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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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蓮舫の「だから?」という反応の方が問題だ

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 麻生副総理兼財務相は、歯に衣着せぬ奔放な発言で知られる。福岡県直方市で開かれた成人式の祝辞で、麻生大臣はお馴染みの口調でこう述べた。

麻生太郎副総理「パクられたら名前出る。それが二十歳」 (朝日)

麻生太郎副総理兼財務相(発言録)
 二十歳を境に何が違うのか。飯が食える、たばこが吸える、酒が飲めるとかなんてどうでもいい。

 それより、皆さんがた、もし今後、万引きでパクられたら名前が出る。少年院じゃ済まねえぞ。間違いなく。姓名がきちっと出て「20歳」と書かれる。それだけはぜひ頭に入れて、自分の行動にそれだけ責任が伴うということを、嫌でも世間から知らしめられることになる。それが二十歳だ。(12日、福岡県直方市での成人式来賓あいさつで)


 これに脊髄反射したのが、日本人であることも怪しい蓮舫だ。この発言を受け、精一杯の不快感をツイッターで呟いた。


 麻生氏は何も間違ったことは言っていない。十代と二十歳の違いを説明する上で、二十歳の成人はより重い責任を、自らの行動に伴って負うことを、具体的に説明しただけだ。「政治家のイメージを破壊する」などということばは蓮舫が言ってはならない。嘘に嘘を重ねて詐欺的手法で政権を獲り、何もできなかった民主党政権ほど、政治家のイメージを著しく毀損した者はいない。同時に、国籍を有耶無耶にしたまま逃亡している蓮舫が政治家のイメージを改善したいのであれば、自らの国籍問題について包み隠さず説明すべきだ。

 さて、麻生氏は話題豊富な人で、翌13日の発言も朝日や蓮舫のような議員に問題視されている。

麻生太郎氏「日本は2千年、一つの民族」政府方針と矛盾(朝日)

 麻生氏は13日の国政報告会の中で、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表チームの活躍に触れ、「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本がまとまった」などと指摘。その上で「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。

 麻生氏は同日、同県飯塚市での国政報告会でも「2千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、一つの王朝を保ち続けている国など世界に日本しかない」と発言した。政府は昨年9月には、アイヌ施策推進法に基づき、アイヌの人々の差別解消に向けた取り組みや支援の実施を盛り込んだ基本方針も閣議決定している。


 この発言に対しても、蓮舫は強く反応した。


 蓮舫は「2千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」という価値観を共有しないどころか、「だから?」レベルなのだそうだ。「二千年続く王朝をいただく、世界に類を見ない国」という価値観を日本から取り去ってしまえば、日本は日本でなくなる。経済的には大国だが、そんな日本は特別な存在ではない。日本を特別な存在にしているのが皇室という王朝で、それを意識から取り除いてしまえば、“日本らしきもの”が残るだけだ。まず、蓮舫のこの意識に唖然とする。

麻生副総理


 蓮舫は「多様性を認めあい、お互いの違いを認識し支え合う社会を」というが、麻生氏の発言が多様性を否定いるなどというのであれば、それは拡大解釈だろう。他方、日本が大和民族によって単一王朝を維持してきたのは歴史的事実だ。朝日新聞はアイヌの存在をことさら強調するが、これは、過去に麻生氏のほか、故中曽根総理、平沼赳夫氏、伊吹文明史、中山成彬氏などが同類の発言をした際、アイヌからお約束のように抗議されたことを計算に入れたものだろう。アイヌに対して、「今回の発言に対しても騒げ!」と扇動しているようにも映る。

 批判を受けた麻生氏は、「誤解が生じるならおわびの上、訂正する」とした。揚げ足を取られるような発言であったことは確かだ。しかし、大和民族が国家、制度、皇室を長きに渡って守り、継続してきたこと、そして、その歴史を紡いできた先人を努力と苦労に対して「だから?」という感想しか持たない者が、政治家として国会に籍を置くことのほうが問題ではないか。


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[ 2020/01/15 07:08 ] 史観 | TB(0) | CM(19)

終戦の日の社説と談話を読む ~ 「平和主義」を念仏のように唱える「平和の敵」

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 例年、8月15日には靖国神社を参拝しているのだが、昨日は休暇が取れず、参拝は叶わなかった。この日、わざわざ遠方から靖国にお見えになる方も多いと聞く。靖国がいつでも行ける距離にあるのは幸運なことだと痛感する。もとより、靖国にとって最も大事なのは春と秋の例大祭だが、8月15日という象徴的な日、一人でも多くの参拝者が訪れることは、純粋に祈りをささげること以外にも意味を持つ。国民が靖国を支持するという、意思表示だ。

 昨日は1年前の朝日の社説を取り上げながら、彼らが説く「アジアとの和解」がいかに不毛な主張かを述べた。今年の社説も、予想通り「相変わらず」だ。毎年繰り返されることながら、社説「8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ」で確認できる通り、朝日の論調は“平壌”運転だ。

忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。


 これは、かつて朴槿恵が披露した「千年恨」と似たような発想である。日本を「永遠に加害国である」という枠組みの中に押し込め、固定化する狙いだ。

 毎日新聞の社説は、それと同じ発想で書かれている。文南鮮政権の度重なる外交的不作為を一応は批判しつつ、それでも社説「終戦の日と戦後処理 世代をまたいで辛抱強く」で、彼らを特別視すべきと主張している。

日本が文政権の外交的不作為をなじるだけでよいだろうか。韓国は中国と並んで日本の近代史における「特別な国」である。


 これはとんでもない主張だ。毎日新聞は、彼らは「特別な国」であるから、条約や国家間の約束を破っても多めに見ろと言っている。こんな主張がまかり通るなら、彼の国々との約束など、まったく意味を持たないということになる。そういう特別視が、戦後の日中、日韓関係をダメにしてきた最大の要因ではないのか。

 個人的には、こういう新聞には嫌悪感以外の感情がわかないが、政党や政治家も似たり寄ったりだ。15日、各党が談話を発表しているが、その傾向がもっとも顕著なのが、れいわ新選組が発表した山本太郎の談話だ。

 間違った判断の連続で、自国のみならず、アジア諸国にも甚大なる被害を与えた過去。この反省を未来永劫続けることが、私たち、そして政治の責任と考えます


 未来永劫、反省するのだという。まるで談話原稿を朝日や毎日新聞に外注して書いてもらったかのような文章だ。先の大戦に関しては、当然、反省は必要だろう。しかし、反省の先に何を求め、それをどう成し遂げるのかを示すのが、政治の責任だ。

 共産党はもっと過激だ。

 安倍改憲の狙いが、海外での無制限の武力行使を可能にし、米国との“血の同盟”づくりにあることは明白です。すでに、安保法制=戦争法が施行され、自衛隊が米軍とともに海外で戦争する体制づくりが進んでいます。国民の世論と運動をさらに広げ、安倍改憲策動に終止符を打とうではありませんか。


 改憲を目指す安倍政権を「米国との“血の同盟”づくり」と称し、「自衛隊が米軍とともに海外で戦争する体制づくり」だと批判している。平壌の朝鮮中央テレビのアナウンサーに語らせたら、それらしく聞こえそうな内容だ。内容はプロパガンダ以外の何物でもない。

 続いて、野党第一党の立憲民主党だ。

 しかしながら今日のわが国は、時代の大きな岐路に立たされています。集団的自衛権の行使容認と安保法制の成立を強行した安倍晋三政権は今、ホルムズ海峡における有志連合への参加を求められ、後戻りのできない立場へと追い込まれようとしています。
 また、専守防衛に関する従来の政府答弁から逸脱するおそれのある護衛艦「いずも」の事実上の空母化や、他の歳出項目と比し突出して伸び続ける防衛予算など、この数年における安倍政権の安全保障政策は、完全にその抑制を失っています。
 さらに今、安倍政権は立憲主義、平和主義を無視した憲法の改悪に向けて突き進もうとしています。戦後、日本人が育てあげ、守り続けてきた「立憲主義」と「平和主義」が、大きな危機にさらされています。


 立民党が考える我が国の安全保障環境は、1945年当時から何も変わっていないのだろう。ひたすら専守防衛を唱え、防衛費の自主規制を強要し、そういった事なかれ主義から脱皮しようとする安倍政権の動きを、暴走かのごとく批判しながら、代案は出さない。全く楽な商売である。

 立憲民主党が昨年のこの日に発表した談話がこれだ。

 戦後73年、日本は今、時代の大きな岐路に立たされています。安倍政権は、憲法解釈の変更による歯止めのない集団的自衛権の行使を容認し、今また、立憲主義、平和主義を無視した憲法の改悪に向けて突き進もうとしています。安倍政権により、戦後、日本人が育てあげ、守り続けてきた「立憲主義」と「平和主義」が脅かされようとしています。


 書いていることは全く同じ。もっとマシなライターを雇った方がよいと思うのだが、昨年の談話の今年のそれも、終戦の日の談話で「倒閣」を宣言するという節操のなさに何の変化もない。

 平和主義とは、現状から何も動かさないことを言うのだろうが、好むと好まざるとにかかわらず、日本以外の国々は、時代に応じて安全保障政策を変えている。立憲民主党をはじめとする野党のガラパゴス化は、日本の安全保障政策の足を引っ張るという意味において、我々国民に害以外をもたらさない。

 戦争を抑止するため、戦争に巻き込まれないためにも、我が国には時代に合った憲法と安全保障政策が必要だ。いまの野党のように、念仏のように「平和主義」を唱えるだけの連中は、実は平和の敵なのである。


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[ 2019/08/16 07:07 ] 史観 | TB(0) | CM(5)

終戦の日と、「アジアとの和解」というプロパガンダ

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 今年も終戦の日を迎えた。記念ということばは必ずしも肯定的な立場のみを意味しないが、この日を「終戦記念日」と呼ぶ気持ちにはなれない。この日は先の大戦が終結した日だが、同時に日本の敗戦が確定した日でもある。敗戦利権者たちは、戦争の終結によって日本にも平和と民主主義が生まれたと、デマを散布する。だからこの日を記念したがる。しかし、終戦の日というのは、尋常ではない苦難の始まりでもあった。

 終戦の詔勅で、昭和天皇は国民にこう語りかけられた。

惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、朕にはよくわかる。
しかしここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、もって万国の未来、子々孫々のために、泰平の世への一歩を踏み出したい。


 昭和天皇は、恐らく、史上はじめて他国に占領され、その占領によって国と国民が被る苦難のことを憂い、このように語りかけらえたのだろうと思う。しかし日本の苦難は、米国の占領終了ともに独立し、国際社会に復帰して以来、現在に至るまで長きにわたって続いている。

終戦の日、玉音放送
昭和20年8月15日、皇居前


 その苦難、災いのもととなっているのが、特定アジア国による歴史認識の押し付けだ。その代弁者としての朝日新聞は、昨年の8月15日、社説「戦後73年とアジア 未来へ向け記憶を紡ぐ」でこう書いている。

 日本が戦争に敗れて、きょうで73年を迎えた。
 この歳月を経てなお、日本はアジアでの和解を成し遂げていない。日中両政府の関係が上向くにつれ、表面上は見えにくくなっているが、民衆の間では複雑な感情が今も広く残る。
 侵略や植民地支配の記憶という「負の遺産」の風化をこのまま待つという姿勢では、未来志向の関係は築けない。アジア太平洋で日本が果たすべき役割を考え、積極的に貢献することも和解の歩みに必要だろう。
 政府が、そして社会と個人がそれぞれの立場から、平和への発信を強めていきたい。


 朝日新聞が常套句として使用する「アジアとの和解」だ。しかし、この場合のアジアとは特定アジア三国を指し、当然ながらアジア全体を指すわけではない。アジア圏は日本には友好的な国がほとんどであり、朝日のような「和解が必要な国」というのは、支那と南北朝鮮のみなのだ。

 そもそも「和解」を語る朝日新聞は、その和解がどうしたら成し遂げられるかを定義していない。恐らく、特亜3国が日本の過去を赦し、過去にとらわれない未来志向の関係を築くことを言うのだろう。しかし、これは不可能である。何故なら、彼らが日本との和解を必要としている実態はなく、逆に、日本との確執を国内の政治に利用しているからだ。彼らは反日を必要としているのだ。従って、特亜や朝日新聞が言う「和解」とは、プロパガンダに等しい。

 朝日はそれを知っていて、それでも和解しろという。必要なのは、「相手が納得するまでの謝罪」だ。だが、謝罪外交の成れの果てを目の当たりにしている現在、そんなロジックは説得力を全く持たない。朝日新聞のような敗戦利権者には、未来志向などという概念すらない。常に過去に固執し、常に被害者であり続けようとする南朝鮮のような国と発想が同じなのだ。

 戦後の苦難は様々ある。一文字も改正されていない占領憲法もそのひとつ。陛下はもとより、総理大臣の参拝すら批判の対象となる靖國神社もそのひとつだ。しかし、それらは苦難であると同時に、決して課題に挑まず、それらを先送りにしてきた日本国民全体の責任でもあるだろう。朝日新聞のような特亜の代弁者の力を削ぎ、国民の多数が戦後レジームから覚醒するときが来れば、そういう課題もようやくの俎上に載り、解決の方向に進むと思う。

 安倍総理は、第一次政権時にスローガンとしていた「戦後レジームからの脱却」を言わなくなった。メディア対策があるのだろうが、総理がそれを言わずとも、政策面でひとつひとつ、その課題に挑んでいることは理解できる。大事なのは、そういう政治家を後押しすることだ。

 日本の今日の繁栄は、御霊の尊い犠牲があったからこそ為し得たものだ。戦没者に哀悼の意を表しつつ、御霊に恥じない日本を作っていかなければならない。


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[ 2019/08/15 07:08 ] 史観 | TB(0) | CM(13)

護憲派はウクライナの最前線で「9条原理主義が無力である」ことを自覚してくるべきだ

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 女性初の東大教授の中根千枝氏が、このようなことばで日本人的な特性を表現している。

 「熱いものにさわって、ジュッといって反射的にとびのくまでは、それが熱いといくら説明しても受け付けない。しかし、ジュッといったときの反応は実に巧みで、大けがはしない」


 山本七平は、著書「空気の研究」のなかで、これを「情況を臨在的に把握し、それによってその情況に逆に支配されることによって動き、これが起こる以前にその情況を論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という表現で解説している。

 現行憲法では国を守れないと薄々分かっている人も、例えば終戦の日に近づくにつれ、特定放送局が戦争の悲惨さだけをクローズアップするような放送でその人々を洗脳することによって、「戦争はしてはならない」「平和が何よりも尊い」というプロパガンダに拘束されてしまうのである。隣国に独裁国家があっても、毎日のように領海侵犯が起こって領土を脅かされようとも、動けない。尖閣沖で海保の船に体当たりする船長が出てきて初めて、その情況に反応するのである。

 従って、日本人が目覚めるのは「ジュッという熱さ」を体験することしかないように思われるが、それはあくまで受動的な覚醒を意味するし、それが領土への侵略など、何らかの代償を伴うものであったとするなら、受動的な覚醒は遅すぎるということになる。なかんずく、「9条を守れ」と叫ぶ人々は、そういう覚醒すら拒否する思考停止の集団なのだろう。

 そういう9条原理主義者たちに聞かせたいのが、ウクライナからの留学生、ナザレンコ・アンドリー氏の公開憲法フォーラムでの発言だ。

 「1991年、ウクライナがソ連から独立したとき、核兵器と100万人の軍隊があった。維持費がかかり、隣国に警戒されるとして、核兵器をすべて譲り、軍隊を20万人に縮小した」
 「ウクライナ人の多くも、『隣国に侵略されることは非現実的だ』と考えていた。今、平和ボケしていた時期を振り返ると、『戦争が一切起きない』と考えさせることも敵の戦術の1つだった」

ナザレンコ・アンドリー


 「日本の自称平和主義者を、ウクライナの前線に連れて行きたい。戦火で燃え尽きた村の廃虚、ミサイルが落ちている中で学校の地下に隠れる子供たち、戦没者のお墓を見せて聞きたい。『貴方が望んでいる日本の未来はこれなのか?』と」(zakzakより抜粋)


 ナザレンコ・アンドリー氏が説明する、独立からロシアの侵攻を許すまでのウクライナの動きは、日本の護憲派の主張と全く同じだ。彼は、「護憲派の主張は、ウクライナが犯した『過ち』と非常に似ている。戦争は言葉で止められるなら、その言葉を教えてほしい」と語る。全くその通りだ。北朝鮮を観てみれば良く分かる。彼らは経済規模では弱小国だが、核を持つことによって米国を揺さぶるまでになっている。北朝鮮の存続を可能にしているのは、経済でもなく、交渉力でもなく、「核兵器」という軍事力なのだ。隣国が核武装する中、自国を自衛隊すら認められない状態のまま日本を冷凍保存することによって、日本の存続が北朝鮮とは逆に、脅かされる方向に向かっていることに目を向けなければ、平和を語る資格など無い。

 「9条死守」、「改憲発議を阻止せよ」と叫ぶ人々は、国内で騒ぐだけでなく、ナザレンコ・アンドリー氏が言うように、ウクライナの最前線を観てみるべきだ。ウクライナは「ジュッという熱さ」を経験したが、その経験は、国を守るには遅すぎた。日本国民はその熱さを経験する前に、「巧みな反応」を促す覚醒を必要があるのだ。


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[ 2019/05/13 07:09 ] 史観 | TB(0) | CM(6)

脱支の元号「令和」と、元号にかこつけて安倍総理を批判するアベガーたち

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 4月1日に向け、メディアも国民の多くも参加してきた新元号協奏曲。勝手な予想が散々垂れ流されたが、その協奏曲に菅官房長官が終止符を打った。

新しい元号は、令和であります。


令和


 何でもいいから批判に結び付けたい陣営は、この新元号をディスることに殊更注力した。さしずめ、これらの人たちなど格好のサンプルである。


 これなら、共産党の志位の論理の方が、よっぽどすっきりする。特に小田嶋など、安倍総理を批判するという前提でしか、元号を観ていないのだ。朝日新聞の「結論報道」(あらかじめ決めた結論にあわせて記事を書く報道)と構造は同じである。

 もっと残念なのは、次の総理候補というイメージがしぼみつつある石破茂だ。

【新元号】自民・石破氏「違和感ある。『令』の意味説明の努力を」(産経)

 自民党の石破茂元幹事長は1日、新元号が「令和(れいわ)」に決定したことについて、「違和感がある。『令』の字の意味について国民が納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」と述べた。記者団代表による電話取材に語った。

 石破氏は「令」が「命令」を連想させることを懸念したとみられる。石破氏は「新しい時代は戦争がなく、人々が対話する時代になるようにと思う」とも語った。


 石破は、総理の会見を観たはずだが、総理は会見で元号の意味を丁寧に説明している。万葉集にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したものという、明確な説明だ。令月とは、「何事をするにもよい月。めでたい月」という意味だそうだが、石破は安っぽいコメントを発する前に、令月の意味を調べようとしてみたのだろうか。

 今までの元号は、これまですべてが支那の古典が出典だった。来る「令和」は、歴史上はじめて日本の和歌が出典となる。それも、天皇や皇族、貴族から、防人や農民まで、身分を問わない人々が詠んだ和歌を集めた万葉集だ。今までの伝統から、日本独自の文化に根差した伝統を作っていく元年となる。この改革を、日本国民として歓迎したい。

 山口二郎や小田嶋隆、石破茂は、「令和」をディスり続けるだろう。しかし、一ヵ月後に次の御代を寿ぐ段階になって、彼らはそれでもこの元号をディスり続けられるだろうか。もしそうだとしても、彼らは完全なマイノリティであり、国民の大多数は彼らアベガーのことを冷ややかな目で観ることになるだろう。

 新元号「令和」を歓迎する。


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[ 2019/04/02 07:07 ] 史観 | TB(0) | CM(7)
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