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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  2010年08月11日

靖国考3 ~ 中韓の宗教干渉に屈してはならない

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菅内閣のなかで、この15日に靖国神社に参拝する閣僚はまったくいないのだそうだ。
さもありなんという感じだし、そもそも極左政党に参拝を聞いたいする方がどうかしているという解釈も成り立つが、国のために命を捧げた英霊たちが、これほどまでに蔑ろにされるという事態は、誠に憂慮すべきだろう。

さて靖国問題に関しては、ここ数日で、二つのエントリーを書いた。
私的憂国の書: 靖国考 ~ そもそも”A級戦犯”とはなにか?
私的憂国の書: 靖国考2 ~ 連合国によって貶められた日本の文化的伝統
一つ目のエントリーでは、いわゆる”A級戦犯”の定義に関する根拠の無さと、東京裁判の不当性にも少しふれた。
二つ目のエントリーは、神道は宗教と言えるかという問題と、その問題がありながら、靖国神社が宗教法人化しなければならなかった背景を書いた。
そして今日は、あえて神道を宗教とした場合の、外国の干渉からの防御方法の話である。

ここからは、ほとんど渡部昇一氏の受け売りなのだが、非常に理解しやすい理論なので、是非ご一読いただきたい。

何故、国のために命を落とした戦死者を靖国神社で弔うのか。
それは、宗派を超えて慰霊するのが神道以外にないからだ。
例えば、ある村で戦死者が出る。その戦死者の言えは日蓮宗だったとする。だからその人の家では、日蓮数の葬式をする。
ところが村としては、戦死者だから村をあげて慰霊しなければならない。その時に、日蓮宗で戦死した人もいれば、浄土宗で戦死した人もいるからと言って、それぞれの宗派で別々に葬儀をやるわけにいかない。弔い方が違うからだ。
ところが有難いことに、日本には宗派を超えて競技を押し付けない宗教がある。それが神道であり、神社という場所なのである。
要するに、国のために散った死者を神道で弔うというのは、日本人の古くからの知恵なのである。
キリスト教だから靖国に行かないと言った莫迦な大臣がいたが、神道というのは非常に寛容なものであるから、靖国神社には他の宗教の信者も参拝している。

さて、現サヨク政権の閣僚は予め示し合わせていたようで、口を揃えて「参拝しませ~ん」と言っている。彼らの心の祖国「中国、朝鮮」の機嫌を損ねるからなのだろうが、自らの政治家としての行動規範や理念の前に、特アの利益を考えるようでは、もう日本政権として機能していないと言わざるを得ない。

中韓のやっていることは、明らかな内政干渉なのだが、もし文句を言われたら「宗教干渉するな!」と返せばいい。
ラマダンの最中にあるイスラム教徒に対し、メシを食えという人は、さすがに米国人にもいないだろう。キリスト教徒に対し、教会で祈りをささげるなという理不尽な要求をする人も、まずいない。
つまり、中韓の主張していることは、日本に対する明らかな宗教干渉である。
日本の大切な伝統的文化である英霊への弔いは、他国に干渉されて躊躇、自粛するべきでないものであることは、明らかだ。


関連エントリー
靖国考 ~ そもそも”A級戦犯”とはなにか?
靖国考2 ~ 連合国によって貶められた日本の文化的伝統


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