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橋下維新の船中八策に盛り込まれた、首相公選制について考えてみる。
橋下徹氏は、国のリーダーを国民自らの手で選べるようにならなければダメだと言う。
これは、現行の議院内閣制を否定するもので、日本に馴染む、馴染まないという諸説以前に、政治や統治の在り方を根こそぎ変えてしまう思想である。
ここ数代の総理大臣は、まるで任期が1年と決まられているかのように。短命の周期を繰り返している。
国民はそんな状況にシラけつつ、「どうせ俺たちが選んだ人じゃないし」と、首相との埋め難い距離感をエクスキューズにして、必要以上に客観的なスタンスを取る傾向があるよう思う。
首相公選制は、政治の側に多くを求めるが、同時に国民の側の責任も問うことを意味する。
自分たちの選択に対する責任を取らなければいけなくなるのだ。
不満は言うが責任は取らないという、身勝手な言論は減るだろう。
しかし、結論からいうと、私は首相公選制には反対である。
よその掲示板に少しだけ意見したが、政治システムといのは、国民が首相を直接選ぶという仕組みだけで変わるものでなのではない。
議会は果たして機能するのか。
少なくとも、私たちが選ぶ首相以外の代議員と、議会との兼ね合いの中で、総体としての政治システム論でなければならないはずだ。
もうひとつの反対理由は、現在のマスメディアのスタンスにある。
2009年の衆院選の記憶は、マスメディアの偏向の記憶でしかない。
山本七平の論じた「空気」ではないが、2009年の夏に民主党を勝たせた空気というものは、民主党自身が作り上げたものではない。
政策でもなんでもない「政権交代」というプロパガンダを、メディアがまるでそれぞれの社是であるかのように垂れ流し、喧伝し、マニフェストにある政策に対する検証を疎んじたまま、投票になだれ込んだ。
その後の2年半で行き着いた結論は、「やっぱり民主党もダメだった」という失望のみだが、メディアは2年半前の煽りを綺麗さっぱり忘れ去り、自戒すらしない。
以前津川雅彦さんが、たかじんの番組でこう語っている。
それ(首相)を選ぶのはいまやマスコミだ。そのマスコミが民主党一党に加担するような不公平な体制、それをテレビの茶の間で「いっぺん変えてみましょう」なんて下らん扇動で、民主党に一票いれた三分の二のバカ。それを含めて反省してもらいたい。
これは痛烈なアイロニーだが、マスコミと国民の関係性を端的に表したものだろう。
マスメディアが独自のイデオロギーを持つのは勝手だが、公平性が担保されない限り、首相公選制は単なる人気投票で終わる。
単なる人気投票なら、みのもんたが首相に選出される可能性だってあるのだ。
考えただけでおぞましい。
橋下徹という政治家が、政治に対する関心を国民に植え付けた功績は大きい。
首相公選制にしても、その他の政策にしても、もっともっと議論すればいい。維新側も、八策を独り歩きさせずに、より具体的に説明すべきだろう。
現時点で思うのは、国民が首相選びの権利を要求するのは、議論を経た成熟以後にしたほうがベターだろうといことだ。
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