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今日5月3日は、憲法記念日という国民の祝日である。
祝日とは皮肉なものだ。
5月3日を祝う意味など全くなく、逆にこの日は屈辱の日と規定すべきものだからだ。
既に何度か書いてきたが、この現行憲法が、占領下に米国から押し付けられたものだということは、今や公然の事実である。
占領下、つまり日本に主権がなかった時期に制定された憲法に、正統性などない。
過去のブログで書いたものを再び引用するが、
松本蒸治博士が中心になって作った甲案・乙案をGHQに提示したところ、こんななまるいものではだめだと言って、アメリカ側の原案を提示し、もしこれをのまなければ天皇のお身柄に変化があるかもしれないと脅しをかけられたという史実がある。
つまり、アメリカから与えられた憲法であって、本来日本が望んだものではない。
※ちなみに、このときに自衛力放棄に最も反対した日本共産党だったという、今では考えられない事実もある。
というような、憲法の内容どころか、その出自自体に問題があるのである。
米国のトモダチ作戦に感謝はするが、この憲法に対して米国が取った行動は、米国にとっては大いなる恥だと思っている。
しかし、65年前の米国の所業をいくら恨んだところで、現行憲法を廃止もしくは改正できなかったのは、他ならぬ我々日本人である。
護憲派に言わせると、日本の憲法は「平和憲法」なのだそうだ。
憲法に「平和」と「不戦」と書いておけば、平和は守られ、戦争に巻き込まれることなどないという、なんとも単純で、小学生ですら鼻で笑いそうなロジックを、彼ら護憲派は是としているのである。
「それなら、憲法に”台風は来るな”と書いておけば、台風は来なくなるのか?」と言ったのは、政治評論家の三宅先生だが、こんな簡単な例えで脆さを露呈するのが、護憲派の理論なのである。
石平氏が、「日本は憲法で滅ぶ」という書の中で、この平和憲法を痛烈に皮肉っている。
ギリシャ哲学には、嵐の大海原で船が難破する寸前の状況下、船で飼われている一匹の豚だけが夢中になって餌を貪っているという、「幸せの豚」の話が出てくる。それはまさに、戦後憲法の下で生きている戦後日本の姿そのものではないだろうか。
日本民族を「幸せの豚」にさせてしまった戦後憲法の性格が一番よく表されているのが、この憲法の前文にある、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という有名な文句である。
「綺麗ごと並べ」とはまさにこのようなものであろうが、天真爛漫な女学生の書いた作文とそっくりそのままの「綺麗ごと」が日本国憲法の前文に堂々と記入されていること、それこそ、国家の存亡に関わる大問題なのである。
石平氏が指摘する通り、憲法の規定は、直接的・間接的を問わず、国体を左右する。
この憲法は、日本が米国に二度と歯向かわないように、日本を改造するがために押し付けたものであり、終戦後の占領下に行った検閲、日本悪玉史観・東京裁判史観の刷り込み、神道指令、公職追放等がこの憲法と全てセットになって、米国による当時の”日本改造”が完結するのだ。
この改造された日本を元通りにして来れなかったのは、政治の怠慢と、国民の無知の結果と言わざるを得ない。だからこそ、この洗脳から覚醒するためにも、5月3日の憲法記念日は平日に戻すべきで、国民は平日に戻す意味を明確に知らなければならないのである。
5月3日の祝日は、私は日本の恥部だと規定する。
尖閣で目覚め、その目覚めを再確認させたのが大震災である。
「日本はこのままで良いのか?」という思いを、少なくない国民が持っている今こそ、現行憲法を破棄し、”我々の手による我々の憲法”を手にするチャンスである。
民主党はこの日の談話で、「(憲法は)足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めるべきだ」とし、休眠状態にある衆参両院の憲法審査会には一切触れなかった。
この、まるで日本国民と憲法の間の関係を他人事のようにコメントする姿勢には呆れるばかりだが、なりすまし日本人の集まりであるこの政党にとって、憲法とはその程度のものなのだろう。
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