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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2012年03月10日
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大震災から一年 ~ 日本人の死生観という文化

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東日本大震災から一年が経とうとしています。
今朝の産經新聞に、山谷えり子さんが短い分を寄稿していますが、その中で柳田国男の「先祖の話」を引いています。

参院議員・山谷えり子 奪われてなお生きる国民の情操

 昭和20年4月に戦後の混乱を意識して書き始めたという「先祖の話」には、日本人は死んだら終わりと考えず死後は魂となって故郷の山々から子孫の生業を見守り、幸せと繁栄を祈り続けてくださると考える、と記されている。


何かの偶然か、丁度この「先祖の話」という論文を他の書籍で断片的にではあるけれども読み、日本人の死生観を再認識したところでした。
「先祖の話」は、柳田国男あが敗戦の直前に書いた論文で、昭和二十年の四月上旬に筆を起こし、激しい空襲にもかかわらず、五月の終りまで書き続けられたものです。刊行されたが昭和二十一年四月で、時期的にはGHQの検閲を受けている可能性もありますが、それでも書かれている内容は核心をつくものと思います。

 私がこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まつて、さう遠方へは行つてしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられてゐるといふことである。是が何れの外来宗教の教理とも、明白に喰ひ違つた重要な点であると思ふのだが、どういふ上手な説き方をしたものか、二つを突き合はせてどちらが本当かといふやうな論争は終に、ただ何と無くそこを曙染(あけぼのぞめ)のやうにぼかして居た。そんなことをして置けば、こちらが押されるに極まつてゐる。なぜかといふと、向かうは筆豆の口達者であつて、書いたものが幾らでも残つて人に読まれ、こちらは只観念であり、古くからの常識であつて、もとは証拠などの少しも要求せられないことだつたからである。しかも斯様な不利な状態に在りながら、なほ今日でもこの考へ方が伝はつて居るとすると、是が暗々裡に国民の生活活動の上に働いて、歴史を今有るやうに作り上げた力は、相応に大きなものと見なければならない。先祖がいつ迄もこの国の中に、留まつて去らないものと見るか、又は追々に経や念仏の効果が現はれて、遠く十万億土の彼方へ行つてしまふかによつて、先祖祭の目途と方式は達はずには居られない。
(中略)
ただ私などの力説したいことは、この曠古の大時局に当面して、めざましく発露した国民の精神力(大東亜戦争のこと)殊に生死を超越した殉国の至情には、種子とか特質とかの根本的なるもの以外に、これを年久しく培(つちか)ひ育ててきた社会社会性、わけても常民の常識と名づくべきものが隠れて大きな働きをして居るのだといふことである。
(中略)
……是も急いで明らかにして置かねばならぬ問題は、家と其家の子無くして死んだ人々との関係如何である。是には仏法以来の著しい考へ方の変化があることを、前にもくだくだしく説いて居るが、少なくとも国の為に戦つて死んだ若人だけは、何としても之を仏徒の謂ふ無縁ぼとけの列に、疎外して置くわけには行くまいと思ふ。勿論国と府県とには晴の祭場があり、霊の鎮まるべき処は設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。家としての新たなる責任、さうして又喜んで守らうとする義務は、記念を長く保つこと、さうしてその志を継ぐこと、及び後々の祭を懇ろにすることで、是には必ず直系の子孫が祭るので無ければ、血食と謂ふことが出来ぬといふ風な、いはゆる一代人の思想に訂正を加へなければならぬであらう。死者が跡取ならば、世代に加へる制度を設けるもよし、次男や弟たちならば、之を初代にして分家を出す計画を立てるもよい。ともかくも嘆き悲しむ人が亦逝き行き去つてしまふと、程なく家無しになつて、よその外(ほか)棚を覗きまはるやうな状態にして置くことは、人を安らかにあの世に赴かしめる途では無く、しかも戦後の人心の動揺を、慰撫するの趣旨にも反するかと思ふ。


大東亜戦争における戦死者を如何に弔うかという内容です。
西洋の思想を以って、日本古来の死生観、引いては死者と生者の関係性を理解することは不可能だということですね。
死者が生者を見守る、そしてその死者に対して、生きている側は国、自治体、家が、祭祀を通して死者を慰め、いたわることをしなければならない。
わけても子孫がなくて死んだ若人が家だけによって祀られるとするなら、いずれは家が途絶えて誰も祀る人がいなくなるから、別の考え方が必要になるということです。

戦没者に対しても被災して亡くなった方に対しても、 生者は決して彼らのことを忘れないといということ。彼らのことを記憶の中に留め、同じ空間を共有しながら生きていく。
それが日本人の古来からの生き様ということでしょう。
忘れないということが、一番の供養になるのもしれません。

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[ 2012/03/10 16:09 ] ぼやき | TB(0) | CM(0)
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