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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2010年10月10日

記憶すべき反日日本人の愚行:長野オリンピックの表彰式

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反日分子というのは、日本中のいたるところに存在している。
反日思想を持つ個人であれば「あっ、そう・・・」と放っておけばよい場合もあるが、それが組織的なものであれば、臆せず公然と批判すべきである。

日本国民にとって、今から12年前に開催された長野オリンピックは、まさしく平和の祭典であり、日本ジャンプチームや清水宏保など、多くのヒーローを生み出した。
一方、中国人の聖火リレーにおける暴挙は、様々なブログで取り上げられ、語られており、日本人が中国人の獰猛さを知るきっかけとなった。

オリンピックは平和なスポーツの祭典であるが、晴れやかな祭の裏で、日本を意図的に貶めるがごとき長野オリンピック大会組織委員の愚行は、中国人の暴挙と比較すれば、ほとんど語られていない。
しかし万死に値する行動が、日本人によって起こされていたのである。

さて、何が起こっていたのか。

メダリストを讃える表彰式にあたり、場内放送がこともあろうに「選手団の旗を揚げ、選手団の歌を演奏して栄誉を称えます」とアナウンスした。
英語の放送では、「国旗」と「国歌」と言っていたにもかかわらずである。
オリンピックは国と地域の代表者が競技を行う場であり、金メダリストの栄誉をたたえて演奏されるのは、まぎれもなくその金メダリストが属する国の国歌である。
そういった国隠し」とも言える行為が、意図的に行われていた

目ざとい産経新聞が、そのことを組織委員会に指摘した。
しかし、組織委員会の対応がまた輪をかけて酷い。
なんと組織委員会は、あわてて英語(仏語も)の放送から、ナショナルという単語を取り除き、フラッグ(旗)とアンセム(歌)に変えたというのである。
悪しき反日のイデオロギーによる国隠しが、外国語にまで及んだということだ。

私が涙を流した男子スピードスケート500m金メダリストの清水宏保は、あるメディアの取材に答え、「2日前から、自分がウイニングランをしているシーンや、国旗が真ん中に上がり、君が代が流れるシーンをイメージしていた。それだけで、ベッドで涙が流れたこともある。」と語っていた。
清水選手は、自己とともに、国のために闘った。
彼のような選手が国を背負い、懸命に闘い、表彰台の一番上にのぼったら、国歌ではなく「選手団の歌」と言われるメロディーが流れる。
これは日本人はもとより、世界に対して失礼な話だ。
こんな非常識なことが、平和の祭典でまかり通っていたという事実に、日本人として恥じなければならないだろう。

このことに関し、江藤淳は、「日本人に国があってはいけないのか。」と問うた。
「それは、日本人自身による日本という国歌への差別ではないか。それとも日本は既に国歌ではなくて、かつての香港、今の台湾がそうであるような「地域」に過ぎないというのか。」と綴った。

もっとも、国歌に対して「もっと元気なほうがいい」と、国政に携わる立場をまるで投げ出したかのような庶民的感想を恥ずかしげもなく吐露し、国民と言うより市民という呼称を好んで使う、コスモポリタニズムに近い思想を持つ首相を拝してれば、こんな非常識も当たり前のようにまかり通ってしまうのだろう。
それこそ国家の危機である。

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[ 2010/10/10 19:45 ] 愛国 | TB(0) | CM(4)
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