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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2011年05月07日
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国民の心に明りを灯す今上天皇のご行幸

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3・11の震災後、海外からは「何故日本ではこの災害時に冷静さを保ち、相互に助け合うことができ、略奪などが横行しないのか」という問いが寄せられた。
その問いに対しては、「私たちは日本人だから」としか答えようがない。
では日本人とは何かという問いがあったとしたら、どう答えたらよいのかというと、シンプルに一言で答えるのは、どう考えても無理だ。
しかし、日本人が日本人であるひとつの理由に、皇室の存在があることは間違いないだろう。

昨日6日、天皇皇后両陛下は、岩手県釜石市と宮古市の避難所を行幸された。
この両陛下の行幸が被災者の皆様に与える精神的効果は計りしれず、政治家が行う慰問とは別次元のパワーをもたらすが、そもそも陛下と政治家を比較するほうがおかしい。4年一期で消える可能性のある政治家と、2600年以上もの間、万世一系によって伝統を繋がれ、国家と国民のために祈り続けておられる陛下とは、比較すべきものではないのである。
メディアの画面では、天皇皇后両陛下を正面からカメラに捉えるため、被災者の方々の表情はほとんど映ららない。しかし、画面に映る被災者の背中を拝見するだけで、皆さんの心が和んでいるのが見て取れる。
画面を見るテレビ視聴者でさえ和む。

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両陛下は、被災者の前で膝をついて話される。
これはそもそも、今上天皇がはじめられたものだ。
戦後間もない時期の昭和天皇の行幸を映像で見る限り、国民は陛下の前で下を向き、決して目を合わせるようなことはない。
畏れ多いのだ。
それが国民の側の作法だった。
膝をつかれ、国民と同じ目線でお話をされるという様式は、今上天皇が皇太子の時代に、皇室の歴史上、初めて行われたものだ。

昭和61年11月29日、三原山噴火で千代田区の体育館に集団避難してきた大島島民を慰問された皇太子殿下(今上天皇)は、疲れ果ててぐったりと座りこんだ被災者たちが声をかけられても立ちあがれない様子を見られると、自らが腰を落とされ、膝をついて話を聞かれた。
今上天皇は、それに先立つ昭和61年5月、皇太子としてこう語られていた。

天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っています。このことは、疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また「朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表われていると思います。


現代では、天皇は国民の象徴という、基本的な国家の約束事がある。
今上天皇は、「開かれた皇室」という理念を掲げられ、国民にとっての皇室を、より身近な存在として位置づけようと努力されている。
この震災後、「国民と困難を分かち合いたい」というご意思により、皇居では4月末まで一日も欠かさず自主停電を実施された。その合計時間は130時間にも及ぶという。都内には停電のノルマがないのに、「ノルマがないからこそ、自分で厳しく律さないといけない」と、陛下は話されたという。
実際のところ、東電の計画停電は回避された日も多かったし、被災地の電力復旧も考慮すれば、陛下は国民の誰よりも多くの電力がない時間を過ごされたということになる。
平成版「民のかまど」と言われる所以はここにある。
陛下が3月16日に発表された、平成の玉音放送とも言うべきビデオメッセージで、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。」と語られた。
メッセージのなかで、私が最も感動した一文だ。
被災者や国民を激励すると同時に、ご自身が国民の模範となるべく、ひたすらできることを実施されている両陛下に、感動しない人はいないだろう。

震災は多くの命と生活を奪ったが、逆に、残された人々の心を豊かにした面もある。
「たかじんのそこまで言って委員会」で、所功教授が語ったエピソードをいま一度読み、皇室のありがたさをかみしめたいものだ。

 私は今の両陛下が、まさに今回の3月11日の大震災にあたって、最も早く、最も的確に行動されたということを知り、驚きました。

 その原点は何かというと、お二人とも、陛下が昭和8年、皇后様が昭和9年のお生まれで、昭和20年の8月15日に日光へ疎開しておられた皇太子様が書かれた作文があります。

 どういうことが書いてあるかというと、今度の大戦で、陸・海の軍人もよく戦った、それから国民も一所懸命に戦った、でも敗れた、そこで、この国を本当にこれからどん底から立ち直らせていくのは自分の責任だと、自分がしっかりその困難に耐えて行かねばならんということを、書いておられるんですよ。当時まだ11歳ですよ。そういうお気持ちが、もうお小さい頃からあられたということ。

 それから皇后様は、おひとつ下ですけれども、戦時中に差し入れを受けられた物語を読まれて、そこの中に日本武尊(ヤマトタケル)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の物語が出てくると。

 ご承知の通り、東国へ遠征された時に、相模湾に入水されて、それで、夫たる日本武尊のために役立とうとされた。そのことを『子供時代の読書の思い出』というお話*1の中に引かれてですね、愛と犠牲というものが、二つのものではなくて不可分の一体のものだということを知って、非常な感銘を覚えたということを述べておられますと。

 そういうご自身のお小さい頃からのご体験とか、そういうご覚悟というものがあって、実は3月11日にどんなことがあったかと言いますと、その日の2時頃に、皇居の勤労奉仕に行った人々が、実は、御会釈を賜ると言いますけれども、天皇皇后両陛下が、ご苦労様でしたということで、御言葉があったんですね。直ちにみんながそこで感激してお別れをされたところに震災があったと。

 で、びっくりされて、それで、これではさっき会ってきた勤労奉仕の人々どうしてるかということを言われて、直ちに侍従か何かが行きましたら、ま、とりあえず大丈夫だということになったんですが、もうしばらくしたら東京都内が全然、交通麻痺してる。

 これじゃ遠くから来てる人は帰れないだろう、ということで、両陛下がそれじゃあ何とか人々を、皇居の中に泊めることはできないかと、いうことを言われて、直ちに検討して、結局、窓明館(そうめいかん)という休憩所があるんですが、そこに数十名の方が、そこに泊めていただいたんですね。

 それだけでも異例のことなんですけども、その翌日、また心配をなさいまして、7時半頃に、皇后陛下がそのみんなの休んでる所へ来られて、それで、ま、お見舞い下さったというようなことがありました。

 こういうようなことはもう異例中の異例なんですけども、そのあと、さっきも(VTRなどで話が)出ておりますように、自分で自主停電をされるとか、色々なことありますけど、大事なことは、自分でできることを直ちにやっておられるということですね。そして困難は自ら引き受けるという、そういうお姿というものは、やはりお父様である昭和天皇、お母様である香淳皇后などから受け継がれた、ま、歴代のそういうご精神の影響もあり、それからご自身のその体験にもありますけれども、そういうものを私、見ましてですね、本当に我々今回、ま、この関西あたりは直接被災はありませんでしたけれども、あの時に自分にできることをすぐ何かやったかと言いますと、それほどできてないと。

 しかし陛下は自分でできることを直ちになさり、そして皇后様も直ちにそれを助けてなさろうとなさったということを、やはりお手本として、我々も少しでも自分にできることを、しかも短期間でなくて5年、10年かけて、一緒にやっていこうという気持ちを持ちたいものだと、つくづく思っております。



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[ 2011/05/07 12:08 ] 皇室 | TB(0) | CM(0)
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