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拙ブログでは、8月12日に「
菅談話: 顕著なマスメディアのリベラル化」というエントリーを起こした。
そして、それから3日後に終戦記念日を迎えるわけだが、昨日までのマスメディアが発するゴミ情報には、胸やけと吐き気で、とても見ていられないものが多かった。
まずは新聞。読売は、8月15日の社説で、
今年は民主党政権になって初めての「終戦の日」でもある。菅内閣の閣僚全員が、靖国神社への参拝はしないという。
菅首相は、靖国神社に「A級戦犯」が合祀(ごうし)されているため、「首相在任中に参拝するつもりはない」と語っている。
民主党は昨年の政策集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、本格的な議論を進めていくべきだ。
と書いた。核心的なナベツネ史観である。
何故かこのナベツネは、池田大作大先生とダブる。読売新聞は、
聖教新聞ナベツネ教版といったところか。
売日、いや失礼、毎日新聞も今日の社説で、
内外の人々がわだかまりなく戦死者を追悼するにはどうするか--。長年の課題の解決策の一つが、新しい追悼施設の建設だったはずだ。
と書き、読売の援護にまわる。
東京新聞などは、沖縄をネタに、昭和天皇まで売る始末である。
TV番組も同様で、今や国民の信頼が最も厚いジャーナリスト、池上彰氏でさえ、15日の「池上彰の学べるニュース」で、首をかしげてしまうような事実誤認識の解説をする始末。
ああいうものの言い方をされると、見ている方も何気なしに「なるほど・・・」と思ってしまうだろう。
さすが、テレビ朝日の制作する番組である。売国メディアの面目躍如か。
売国メディアといえば、NHKも酷かった。
昨日、「”日本の、これから”ともに語ろう日韓の未来」という若者中心の討論番組をやっていたが、その中で、映画監督の崔洋一氏が、自説を論じるひとりの若者に向かって、「歴史を語る資格がない!」と、言詮封鎖、思想弾圧をする始末である。
この終戦記念日の前後に放送された戦争関連番組や新聞の論説は、総じて戦争の悲惨さを訴え、この惨劇を二度と繰り返すまいという理念に根差している。
それを否定するつもりは毛頭なく、戦争を繰り返さないという意見には100%賛成だ。
しかし、決定的に欠落しているものがある。
それは、この国を守るために命を賭し、戦ってくれた先人たちへの畏敬と感謝の心だ。当時、戦い、そして戦前と戦後を繋いでくれた人たちへの感謝なくして、今の日本は構成されるはずもない。
白人による有色人種の植民地化などと闘った日本の大義は、例え誤った参戦という事実があるにせよ、先人への尊敬があれば網羅すべき内容だ。
そういう主旨の放送をすると、莫迦サヨクが「戦争美化」だのなんだの、ノイズを発するのは目に見えているが、だからと言って当時散った方々、戦前と戦後の繋がりを保ってくれた方々への尊敬が蔑ろにされていいはずはない。
それは本来親が、教師が、そして大人全体が伝えていくべきものだ。
嘔吐感を覚える番組ばかりだったが、ひとつだけ印象に残る番組があった。
TBS(何と!)が14日に放送した、倉本聰脚本の「歸國」である。
クライマックスのシーン、秋吉部隊長(長渕剛)の言葉には涙した。
「30万の英霊が南の海のあちこちに少しずつ固まり、忘れられたまま日々を送っている。俺たちは冷たい海底にいる。俺たちの唯一のささやかな楽しみは、うねりの強い人気無い夜、海面に浮かび上がって星を見る事だ。星を見ながら母国の事を思う。あの星の下で俺達の子孫は幸せな眠りを眠っているだろうか?家族の寝息が聞こえるだろうか?そして、時折悲しい過去を、そのために死んでいった俺達の世代を思い出して感謝して…、いや、感謝などしなくていい、思い出してくれればそれで十分だ。そう思うことを心の支えにし、冷たい海底へまた沈んでいく。」
歴史はあの戦争で分断されているわけではない。
我々日本人が、分断されているように錯覚し、避けて通っているだけである。
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