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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2011年07月01日
月別アーカイブ  [ 2011年07月 ] 

広島市議会、「議場に国旗掲揚を」を議決

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広島という土地を悪く言うつもりはない。
それどころか、広島は長崎は、人類が初めて核兵器によって攻撃され、多くの尊い命が奪われ、世代を超えた被爆者がいる土地である。
Hiroshimaといえば、世界中の人々に核兵器を連想させる土地である。
私も日本人だから、原爆という米国による大量殺戮を受けてしまった広島や長崎という土地と、そこに住む方々には負い目を感じるし、多少なりとも慈愛も持っているつもりだ。

しかしそういう歴史の背景があるからこそ、広島や沖縄は、左翼主義者の活動する場として好き勝手に利用されてきた。
反戦、反核を訴えるなら、広島のような恰好な土地はない。
私は広島を訪れたことが一度しかなく、広島が総じて左翼的な風潮に支配されているかどうかの定義はできない。 しかし、過去の報道やブログ記事などを拝見する限り、保守の思想が容易に育つ土地でもないという印象を持つ。
そもそも前市長が半島系の血を引くひとで(本名、姜玄徳)あり、旧社会党が分裂して多くの議員が民主党に流れたときでさえ社会党に留まった、バリバリの左翼である。
そういう人が、選挙で圧倒的に勝ってしまう地域であることが、実態を物語っているようにも思う。

そんな広島から、少しいいニュースが届いた。

「議場に国旗掲揚を」広島市議会が議決 (産経)

 広島市議会は30日の本会議で、議場に国旗と市旗を掲揚する議員提出の決議案を、保守系会派や公明党などの賛成多数で可決した。議会事務局によると、戦後、議場に国旗を掲げた記録はないという
 議案を提出した保守系会派の山田春男市議は「国際社会で友好・平和を築くために、国家や国民が国旗と国歌に敬意を表することは当然だ」と説明した。別の保守系会派は「議論が不十分」、共産党は「侵略戦争の旗印として使われた」などとして反対した。
 掲揚の具体的な時期や場所について、議会事務局は「各会派の代表者間で話し合って決めてもらいたい」としている。


戦後、議会に国旗を掲揚した記録がなかったという。
そのことを踏まえれば、「遅すぎる!」と叫びたい気にもなるが、それが今までの広島の土地柄であり、歴史だったのだろう。
素直に、広島市議会GJ!と賛辞を贈りたい。

広島といえば、前市長の姜・・・、いや秋葉市長の後を受けた松井一実市長が、「黒い雨とか何とかで、わしは被爆じゃけえ医療費まけてくれとか、悪いことではないんですよ。でも死んだ人のこと考えたら簡単に言える話かな」と述べ、物議を醸した。
参考: 被爆者援護めぐる広島市長発言に批判の声 (中国新聞)
勿論、感謝の念を持って被爆者援護を受ける方々が多いと推察するが、反面、サヨクの常套手段である強請りと集りを以って、援護を強要する輩が存在するのである。
名指しで批判された「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会は、「被爆者に感謝を強いるのは、原爆を落とした米国と戦争を起こした日本政府を免罪している。被爆地の市長として失格」とぶちまけた。
あくまで国家との対立を煽る、左翼の典型的発言として、記憶に留めるべき言質だ。
松井市長は当然のことを言ったまでである。
左翼圧力団体は、活動と思想の本質を突かれて、さぞかしイタかっただろう。

最近は、大阪の橋本知事の影響もあってか、産経以外の新聞メディアでも、国旗・国歌のニュースが扱われる頻度が高くなったように思う。
石原都知事は、「人間としての連帯感がなかったら何もできない。同じ国家社会の中にいる人間の連帯を象徴するものが国旗であり国歌である。」と語った。
未曽有の震災は悲しく辛いものだが、震災で日本の心がひとつになり、連帯という意識が芽生えつつあるいま、この言葉は説得力を増す。
反面、共産党はいまだに「(日の丸は)侵略戦争の旗印として使われた」と、馬鹿のひとつ覚えのようの偏狭イデオロギーを臆面なく訴える。 こんな価値観をどのくらいの日本国民が共有できるのかということになるが、共産党の政党支持者はせいぜい100人にふたり前後。
勝手に言ってろ!で済まされるレベルでしかない。

全国の地方議会で、議場に国旗を掲揚していないところがあれば、広島に倣うべきだ。
こういうニュースが今後ますます増えていくことを期待したい。

参考: 松井市長発言要旨 (中国新聞より)

 被爆2世といわれても、親子関係でそんなに原爆の話をしとる人は多くないと思う。親は何も言わんですもんね。人生の終わりごろになって、これはちょっと言うとかないといかんかな、とぽろっと言う。
 原点は嫌だということ。その中で運動が起こったけど、本当に嫌な人は黙っとった。一番ひどいのは原爆で死んだ人。何も言えんのじゃけえ。残った人は死んだ人に比べたら助かっとる、と言うことをまず言わんのんですね。悲劇だ、悲劇だと。それはねえだろうと。
 黒い雨とか何とかでね、わしは被爆じゃけえ医療費まけてくれとかね、広げてとかね。悪いことじゃないんですよ。でも死んだ人のこと考えたら、そんなに簡単に言える話かなと思いますけどね。
 全体として許される中で、ちょっとずつ助けてもらうということはええことだと思うんです。みんなが納得しながら「やってやりましょう」というのをいただく、という感じじゃないと。なんか権利要求みたいに「くれ、くれ、くれ」じゃなくて「ありがとうございます」という気持ちを忘れんようにしてほしいが、忘れる人がちょっとおるんじゃないかと思う。そこが悔しいんですよね。感謝しないと。


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