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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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葬式でのヤジを擁護する非常識な脳科学者、茂木健一郎

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 8月に死去した翁長前沖縄県知事の県民葬が、9日、那覇市の県立武道館で行われた。招待された安倍総理は外交日程のため、菅官房長官が代理出席し、安倍総理の式辞を代読した。その際、場を弁まえない基地反対派から怒号が飛び、式は殺伐としたものとなったようだ。

翁長前沖縄県知事の県民葬 玉城知事は「県民は遺志を継ぐ」 菅長官に「帰れ」「嘘つき」のやじも(産経)

 首相の式辞を代読した菅氏が「基地負担の軽減に向けて一つ一つ確実に結果を出していく決意だ」と述べると、一般参列者から「嘘つき」「帰れ。来なくていいよ、お前は」などとやじが相次いだ。
 県民葬終了後、稲嶺恵一元知事は記者団に「悼む場というのは非常に静粛であるべきだが、やむにやまれぬ思いの人たちの気持ちも分かる」と述べた。自民党県連副会長の照屋守之県議は「非常に残念だ。国も沖縄の問題を解決したいということで、翁長知事と一緒になってやってきた」と語った。


 やむにやまれぬ思いがあるなら、何をやっても許されるというものではない。例えば殺人犯が殺した人の葬儀に出て罵声を浴びるならわかる。だが、社会通念上、葬儀でヤジや怒号を飛ばすのは、日本人の感覚で言えば、明確なマナー違反だ。

 こういうふるまいの擁護には明らかに無理があるのだが、それが可能だとしたら、擁護する人の言説は単なるポジショントーク以上でも以下でもない。恰好のサンプルが、脳科学者の茂木健一郎だ。茂木は、あのヤジ、怒号を「お声がけ」と言い換え、 場を弁えまないふるまいを中和した上で、ブログにこう書いている。

菅官房長官にお声がかかった件について考える(茂木健一郎オフィシャルブログ)

菅官房長官が代読された安倍首相のメッセージ自体は、その文字をたどれば立派なものだった。「沖縄の方々の心に寄り添い」という趣旨の文言もあった。それでもあのような声がかかったのは、今までの中央政府の姿勢が、いわば、そのような言葉とは真逆だったからだろう。

菅官房長官の「沖縄の方々の心に寄り添い」という言葉を素直に受け取って「頼むぞ!」「待っているぞ!」「いよっ、官房長官!」「日本一!」といった声がかからなかったのは、「そんなこと言って、またどうせゴリ押しでくるんでしょう」という不信感があったからにほかならない。

茂木健一郎


本当に沖縄の方々の心に寄り添う気があるんだったら、既定路線に従ってゴリ押しするのではなく、真摯に話し合って、アメリカにも掛け合い、たとえば菅さんや安倍さんが沖縄に入ってタウンミーティングすればいい。そうする気がどうせないだろうと思われているから、あのようなお声がけになる。

今回菅官房長官へのお声がけについて、礼儀に反する、不謹慎だといった反応があるが、これほど物事の本質を外した論はない。社会的変化は、礼儀だとかそういうことをとっぱらった感情のやりとりによってしか生まれない。アメリカ公民権運動の歴史を見よ。日本における「礼儀」は単なる思考停止である。


 政府には沖縄県民の心に寄り添うことも大事だが、同時に、国家安全保障という使命がある。寄り添うだけなら、誰でもできる。しかし、国防という中央政府の使命のひとつを完遂しようとすれば、寄り添うだけでは、その使命を果たすことはできない。政府は、普天間の辺野古移設という方針を決定して以来、沖縄県に対して真摯に向き合い、対話を重ねてきた。それをぶち壊したのはルーピー鳩山政権だ。永遠に話し合いをしろというのは、憲法9条信者の「武力ではなく対話による平和論」と同じだが、この問題は既に政治的には決着したイシューなのだ。政府がごり押しをしているというが、「ごねる」ことで「政府がごり押しをしているように見せかけている反基地勢力」という見方の方が正解ではないか。

 日本の文化や風習においては、死者に鞭うつことは慎み、静かに送るというのが礼儀ではないか。「礼儀に反する」「不謹慎だ」という意見は、そのヤジや怒号が日本人の一般的な価値観に反することに対する批判である。同時に、彼ら反対派には、葬式ではなくても、反論の機会はあるのだ。ヤジだけではなく、葬儀を反基地運動、反政府運動に利用したことも、不謹慎の極みではないか。「社会的変化」にもそれなりに適した場所があるはずである。

 いくら脳科学に長けていても、こういう説を唱えるのであれば、茂木健一郎はただの非常識人である。


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[ 2018/10/12 07:09 ] 政治 | TB(0) | CM(10)

佐々淳行さん逝く ~ 日本に「国家中央情報局」設立を

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 佐々淳行さんが亡くなった。佐々さんは、初代内閣安全保障室長を務めた危機管理、安全保障のパイオニアである。ご著書は何冊も読ませていただいたが、危機管理という専門的知識が必要な分野のことを、分かり易く、また非常に知的な文章で伝えることができる、稀有な方だった。

 危機管理の第一線で長く活躍された方だから、エピソードには事欠かない。あまりにも有名なのは、現場で対処の指揮を執った昭和の大事件「あさま山荘事件」での活躍だが、後に役所広司さんが佐々さんに扮した「突入せよ! 「あさま山荘」事件」として映画化され、大ヒットとなった。東大安田講堂事件をはじめとする学園紛争の当時は警視庁警備部警備第一課長で、機動隊運用の責任者だった佐々さんは、東工大闘争委員長だった菅直人が「第四列の男」と呼ばれていたことを菅政権の当時に暴露し、少なからず話題になった。第四列とは、機動隊の検挙活動で手が届く三列目より後方という意味だ。菅はいつも四列目より後方にいて、逃げ足が速いから捕まえられないという話だった。

 中曽根内閣の当時、三原山が噴火し、火山弾と噴出した溶岩が街に迫った。島民1万人と観光客3千人が取り残された状況で、内閣安全保障室長だった佐々さんが陣頭指揮を執る。海上自衛隊、海上保安庁、警視庁や東海汽船などの総力を結集し、艦船約40隻を使っての全島民非難作戦を見事完遂した。その14年後、三宅島が噴火したとき、佐々さんは親友である石原慎太郎東京都知事に海自の輸送艦「おおすみ」の派遣を助言し、石原氏はそれを実行。加えて佐々さんは「ペットの犬を鎖につなぎっぱなしにして避難したのがテレビに映ると、動物愛護団体から抗議が来るから要注意」と石原氏に助言し、石原氏はペットどころか牛、鳥、豚などの家畜まで本土に避難させたという、阿吽の呼吸のエピソードも面白い。

佐々淳行氏


 佐々さんの存在は、世界的に知られている。防衛庁で官房長をしていたとき、「MI6(英国秘密情報部)の友人たちから、東京に行ってサッサに会えと勧められた」と言ってやってきたのが、「ジャッカルの日」等で知られる世界的ストーリーテラーのフレデリック・フォーサイスだという。なんと、フォーサイスの代表作のひとつ「第四の核」という著書で、佐々さんが実名で登場する。当時、スパイ小説に、スパイを取り締まる側の実名が出たということで、大騒ぎになったそうだ。

 支那での民主化運動が天安門事件に発展しようというとき、「デモ鎮圧の専門家だと聞いて来た」と、中共大使館の武官が訪ねてきた。佐々さんは「絶対に殺すな。人民解放軍に武器を置かせ、警棒と盾で機動隊を編成せよ。放水車と催涙ガスを使え。なかったらKCIAに頼んで売ってもらえ」と教えた。ところがそれから一ヵ月も経たないうちに、解放軍がデモ隊に突入し、大虐殺に至る。佐々さんは怒り心頭で中共大使館に怒鳴り込み、「自国民を殺して何が「人民解放軍」だ!私は職を賭して、誠心誠意教えたのだ!忠告を聞く気がないのなら、最初から私のところに来るな!今日限り絶交する!」とまくし立てた。天安門事件後、中共に対する制裁が解除されて間もない時、佐々さんは支那へ公賓待遇で招かれることになる。そこで治安警備を説き、後にチャイニーズ版機動隊ができたというのだから、スケールがデカい。

 興味深いエピソードは限りなくあるので、「インテリジェンスのない国家は亡びる―国家中央情報局を設置せよ!」という名著をご参照いただきたい。

 その佐々さんが、生前、力説していたのが、前述の著書のタイトルにもある通り、国家中央情報局の創設だ。かつて、米朝枠み行為によって北朝鮮にKEDOが組織されたとき、日本はその軽水炉建設費や重油の供与を、無償で要求され、米国からの相談がなかったという。佐々さんが北朝鮮担当の国務省次官補に、「なぜ日本の頭越しに事前の相談なしで勝手に決めるのか」と抗議したとき、その次官補は「日本と相談すると、数日後の新聞に漏れる。今後そういうことが絶対にないと確約せよ。そうしたら事前に相談する」と返され、ひとことも反論できなかったという。

 そういう背景で生まれたのが、反日メディアと野党が猛反対した特定秘密保護法だ。そのうえで、佐々さんはこう書いている。

 ロシアのKGBは、その紋章が「剣と盾」であったことからわかるように、諜報活動という積極的ヒューミント(人間による情報収集)という「剣」はスパイ防止法、秘密保護法という守りの「盾」の機能が伴って初めて世界のインテリジェンス・コミュニティ(情報ギルド)に仲間入りができるからなのだ。(中略)

 アメリカには「盾」としてのFBIが、イギリスにはMI5、スペシャル・ブランチがあり、そして初めてCIA、MI6(現・秘密情報部)が「剣」として機能する。ドイツも憲法擁護庁があってのゲーレンなのだ。日本にはFBIもMI5も憲法擁護庁もない。また、今からFBIも創れない。そこで今回の「国家中央情報局」には、スパイ防止法、秘密保護法という「盾」が必要なのだ。

(インテリジェンスのない国家は亡びる―国家中央情報局を設置せよ!」より)


 安倍政権により、特定秘密保護法は成立し、運用が開始されている。日本版NSAもできた。次に、スパイ天国と言われる日本に必要なのは、スパイ防止法である。

 佐々淳行さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
 

インテリジェンスのない国家は亡びる―国家中央情報局を設置せよ!
インテリジェンスのない国家は亡びる
― 国家中央情報局を設置せよ!



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[ 2018/10/11 07:08 ] 政治 | TB(0) | CM(5)

立憲民主党には到底無理な「まっとうな政治」

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 加計学園の加計孝太郎理事長が7日、記者会見を開いた。補助金を出す側の愛媛県側が会見を求め、愛媛県議会も7月に、説明責任を果たすよう求める決議をしていたというから、再会見は致し方ないところだったのだろう。今治市での獣医学部新設をめぐり、愛媛県の文書に記されていた2015年2月の安倍総理との面会について、学園事務局長による「勇み足」によって「誤解を招くことを言った」と話し、「学園全体として心からおわび申し上げる」と謝罪した。

 学園側に虚偽報告があったことについては、謝罪は必要なのは当然だろう。左派メディアや野党の騒ぎぶりは度を越しているが、その原因のひとつが、学園の虚偽報告だ。好むと好まざるとにかかわらず、加計学園の獣医学部新設問題にかかわる一連の話題は、世間の耳目を集めるところだ。ただし、理事長が公式に謝罪した以上、疑惑に関する「それ以上の根拠」がなければ、この問題は収束させるべきだ。こんな件にかまい続けるほど、日本に余裕はない。

 だが、野党はこの会見を受け、加計学園問題の再燃を狙っている。またもや、陳哲郎が騒ぎ出した。

立民・福山幹事長、加計理事長の国会招致要求(産経)

 立憲民主党の福山哲郎幹事長は7日、学校法人加計学園の獣医学部新設問題で記者会見を開いた加計孝太郎理事長の対応について、真相解明につながらなかったとして加計氏らの国会招致を求めた。福山氏は「反省も誠意も感じない記者会見だ。加計氏や当時の柳瀬唯夫首相秘書官らに、国会に一堂に会してもらうのが一番だ」と主張した。東京都内で記者団に語った。

陳哲郎


 福山氏はまた、「今の説明では国民の疑念は晴れない」と述べ、国会で徹底追及していく考えを示した。


 陳哲郎の背後には、立民党の「まっとうな政治」というキャッチコピーが躍っている。しかし、本来まっとうな政治とは、国会議員に限って言えば、法という国家戦略の立案である。野党第一党と胸を張るこの政党は、立法という本来業務は眼中になく、もっぱら安倍政権の足を引っ張ることが仕事であるかのように行動している。「まっとう」とは、「まともなさま」「まじめなさま」という意味だが、彼らが真面目に取り組んでいるのは倒閣運動のみだ。しかし、それは明らかに「まともなさま」ではない。

 仮に、加計理事長が安倍総理との面会を認めたとしよう。面会したと認めた時、野党や倒閣メディアに「次の一手」があるのか。 面会自体があったとしても、その面会と加計学園による獣医学部新設との因果関係を証明できる「次の一手」がなければ、立民らが求める加計理事長の国会招致は、「単に立民党が疑わしいと思っている人物をわざわざ国会に呼ぶこと」以上の何物でもない。そういう行動は、普段「人権」を振りかざして弱者の味方のふりをする立民党の立場から考えれば、許せるはずがないのだ。

 加計理事長を国会に招致したところで、散々質問した挙句、お決まりの「疑惑は深まった」というプロパガンダを垂れ流すだけだろう。朝日新聞が「総理のご意向」という報道をしたのは、昨年の5月だ。もう1年半も、こんなくだらない問題を、さも国家の一大事のような扱いで追及しているが、倒閣野党と倒閣メディアが束になってかかっても、安倍政権の支持率は高止まりし、ここにきて逆に上昇傾向を見せている。

 立民党には「少しはまっとうな政治をやれ」と要求したいが、同時に、「彼らにまっとうな政治は無理」だということは、この1年半の時間の経過が証明しているということだろう。


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[ 2018/10/09 07:08 ] 政治 | TB(0) | CM(6)

「反教育勅語原理主義」がパヨクの思考を停止させる

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 昨日も書いたが、柴山文科相の教育勅語に関する「現代風に解釈され、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性をもっている部分がみてとれる」という発言について、火病を発症したパヨクの騒ぎが止まらない。

 平成26年4月、あの前川助平が国会答弁で、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」と、文科省の見解を示しているというからお笑いだ。反安倍の象徴としてパヨクに重宝されている籠池泰典氏も、教育勅語の推進者である。パヨクというのは、敵の敵は味方という論理でイデオローグを利用するが、その利用方法の前に、整合性が破綻しているのだ。

柴山文科相


 保守の間で人気者(もちろん皮肉)のコニタンも、さっそくTwitterで、柴山大臣の辞職を要求している。


 コニタンは「学校教育から排除済み」と断言しているが、直近の閣議決定は「勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」というもの。単に無知なのか、時系列としての整理ができていないのか。歴代の文科大臣も教育勅語に対して肯定的な見解を示しており、これが辞任理由に当たるというのは、事実関係として間違いである。

 また、コニタンは、「徳目は、皇室皇国に身を捧げる天皇の忠臣となるために説かれているもの」と言っている。小西の最大の間違いはここだ。勅語の結びは、このような一文だ。

朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)
(朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む)


 教育勅語で書かれている内容は、強制ではない。天皇自らこれを実践するから、国民もこの道を一緒に守っていくことを願うと書いている。元首が国民に何かを命ずるということは歴史上いくらでもあるが、元首が国民に「一緒にやろう」と働きかけを行うケースは実に珍しい。

 会見でこの教育勅語を持ち出したのは、NHKの記者だそうだ。質問は、「教育勅語について、過去の文科大臣は中身は至極真っ当なことが書かれていると発言されていますが、大臣も同様の考えか?」というものだ。当然、これは柴山大臣への誘導質問であり、この質問に対して大臣は、「現代風に解釈され、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性をもっている部分がみてとれる」と答えている。大臣は前提として「分野」、「部分」という言葉を使っており、教育勅語全体を肯定しているというメディアの報道が歪曲なのだ。
 
 繰り返しになるが、小西博之は教育勅語が「皇室皇国に身を捧げる天皇の忠臣となるために説かれているもの」と説いている。批判するパヨたちは、恐らく教育勅語を呼んだことがないと思われるので、念のため、勅語の他の部分も使って検証してみよう。

我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)
(我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。)


 国民が心を一つにして、天皇の治世を支えてきたという一文だ。我が国の歴史を支えてきたのは、天皇が中心にいたことも事実だが、「国民が支えてきたから」だというのである。天皇がただ国民に「忠臣」としての役割を求めるだけなら、国民を褒めたたえることなど必要ない。

 これを、「天皇の忠臣となるために説かれているもの」というのは、硬直した反天皇・反教育勅語原理主義である。教育勅語全体を認めないのであれば、声高に「親孝行をしてはダメ」、「兄弟、姉妹、夫婦は仲良くしてはダメ」、「友達を信じてはダメ」と訴えればよい。それをしないのであれば、「部分的な普遍性」を認めた柴山文科相の発言を批判する資格など無い。


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[ 2018/10/05 07:09 ] 政治 | TB(0) | CM(12)

柴山新文科相「教育勅語の普遍性」発言を断固支持する

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 昨日の朝日新聞の社説は、豪華2本立てだった。ひとつは、朝鮮学校を教育無償化制度の対象にせよという要求である。この問題に関しては、大阪高裁が昨年の大阪地裁判決を取り消し、朝鮮学校を無償化対象外とした政府の方針に違法性はないと判断したばかりだ。最高裁までもつれた場合にどのような結果になるかわからないが、現時点での司法判断は朝鮮学校を無償化の除外とする政府判断に問題がないというもの。朝日は社説の結びに「政府は無償化制度の原点に立ち返り、朝鮮学校も対象とするべきだ」と書いているが、問題は既に司法の場に持ち込まれているのだ。いま、政府がどうこう言う段階ではない。

 もうひとつは、“お約束”のような安倍改造内閣に対するイチャモンである。組閣を「露骨な論功行賞人事」と断じ、党4役である選挙対策委員長に甘利氏が復権したことを批判している。恐ろしいことに、朝日は甘利氏を「検察は不起訴処分としたが」としたうえで批判している。訴追されなかった以上、甘利氏をあたかも罪人のように扱うのは、メディアとして傲慢である。憲法改正推進本部長の下村博文氏、総務会長の加藤勝信氏を「身内ともいえる親しい2人」と称して批判しているが、朝日はこの2人が、総理が秋の臨時国会への原案提出に意欲を示す憲法改正を推進する2人だとしての批判なのだ。

 こういう批判に対しては、「ん?何か問題でも?」と、逆に質問したくなる。政策を推し進めるうえで、その政策に長けた適材を適所に配置するのは、リーダーとして当然ではないのか。かねてより指摘している通り、朝日には「安倍政権を批判する」という結論があらかじめ設定されており、その結論のために材料を集めているに過ぎない。彼らは安倍総理のことを「自らに批判的な勢力も取り込む、懐の深さは感じられない」と批判するが、対立する意見の持ち主を、自らが生業とする言論をすっ飛ばし、法廷闘争に持ち込む朝日に、懐の深さなど論じる資格はない。

 もうひとつ、朝日が脊髄反射しているのが、文科大臣に就任した柴山昌彦氏だ。柴山文科相は2日の記者会見で、教育勅語についての見解を問われ、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある。普遍性をもっている部分がみてとれる」と述べた。この発言を、野党が一斉に非難している。

柴山文科相


柴山氏発言に菅氏「コメント控える」 野党「言語道断」 (朝日)

 共産党の志位和夫委員長は記者団に「教育勅語は、いったん大事が起こったら天皇のために命を投げ出す、ここに核心がある。大臣は基本点を理解していない。非常に重要な発言だ」と批判した。

 立憲民主党の辻元清美国会対策委員長は「認識違いが甚だしい。昔だったらすぐクビですよ。言語道断だ」。社民党の吉川元(はじめ)幹事長も、衆院で1948年に排除決議した点に触れ、「排除されたものを、教育をつかさどる文科相が『良いところがある』なんて言うのはまさに憲法違反だ」と資質を疑問視した。(抜粋)


 報道から判断する限り、柴山文科相は教育勅語のすべてを「現代風にアレンジ」と言っているわけではないだろう。発言をつまみ食いして批判する、奴らのいつものやり方だ。仮に柴山大臣が教育勅語を総じて評価しているとしても、私は全く問題ないと思う。むしろ、戦後民主主義の価値観を疑問視する人々に、教育勅語を再評価しようとする動きが多い。

 辻元など、「昔だったらすぐクビで、言語道断だ」と言っているが、昔とはいつのことなのか良く分からない。そもそも、「昔だったら」という価値基準こそが不見識ではないか。共産党の志位は、「天皇のために命を投げ出すのが教育勅語の核心」と言っているが、これも切り取りだ。その核心とは、共産党のイデオロギー上では核心であるのだろうが、そのイデオロギーは一般の国民すべてに共通するものではない。

 社民の吉川は、1948年に国会で教育勅語の失効が決議されたことを言っているのだが、勅語は失効しただけで、憲法に「使ってはならない」と書かれているわけではない。「憲法違反」というのは明らかにバカげた拡大解釈であり、ミスリードだ。もし教育勅語持論を貫くなら、「教育勅語禁止の憲法改正」発議でも目指したらどうか。

 就任会見で趣旨を聞かれ、柴山氏は「戦前は義務や規律が過度に強調されたことへの反動として自由や権利に重きを置いた教育、個人の自由を最大の価値とする憲法が制定された」とし、「権利とともに、義務や規律も教えていかないといけない」と述べた。


 100点満点の答えだ。柴山文科相のこの認識を、断固支持する。柴山氏には、粗探しと批判しかない野党、反日メディアに怯むことなく、この路線を突き進んでもらいたい。


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