私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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愛国心を育てる必要性、「あり」が76%

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 熊本で発生した地震の被害に遭われた方へ、心からお見舞い申し上げます。一日も早く平穏な生活を取り戻せるよう、お祈り申し上げます。



 内閣府が「社会意識に関する世論調査」の結果を発表した。他の人と比べて愛国心が強いかを聞いたところ、55.4%が「強い」と答え、「弱い」と回答したのは6.6%、「どちらともいえない」は37.9%だったという。「強い」と答えた人が半数以上いたことがせめてもの救いに思えるが、5人に2人が「どちらともいえない」と答える状況にはいささか不安を覚える。

 一方で、「国民の間に『国を愛する』気持ちをもっと育てる必要があるかどうか」を尋ねたところ、75.8%が「そう思う」と回答したそうだ。「そうは思わない」が12.5%だったというから、「愛国心が強いか」という問いの結果との数字の乖離に、少々難解な国民心理が見え隠れする。

 実は、この「『国を愛する』気持ちをもっと育てる必要があるかどうか」という問いに対する76%ほどの数字は、この20年以上、ずっと高い水準にある。その推移を見てみよう。

国を愛する気持ちを育てる必要性


 愛国心を育てる必要性を感じている人は、この20年以上、70~80%の間で推移し、一時は80%を超える状況だった。国民の気持ちが被災地に向けてひとつになった東日本大震災(平成23年)とそれ以降も大きな変化を見せていないところを見ると、これはグラフが示す通り、安定した心理なのである。一方で、愛国心が必要ないと答えたるのは、同じ期間で10%前後で、ずっと、そして安定的にマイノリティである。

 愛国心は左派メディアおよび左派言論人が忌み嫌うことばである。国が愛国心を押し付けると、戦前の軍国主義、国粋主義が跳梁跋扈し、国の行く方向を誤らせるという、ステレオタイプな論説だ。2006年、第一次安倍政権のもとで改正教育基本法が成立し、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」という愛国心を盛り込んだ際、これに反対する論陣を張り、あたかも愛国心が悪であるようなキャンペーンを張った。当時のメディアの報道ぶりを見る限り、国を愛する必要がないと思っている国民が圧倒的多数であるかような印象を受けたくらいである。

 ところが、国民は総じて、そして普遍的に、愛国心の必要性を感じているのである。左派の、愛国心=軍靴の足音のような印象付けは、全く通用していない。自衛隊を悪の集団のように扱うにもかかわず、その自衛隊は国民から高い評価と支持を得ているが、それと同じだ。朝日のような反日新聞ばかり読んでいたり、日教組所属の教員のもとで学習し続けると状況を見誤るが、国民一般に愛国心は必要だと認識されている状況は普遍なのである。

 道徳教育も左派の槍玉にあがる。「心のノート」は文科省が作った道徳の補助教材だが、民主党政権下で「教材選びは地域に任せるべきだ」などとされ、冊子配布からウェブサイト掲載に切り替えられた。自民党が復権して再配布となったが、道徳という概念そのものを嫌う民主党(現民進党)のささやかな抵抗であったのだ。

 福田恒存は、長年使ってきた消しゴムや小刀のような些細なものですらむげに捨て去る気にはなれない、と前置きしたうえで、こう語ってる。

 ましてその物が、自分が生まれたときから暮らして来た家、子供の頃に登った柿の木、周囲の山や川、さういうものともなれば、なほさら強い愛着を感じ、自分の肉体の一部どころか、時にはそれが自分の命そのものに等しい感じを懐くのであって、それを私達は「命よりも大事な」とか「命の次に大切な」といふ言葉で表現してゐるのです。さうした自然、風物、建物に対する愛情が愛郷心、愛国心の根幹を成すものではないでせうか。


 「愛国心=戦争への道」と直接的に結び付ける短絡思考の左派に、耳をかっぽじって聞いてほしい一説である。


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[ 2016/04/14 23:59 ] 愛国 | TB(0) | CM(16)

和食文化を守れ

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 政府がユネスコの無形文化遺産に提案した「和食 日本人の伝統的な食文化」について、事前審査を担う補助機関が新規登録を求める「記載」の勧告をした。12月上旬に開かれるユネスコの政府間委員会で正式に登録される見込みだそうである。

 文化庁は、この「和食 日本人の伝統的な食文化」の提案の内容を、下記のように発表している。

提案の定義

「自然の尊重」という日本人の精神を体現した、食に関する“社会的慣習”として提案

内容

 1. 新鮮で多様な食材とその持ち味の尊重
 2. 栄養バランスに優れた健康的な食生活
 3. 自然の美しさや季節の移ろいの表現
 4. 正月行事などの年中行事との密接な関わり

主な提案理由

「和食」は、四季や地理的な多様性による「新鮮で多様な食材の使用」、「自然の美しさを表した盛りつけ」などといった特色を有しており、日本人が基礎としている「自然の尊重」という精神に則り、正月や田植え、収穫祭のような年中行事と密接に関係し、家族や地域コミュニティのメンバーとの結びつきを強めるという社会的慣習であることから、「無形文化遺産の保護に関する条約」(無形文化遺産保護条約)に定める「無形文化遺産」として提案した。


つまり、寿司やてんぷら、すきやきが登録される見込みになったわけではない。日本人が古くから培い、守ってきた、自然への感謝と共存・共栄、また、食文化が人や社会を繋ぐ文化であることが認められたということである。ある意味では、日本や日本人が持つ神道的な価値観が、世界的に認められたのだと言っても良いのかもしれない。和食と日本人の食文化は、世界の宝となったのである。目出度いことだ。

unesco_washoku.jpg

 さて、同じタイミングで、南朝鮮が推薦していた「キムチとキムジャン文化」なるものも、世界無形文化遺産の新規登録を求める「記載」勧告を受けた。南鮮ではなんだか韓国料理そのものが世界遺産登録されるかのような盛り上がりを見せているようだが、幾ら金を積んだのだろうと猜疑心を持ってしまう日本人は、私だけではない筈だ。まぁ「良かったね」と抑揚のない棒読みコメントで終わらせることもできるのだが、話はそう単純ではない。

 ひとことで和食と言っても幅広い。そして、和食は世界でブームと称されるほどの人気を博している。そういうところに群がってくるのが、金の亡者である特亜人である。実際のところ、海外の和食料理屋には、日本人が全く関与しない朝鮮人系の店が驚くほど多いと、何かの書籍で読んだことがある。つまり、朝鮮人がただ金儲けのために疑似和食をつくって客に出し、それを海外の客が“和食だと思って食べる”ケースが多いのだ。これは和食のステータスにとって、百害あって一利なしである。

 勿論、その手の店はミシュランで星をもらうために営業しているのではない。ただ、和食という看板で金儲けをしているだけなのだ。日本の何らかの機関が、海外で和食を出す日本料理店に「日本人による日本料理店認定」するような制度を作るべきだ。和食が妙な印象を持たれては困る。

 まぁ、日本にも日本人が出す中華料理や、日本人が出す韓国料理もあるにはあるのだが、日本人が作った方が案外美味かったりもする。和魂洋才ならぬ、和魂亜才ともいうべきか。


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[ 2013/10/27 08:02 ] 愛国 | TB(0) | CM(3)

8月15日、靖國の杜に取り戻したい静寂

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 今年の8月15日も靖國神社を目指し、九段の坂をのぼった。とりわけ南方で闘った英霊たちには、恥ずかしくて見せられないほどみっともない量の汗を垂れ流しつつ、これは戦後を生きる者にとっての勤めだと、体に言い聞かせる。午前中の靖國神社では、既に、新藤総務相と古屋国家公安委員長が参拝を済ませていた。参拝以外の興味は、例のヘタれ南朝鮮議員だったのだが、彼等は九段下の大鳥居の外でムニャムニャ声明を読み上げたが、廻りの日本人から帰れコールを浴びて姿を消したそうだ。その後、神社から500メートルほど離れた場所で、今度は虚勢を張った後、警察当局の保護下に置かれ、ホテルまで退散したらしい。その場に居たら、丁重にお出迎えして差し上げようと思っていただけに、残念だ。

靖國神社

 昨年同様、衆議院議員の西村眞悟氏が主催する昇殿参拝に参加させていただいた。さすがに保守系の大物議員である。一緒に参拝した中に、家族会の増元照明さんがいらっしゃり、他にもジャーナリストの西村幸祐さん、sengoku38こと一色正春さんらもお見かけした。参集殿に向かう道には“不肖!宮嶋”こと宮嶋茂樹さんがカメラを構えている。保守系の討論番組が一本収録できてしまいそうなラインナップだ。

罵声を浴びるTBSクルー

 神門を超えた右側の広場で、TBSのテレビクルーが、参拝者から冷静な批判を浴びている。無理もない。ここに居るのはなんのためなのか、動機を質してみたくなる放送局なのだ。NHKやテレビ朝日と並ぶ偏向放送局は、参拝者から好まれるはずもない。

 この日は、英霊に対して静かにお参りする日である。境内の中は落ち着いていて、喧騒などない。だが、政治や外交の世界では喧騒そのものだ。安倍総理は恐らく、米中韓と取引をしたのだろう。報道では、首相、副首相、官房長官、外相が参拝しないことを条件に、外交問題化を防いだと伝えられている。だが、首相が靖國神社を参拝しようとしまいと、支那や朝鮮は日本を批判し続けることは明白だ。日本という国が存在する限り、批判し、干渉してくるのが彼等の国是なのだ。米国とて例外ではない。わざわざこの日に上院外交委員長を遣わし、「参拝見送りを評価する」とほざく。これが日本の同盟国のなれの果てである。小泉元総理は、在任中の米大統領が共和党だったという幸運に恵まれた。民主党の、とりわけオバマの外交姿勢には辟易とするのだ。ちなみに、米ニューヨークタイムズ紙は、靖國神社を“War Shrine”と書いている。

 そして、その外国勢力に塩を送っているのが、日本の反日メディアである。「首相の式辞にアジア諸国への加害責任がなかった」というご丁寧な分析をわざわざ報じ、支那や朝鮮のメディアに批判の糸口を与えた。相変わらずの火付け役ぶりである。細川護熙が20年前に発した、追悼式での「加害責任」は、その後の総理大臣を拘束し続けてきた。そもそも、先人の供養の場で「加害責任」に言及することは、その先人が加害者であると言っているのと同じである。この言及を止めることは、考えてみれば当然のことなのだ。

頑張れ日本!日の丸デモ

 参拝を終え、九段の坂を下りる時、水島隊長率いる頑張れ日本の「英霊に感謝し靖國神社を敬う国民行進」団に出逢う。昨年もそうだったが、半旗の日の丸が林立する光景は、生意気を言って恐縮だが、「ちゃんと分かっている人たち」の象徴である。行進団が通り過ぎる時、沿道から拍手が起こるのは、自然な流れだろう。

 最後は夏の風物詩、反天連(反天皇制運動連絡会)のデモだ。この変態デモでは、毎年、九段下交差点周辺で怒号が飛び交うのだが、デモ隊の人数の数倍に及ぶ警察、機動隊その他が出動するのだ。100~200人の変態のために税金の無駄使いされるのである。表現の自由、集会の自由も、お花畑と極左には考えものだ。

反天連の変態デモ


 英霊の御霊に哀悼の誠を捧げるという純粋な行為を、静寂のなかで行うには、まだまだ時間がかかりそうだ。支那や朝鮮を槍玉にあげる前に、先ず無力化しなければならないのは反日メディアである。反日国と反日メディアは、明らかに共犯関係にあるからだ。臭い匂いは元から絶つのが原理原則である。また、外務省はもっと汗を流して仕事をすること。米がハードルを上げているなら、そのハードルを下げさせるのは外務省の仕事だ。安倍首相には、今回の参拝見送りで落胆させた保守層の支持を、例大祭で取り戻して欲しい。


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[ 2013/08/16 07:27 ] 愛国 | TB(0) | CM(6)

自衛隊殉職者を祀るべき場所は、靖國神社をおいて他にない

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 相変わらず支那、南朝鮮は、閣僚の靖國参拝について内政干渉を続けている。ただ、それ以上に憂うべきなのは、国内のメディアの騒ぎっぷりである。終戦の日が近付くにつれ、日本のマスメディアは一様に、誰が参拝するとかしないとか、その問題を嬉々として報じる。この点において、靖國参拝を政治問題化させているのは、支那や朝鮮以前に、日本のメディアだということは一目瞭然だ。日本のメディアが焚きつけて、特亜が呼応するという構図は、慰安婦問題、教科書問題、憲法改正等々、既に制度化していると言っても過言ではない。

 私は、麻生副総理の言った、「静かに参拝すればよい」という態度が、最も適切ではないかと考えている。騒ぐ方がおかしいのだ。靖國参拝は、「国家のために斃れた先人を如何に慰めるか」という一点に集中されるべきであり、そもそも憲法でいうところの政教分離問題とは次元が異なる。その点で、憲法は万能ではない。そもそも、GHQの神道指令によって宗教法人化させられた神社は、一般の宗教と同じ次元で議論する性質のものではないのだ。「日本の軍国主義化」などという、およそ日本人の感覚では理解できないような、無教養な論を展開している支那、朝鮮が、日本の神道の本質など理解できるはずもない。その無教養な主張にいちいち対応することなど、無意味であり、エネルギーの浪費でしかない。

靖国神社

 自衛隊という組織は、実質的には軍隊であっても、法の下では軍隊ではない。憲法9条2項において、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書かれている以上、憲法下では私生児である。加えて、自衛隊には軍法がない。軍法がなければ、彼らが有事の際に何かしら事を起こせば、彼らを裁くのは一般の刑法である。これでは隊員はたまったものではない。この状況を変えられなかったのは、戦後政治の怠慢だ。

 それでも我らが自衛隊員は、有事の際は命を賭して行動する。PKO然り、災害における救命・救助然りである。わけても、東日本大震災の際、あの誰も近づきたがらない原発に赴き、空中からヘリで冷却水を投下した光景は記憶に新しい。いざとなれば死を厭わないという日本人の特性が、如実に示されたシーンだった。この行動は、トモダチ作戦を遂行した米軍を奮い立たせ、恐らく、支那を怯えさせたはずだ。

 だが、PKOなり原発事故処理なり、有事の際に自衛隊員が命を落としたらどうなるのか。私は、彼等は靖國神社に祀られるべきだと思う。戊辰戦争以来、国のために命を投げ出し、斃れた人を祀るのが靖國神社である。憲法下では軍隊でなくても、実際の立場は、招魂社の時代に祀られた人と、何ら変わりないのである。

 自衛隊には、殉職隊員を祀る自衛隊殉職者慰霊碑がある。昭和37年に建てられ、昭和55年に建て替えられて、今に至る。現在までに殉職した隊員の数は、1,800人にものぼる。この碑は、性質的に非常にドメスティックなものだろう。外国から国務大臣が防衛相を訪れた際、この碑に献花が行われ、哀悼の意が表されるという。但し、靖國神社、護国神社のように、国民がひとしくお参りするような性質のものではない。

自衛隊殉職者慰霊碑
自衛隊殉職者慰霊碑

 本質的に言えば、自衛隊の殉職者は、靖國神社に祀られるべきなのだと思う。実際のところ、誰を祀るのかは、一義的には靖國神社の判断になる。ただ、政教分離などは一旦脇に置き、政治の側が要請しなければ、靖國も動けない筈である。国のために命を落とした人は、ひとしく靖國神社に祀り、英霊として慰撫するというのが、日本人本来の姿ではないかと思うのだ。

 靖國には参らないという自民党議員もいるようだが、戦後レジームを打破し、靖國神社の存在をもとの立場に戻すことも、日本を取り戻すひとつの方法なのだと思う。そのためには、政治判断が必要だ。それができるのは、恐らく、自民党か旧たちあがれ日本所属の政治家しかいない。


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[ 2013/08/09 07:33 ] 愛国 | TB(0) | CM(6)

8月15日、靖國神社にて。

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何とも騒がしい終戦の日だった。
李明博が対日強硬発言を繰り返し、日本の皇室まで侮辱するような発言をする。尖閣諸島には支那の威を借りた香港漁船が突入する。
全く日本は、台湾を除いて、悪意に満ちた国々に囲まれたものだ。引っ越しができないのが残念だ。もとより、引っ越ししてもらいたいのは、台湾を除いた周辺国の方だが。

昨日、ブログの読者でありTwitterのフォロワーさんからお誘いをいただき、西村眞悟元衆議院議員が主催された「西村眞悟と靖國神社を参拝する会」に参加させていただき、初めて昇殿参拝した。

2012.08.15 靖國神社

遊就館の横で偶然お見かけした西村幸祐氏にご挨拶をさせていただき、参拝手続きを済ませ、拝殿横の到着殿に入る。
靖國神社には何度も通っているが、普段参拝している位置を見降ろすかたちになる本殿からの景色は、まるで違う。優越感ではないが、少しだけ英霊への距離が縮まった気がする。
ちなみに本殿での参拝時、1人を挟んで横で参拝されていたのが自民党の下村博文衆議院議員。この日、閣僚から松原仁、羽田雄一郎の2名が参拝した。
私的参拝という定義こそ気になるが、この2閣僚には敬意を表する。
集団的自衛権が云々とか言っていたどこぞのドジョウは、歩いてこれる距離に居たにもかかわらず、気配すら見せなかったのだから。

2012.08.15 靖國神社

みっともない汗をダラダラ流して九段の坂を登り、第二鳥居を過ぎたあたりから、長蛇の列が連なっている。
ご年配の方が多いのは勿論だが、若い参拝者も確実に増えている。
靖國神社を大切に思うことで大和心を涵養し、日本の自主独立を進めていけると考えれば、この若い人たちの動向には頼もしさを覚える。
危機感もあるだろう。悪意に満ちた隣国の所業と軍事的脅威もさることながら、民主党による政治・外交の稚拙さに、国家の危うき状況を察知した人も多いはずだ。
このアマチュアリズムの骨頂である民主党政治を、国民の反面教師にしなければと痛感する。

参拝を終え、九段の坂を下りて行く途中、水島総隊長率いる「頑張れ日本!全国行動委員会」のデモに遭遇する。
整然とした隊列とおびただしい数の日の丸。当然、日の丸は半旗だ。行進のために道を空けた沿道の人々から、期せずして拍手がわく。
清々しい行進だ。

2012.08.15 靖國神社

夕方、九段下交差点は交通規制され、緊張度を増す。
今年も飽きもせずに行われた反天連(反天皇制運動連絡会)のデモと、それを迎撃する在特会の対峙。近年、午前中に参拝を済ませ、東池袋中央公園に向かうのが私のルートになっているので、このバトルを観察するのは久しぶりだ。
反天連デモは、機動隊員らに守られ、覇気なく進む。
2011年にエロ本の万引きで捕まった通称「万引き書記長」天野恵一の姿は未確認だが、この万引き書記長が組織する変態極左団体は、見るところ初老の組織員が多い。
イデオロギーはその名の通り、皇室の否定である。
皇室とは日本の国体そのものである。
その原理を考えれば、日本に生存することの意味を失った者たちの、時代遅れの枯れた活動以外のなにものでもない。
もとより、この行進のなかにどれほどの純粋な日本人が含まれていたかは、知る由もないのだが。
左翼運動花盛りの時はとうに過ぎ、この落ち目の団体の活動も、今後は先細りだろう。
画像は反天連デモの残骸だ。この組織の行く末を暗示するようなチープさである。

反天連デモの残骸



対岸では、落日大統領の三文芝居とも言える政治ショーが繰り広げられている。
尖閣では、支那が間接的に戦争を仕掛けてくる。
毅然とした態度でと言葉だけを繰り返す官邸に、毅然さは全く見受けられない現状に、英霊は天からいまの日本を見つめながら、歯がゆい思いをされているだろう。
来年のこの日は、もう少し静かな環境で、先人に鎮魂の祈りをささげたいものだ。


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[ 2012/08/16 11:12 ] 愛国 | TB(0) | CM(3)
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