたのである。

外交はもろに影響を受けた。
今月5日に開かれた、超党派の「日本の名誉のため行動する国会議員の会」の会合で、外務省担当者がいわゆる慰安婦問題に関する韓国の宣伝計画への対抗策として語ったことが、いみじくも戦後レジームそのものなのである。

「先方(韓国系団体)は確信犯的にやっている。放っておいていいことではないし、政府としては、主張すべきことは主張する。ただ、よい結果をもたらすには水面下で静かに活動した方がいい」


水面下で動くというのは、主張すべきはするのだが、その手法は努めて冷静に、事を荒立てずにということである。
韓国や韓国系団体が、意図的に表立った行動をし、「世界世論の形成」に奔走する傍らで、冷静に、事を荒立てずなどという手法が通用するのか、少なくとも国益にかなうのかというと、必ずしもそうはならない。
事実に反することは毅然と否定し、国の主張を広報するのも外務省の責務だろう。
ちなみに、昨夜の報道ステーションで古館と解説者が「冷静な対処」を強調していたのは、偶然の一致ではなく、彼らとて戦後レジームの典型的具体的だからだろう。

江藤淳は、もう20年以上も前に書いた『「無システム時代」と日本の外交』という短い論文のなかで、外交をこう定義した。

 外交とは、いかにして一国の生存を維持するかという技術である。生存が維持できないと、後のことはすべて消えてしまう。生きてさえいればいい、ということではないのだ。もちろん、国が滅びても民は生きつづけているというケースは存在する。イスラエルという人工的国家はできたけれども、もう三千年の流浪を続けているユダヤ人がいい例で、国が滅びても人は生きている。だが、パレスチナ問題一つを見ても、流浪の民は外交の主体にはなかなかなれない。外交とは、国民、民族をそういう状態にしないようにするための技術なのである。
 ところが、現在の日本の外交はどうか。まことにお寒い限りといってよいだろう。なにしろ現行憲法と日米安保条約という二つの条件で目隠しされている限り、いかにして国家民族としての生存を維持するかという問題に、戦後の日本人は一度も直面させられたことがないからである。
(中略)
 今、我々は米を食い、味噌汁を飲んでいる。そして、そのような生存の様式を守り続けるように国として配慮するのが外交であり、防衛なのである。それ以外の何物でもない。覇権を持っていた当時のイギリスの外交官は、外交とは、何らかのイデオロギーとか理想とか価値を実現するためにあるのではなく、自分たちが今まで守ってきたものを守り続けるためのものだという考えを強く持っていた。日々の自分たちの一番なれ親しんだ生活を守っていけるかどうか、が鍵なのである。
(中略)
 過去二千年の歴史を見ると、日本は花も咲いたし、枯れ木の手前までいったこともある。どちらも経験している国だ。しかも今日、国は非常にいびつであるけれど、そのいびつであることを自覚しはじめている国民がいる。それは私は、むしろ希望を持たせる要因ではないかと思っている。

江藤淳 「無システム時代」と日本の外交
日本よ、何処へ行くのか」より


外交とは国家生存のための技術なのである。
国家とは、国民の生命と財産から成り立つものだが、その財産のなかには、当然ながら領土、領海、領空も含まれる。
領土、領海、領空は、国民の身体の一部なのである。
それを保守して行くのが外交であり、何らかの外的要因によって、身体やその一部が侵される場合、国家主権を発動することは当たり前だ。
石原都知事は、そのことを国民に訴えかけたのであり、その結晶が、11億円を超えた尖閣買い取り寄付金であると言える。

政治家石原慎太郎は、日本国民が戦後レジームから脱却するための象徴的存在である。
「いったい、誰がこの島を守るんですか。」という問いに対し、国民の側は「政府だ」と答えるのではなく、「国民だ」と答えるようになってこそ、はじめてまともな国家になれると考える。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2012/06/12 11:26 ] 外交 | TB(1) | CM(1)
カレンダー
05 | 2012/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
Banners
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ



憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会
twitter
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ