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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2011年10月22日

関東、阪神淡路、そして東日本大震災 ~ 皇室という普遍的価値

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3.11の震災以来、メディアや言論人は、この災害ををその前の大災害である阪神淡路大震災と比較して語るということを頻繁に行っていた。
ではその阪神淡路大震災の時はどうだったか。
恰好のテキストを見つけた。
江藤淳が、平成七年三月、文藝春秋に寄稿した「二つの震災と日本の姿」というもので、「保守とはなにか」という書籍に収められている。
江藤は阪神淡路大震災を、関東大震災との比較の中で語り、戦後日本の堕落を憂いている。
そして江藤は、震災を通して見えてきたものは、メディアや言論界が盛んに指摘した村山内閣の危機管理のお粗末さだけではなく、その事実とは別にある、皇室と日本人の紐帯であり、戦後日本における危機意識の忘却、軍隊に対する認識の喪失であると示唆する。

氏は明治以来のおもな新聞記事を収録している「新聞集成」という本を書庫から引っ張り出して、大正十二年九月二日以降の新聞紙面を確かめ、こう語った。

 これらの記事を見て私はほとんどわが眼を疑った。
「戦後民主主義」が見失っていたもの、あるいは見ないようにしていたものが紙面の中に歴然と見えたからです。むろん犠牲者の数ひとつとっても当時は十四万人と桁が違う。都市の様相も当時の東京市と神戸市ではまったく様変わりしている。しかし、先にあげた二つのもの、皇室と軍隊の働きについて取り上げてみると当時と現在の状況のさまざまとした落差、つまるところは今の日本が見失ってしまったものの実相が如実に炙り出されてくるのです。


関東大震災のあと、皇室はどう対応されたのか。
震災が起きた1923年9月1日、大正天皇は御病気で、日光の御用邸でご静養中だった。
東京におられたのが22歳の若き摂政宮で、後の昭和天皇である。
若き摂政宮は震災当日は一睡もされず、徳川侍従次長より報告を受けられた。そして翌2日には、御内帑金一千万円を下賜された。当時の一千万円とは、今の貨幣価値で十億円を超えるとも言われている額だ。そしてその翌3日には山本首相を赤坂離宮に召され、その一千万円についての趣旨を伝えられた。
そして4日には侍従武官を横浜、横須賀、東京市内に差遣されて慰問にあたらせている。
7日になると、全国の御料林から材木を伐採し、急場の住宅建設用にと下賜された。
さらに各宮家では、避難民のために庭園を開放され、さらに御座敷までも開放された。
大富豪の大部分が門戸を固く閉ざし、一歩も入れない者が多いため、一般庶民からは怨嗟の声が高かったという。
12日、震災から二週間と経たない時に、大正天皇のお名前に摂政宮が副署された詔勅が出される。

朕深ク自ラ戒慎シテ已マサルモ惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ凡ソ非常ノ秋ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス若シ夫レ平時ノ条規ニ膠柱シテ活用スルコトヲ悟ラス緩急其ノ宜ヲ失シテ前後ヲ誤リ或ハ個人若ハ一会社ノ利益保障ノ為ニ多衆災民ノ安固ヲ脅スカ如キアラハ人心動揺シテ抵止スル所ヲ知ラス朕深ク之ヲ憂シ既ニ在朝有司ニ命シ臨機救済ノ道ヲ講セシメ先ツ焦眉ノ急ヲ拯フテ以テ恵撫慈養ノ実ヲ挙ケムト欲ス


「朕深ク自ラ戒慎シテ已マサルモ」というのは、自分の天子としての徳がないからこのような震災が起きてしまうのだということで、続いて「夫レ平時ノ条規ニ膠柱シテ活用スルコトヲ悟ラス」ならば、機会を失し善後を誤ることになると言っておられる。
村山内閣、菅内閣の面々が、このお言葉を知ったら恥ずかしくて顔を上げられないはずだ。
そして続いて15日、摂政宮自らが市内の視察を開始しておられる。

昭和天皇

このブログを読んでくださる皆さまはどう思われるだろうか。
この畳みかけるような対応は、凄まじいと言っても良いのではないか。
しかも、皇后陛下、宮家も総出で働かれ、妃殿下方はボランティアで衣服を縫ったりもされていた。
「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定され、国民にとっては神の存在であったはずの天皇・皇室が、これだけ献身的な働きをしておられる。
危機にあっては自らが先頭にたって懸命に国民のために尽くされ、視察で国民を癒され、お金もお出しになる。
そうすることで、国民は皇室のありがたさを実感し、皇室を敬う。
これこそ、日本の理想的な姿ではないのか。

昭和天皇は敗戦後も焼け野原を巡幸され、国民を慰め、炭鉱の切羽にまで入って親しく国民を励まされたという。
恐らく今上天皇も、昭和天皇のそのようなお姿をつぶさに見ておられ、阪神大震災でも今回の震災でも、率先して被災地を慰問し、被災者を励まされた。そういうお姿を国民は見ていて、皇室のありがたさを改めて知り、政治家とはまったく次元の違う威力を実感した。
そして、終戦の詔勅後、はじめて国民にビデオメッセージで語りかけられた。
今震災で、那須御用邸の職員用風呂を被災者向けに開放されたというようなエピソードが、関東大震災で宮家の庭園、お座敷まで開放されたというエピソードがシンクロし、点と点が線で繋がった。
「神聖にして侵すべからず」という憲法上の地位からは変り、現憲法下で皇室の動きはかなり抑制的になっているはずだけれども、やはり日本国民は皇室を支えにしているのだ、そういう国柄なのだだということを再認識させられた。
蛇足ながら言うと、今上陛下が阪神淡路の際、同様の国民向けメッセージを出されようとしたが、一部の官僚やマスコミがそれを阻止したとう暴挙に出たという話がある。
それは拙ブログ「16年前、今上陛下のメッセージを封殺した、マスメディアによる驚愕の暴挙」をご一読いただきたい。

被災地を訪問された天皇皇后両陛下

被災地を慰問された天皇皇后両陛下

総じて何を言いたいかというと、大正の大震災であれ、阪神淡路大震災であれ、そして東日本大震災であれ、皇室という日本人にとっての普遍的存在と価値は、時代が違っても憲法が違っても、まったく変わっていないということだ。
その普遍的価値が、皇室そのものなのだ。
江藤淳は、阪神淡路大震災を関東大震災と比較することで、戦後民主主義にどっぷりと浸かった日本を批判した。
氏の戦後民主主義への批判の論点は、大震災の直後、皇太子殿下、同妃殿下が中東御訪問に出発されてしまったことに関し、宮内庁や外務省にあてられたものだ。そこまでは書ききれないので、どうか古本でも入手してご一読いただきたい。

震災時に殊更皇室のことを考えるというのは、いささか手前勝手なのかもしれない。
しかし私にとっては、被災地を訪問される今上天皇、皇后陛下のお姿に、昭和天皇の御遺志を垣間見たことが、皇室の普遍的価値を固く認識するひとつの明示となった。
これこそ、日本が永遠に護り続けていくべきものだと断言する。


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