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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2011年08月16日

菅と岡田の「終戦の日談話」に秘かに盛り込まれた「日本悪玉史観」

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15日、靖國神社の参道で拝聴した天皇陛下のお言葉。
菅直人との歴然とした格の違いは言うまでもないが、簡潔で短いお言葉の中に、「アジア諸国への多大の損害」や「原発事故」云々について、一言も言及されていない。
脱原発・反原発論者は、マスメディアがこぞってかき混ぜ、放射能やら放射線被害という短絡的な一致をもとに、戦時と今回の原発事故を同列に並べる風潮の追い風となるようなお言葉を、陛下に期待していたのではないか。
しかし、陛下はお言葉で、純粋に「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表す」ことのみに限っておられた。「今日は、戦没者への哀悼のを捧げる日であり、それに集中せよ」という陛下のメッセージなのだろうと、不遜ながら勝手に忖度した。

陛下が「アジア諸国への多大の損害」などということについての言及をお避けになるのは当然だと思うが、中国メディアはこれが気に食わなかったようだ。

天皇陛下「終戦の日のお言葉」に中国注目…「謝罪なし」 (サーチナ)

 中国メディアは15日から16日にかけて、8月15日の終戦の日における日本の動きを報じた。多くのメディアが戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉に注目し、「アジア各国の人民にもたらした災難についての謝罪の意はなかった」などと批判的に報じた。
 天皇陛下について「戦没者に対して1分間の黙とうをささげた後に、戦争中に亡くなった310万人の日本人に哀悼の意を示し、日本は平和の道を歩まねばならないと述べた」と報じた上で、「過去の8月15日の発言とは異なり、アジア各国の人民にもたらした災難についての謝罪の意はなかった。戦争責任についての言及もなかった」と批判的に報じた。
 中国は、天皇陛下に関係する諸事情について、極めて慎重に扱ってきた。天皇陛下が日本人の「心のよりどころ」であることを強く意識し、「礼節をもって接しないと、日本とのつきあいは困難になる」との認識だ。習近平国家副主席が2009年に来日した際、強引に会見を求めたのも、天皇陛下は「日本人全体にとって、極めて大切な存在」との認識にもとづくと考えられる。
 中国メディアが一斉に、天皇陛下の言動に対して批判的と受け止められる報道をするのは珍しい。高速鉄道の問題などで中国共産党・政府に対する批判が高まっているため、「国民に外に目を向けさせたい」との意思が働いている可能性も否定できない。
 戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉に関連する記事に対するコメントは、多くない。多くのニュースサイトでは「0件」のままだ。各メディアが「規制」している可能性がある。愛国的論調が強いとされる環球網には「日本軍国主義は、なお存在する。われわれを必ず滅ぼすつもりだ」、「だから、日本が沈没しても、哀れに思う人は世界にいない」、「日本は死んでしまえ」などのコメントが寄せられたが、わずか11件と少ない。(編集担当:如月隼人)


相も変らぬ、どこを切っても「謝罪しろ」という文字しか出てこない、金太郎飴のような論調である。
反日と盲目的愛国を栄養素として成り立つ国家にとって、相手が政治家だろうと天皇陛下であろうと、関係ないのである。
昨日のTVタックルで、「こんな国とはやはり付き合えないな」と再認識させられたが、言葉を尽くしても理解し合えないのが中国だ。

ところが、我が国にも国益など二の次で、中国をはじめとする特定アジア三国に卑屈におもねる政党がある。
とりもなおさず民主党だ。
岡田幹事長が発表した、民主党の談話から、その腐敗臭を嗅ぎ取ることができる。

 終戦の日にあたって

 本日、66回目の終戦の日を迎えました。先の戦争で犠牲となられた内外のすべての方々に対し、国民の皆さまとともに謹んで哀悼の誠をささげます。
 どれほど年月がたとうとも、内外の多くの人々に多大な苦痛と惨禍を与えた先の戦争を決して忘れてはなりません。二度と悲劇を繰り返さないとの強い意思のもと、歴史を直視し、その反省と教訓をふまえ、英知を集めて世界の平和を築いていくことこそが、今に生きる私たちの責任であり使命です。


日本国民に哀悼の意を表すのが当然と思いきや、冒頭から国の垣根を意図的に排除し、「内外のすべての方々・内外の多くの人々」という表現を使った。勿論、これは特定アジア三国を意識してのことだろう。
反省と教訓とは、日本悪玉史観に制約された、贖罪意識の表れである。
勇敢に戦い、そして散っていった英霊への畏敬の念など、どこにも存在しない。
反省とは、戦争にかかわり、国のために散った英霊にも反省を促すということだ。

そして、私が最も癪に障ったのは、菅のこの言葉である。

心ならずも戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられた300万余の方々の無念を思うとき、悲痛の思いが尽きることなく込み上げてきます。


この「心ならずも」という言葉のなかに、国家が強権を発動して国民を駆り立て、彼らを戦地に送り込んだという、一方的な史観が込められている。
確かに、心ならずも戦地に赴いた方々もいただろう。
しかし多くの戦士たちが、国を守る、家族を守る、同胞を守るという崇高な目的をもって戦地に赴いたことは否定できない。
「無念」という言葉の中に、戦前・戦中の政治を悪と断定し、戦後民主主義こそ素晴らしきものという、大東亜戦争を境として歴史を分断しようとする、悪意が感じられる。

菅のスピーチにも岡田民主党の談話にも、お国のために命を捧げた英霊への「感謝」という言葉はひとつもなかった。
総じて言えば、菅も岡田も、中国や韓国の代弁者である。
英霊にとっては、苦難の終戦の日となっただろう。

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