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終戦記念日の今日、靖国神社に参拝に行ってきた。

曇りとはいえ、夏の太陽は雲を通してであっても容赦なく、うだるような暑さだ。
実際、参道で参拝の順番を待つ間、じっとしていても汗が吹き出し、滴り落ちるくらいの酷暑だ。
こんな天候のなか、ここを訪れる年配の方々には、非常に厳しい環境だろう。

正午の時報とともに、1分間の黙祷のために境内は静まりかえる。
そこにいる全ての人たちが、英霊に対する感謝と畏敬の念でひとつになる瞬間である。あれだけ多くの人たちがいる中、蝉の鳴き声だけが響く、不思議な瞬間である。
普段、近くまで来たのでと立ち寄って参拝する静かな環境とは違い、この日はとても忙しく、ゆっくりと感謝と祈りを捧げることができる状況ではない。
しかし、特にこの終戦記念日に、英霊に感謝するという行為こそが大事なのであって、国の指導者がその行為をできない、もしくはする気がないというのは、なんとも悲しいものである。
一方、若い人たちが比較的多かったことには、少なからず心強さを覚えた。
個人的に、この日にこそ行きたい場所があった。
東池袋中央公園である。
そこには「永久平和を願って」と書かれた石碑がある。

戦後、いわゆる戦犯とされた日本人が巣鴨プリズンに収監されていたが、この石碑は、その人たちが処刑された場所に建立されたものだ。
石碑には、「永久平和を願って」と書かれているが、もともとは「戦争裁判の遺跡」とされるはずだった。
ところが戦争の美化だの、戦犯の顕彰に繋がるだの、サヨクが訴訟まで起こし、この「永久平和を願って」に落ち着いたという歴史があるそうだ。
私はこの場所を訪れる前、終戦記念日のことだから、きっと誰かが成仏をとなえに来ているだろうと思っていたのだが、人っ子ひとりいない。全くいないのである。
確かにここで処刑された”いわゆる”戦犯とされた人たちも、今は靖国にいる。
石碑だから、霊もいない。
しかし、あの靖国神社を訪れる多くの人と、この誰も見向きもしない石碑の対称には、いささか面食らってしまった。
石碑に一礼した後、公園を出て、ほんの2、3分歩くとサンシャイン60ストリートに出る。
そこは、自由と富を謳歌しながら休日を楽しむ人たちで溢れかえっていた。
平和な光景ではあるが、この平和が、国のために命を捧げた英霊たちのおかげで享受できている現実を、この中の何人が意識しているのだろう・・・と考えると、少し眩暈に似た感覚を覚えてしまった。
確かに彼等若者に罪があるわけではなく、歴史を伝えてこなかった大人、もしくは歴史を歪曲して教えてきた大人たち、教師たちの責任である。
とにかく、熱い日だった。
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