私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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「聖徳太子抹殺計画」を阻止せよ ~ 歴史教育の改悪に抗議の声を!

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 日本人なら誰でも知っている聖徳太子。冠位十二階や十七条憲法を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家を推進した、国史では欠かせない偉人である。隋の皇帝で、暴君として知られる煬帝に対し、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや……」という外交文書を送ったエピソードはあまりに有名だ。「日が昇る国の皇帝(天皇)が、日が沈む国の皇帝(隋の皇帝)に手紙を送るよ。変わり無い?」ってなもんで、当然ながら煬帝は激怒したという。遥か1400年も前に、中華思想・華夷秩序を全否定し、「我が国は真の独立国家である」と宣言したのだから、現代の政治家にも見習ってもらいたいロールモデルである。

 その聖徳太子の名が、教科書から消されようとしている。2月14日に文部科学省が発表した次期学習指導要領の改訂案に、聖徳太子の名を「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に統一するという案が含まれているというのだ。厳密には、改定案には小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学で「厩戸王(聖徳太子)」とされている。時系列で解釈すれば、小学校で習った聖徳太子という人物のことは、正式には厩戸王と覚えようね、ということである。

聖徳太子


 何故か。文科省によれば、聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的だからだそうだ。死後に付けられたおくり名/諡号は、古くは生前の事績への評価に基づいてつけられる名前のことだ。すべてではないものの、歴代天皇の呼称も諡号である。古くは大陸から伝わったものとされるが、長い年月をかけ、日本の伝統・文化に根付いたシステムである。従って、単なる学術的な名称のみでは、我が国の価値観は継承されないのではないか。

学習指導要領改訂案
中学校学習指導要領案(p.40)


 文科省の街区集指導要領改定案の論理破綻は、これだけではない。「鎖国」も、長崎や薩摩ではオランダ、支那などとの交易を許していたため、「幕府の対外政策」に改めるというのだ。文科省の担当者は「当時、鎖国という言葉は使われていなかったので、正しい言い方にした」としているが、この役人はバカなのか。

 昭和様の御代にあっては、陛下を「昭和天皇」とは呼ばない。今上陛下を「平成天皇」と呼んだら、「お前は日本人か」とツッコまれるのがオチである。奈良時代、平安時代、江戸時代なども、あとになってからついた呼称で、奈良時代の人々が自分たちの生きた時代を奈良時代と呼んでいたわけではない。こんなこと、小学生でもわかる論理だ。当時使われていなかったから呼称を変えるというなら、歴史教科書はほとんどすべてのページを書き換えなくてはならなくなる。2チャンネルには秀逸なツッコミがあった。

太平洋戦争のことも大東亜戦争って直さないといけなくなる


 この手の謀略は、既に実行段階に移されている。山川出版の教科書は、既に厩戸王が採用され、聖徳太子はカッコ書きになっている。検定を通っているということだ。

「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。603年には冠位十二階、翌604年には憲法十七条が定められた」


 摂政とも皇太子とも書かれず、単なる「天皇の甥」扱いだ。

 歴史上のことばの数々は、算数のように、1+1=2という計算式のみで答えられるものではない。学術とは別の次元に、日本人の紡いできた言葉の歴史があるのだ。文科省ではパブリックコメントを受け付けている。3月15日までなので、この指導要領に疑問を持った方は、是非この改悪を阻止すべく、声を届けていただきたい。

文科省パブリックコメントはこちらから



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[ 2017/03/02 07:08 ] 教育 | TB(0) | CM(14)

岸井成格よ、教育勅語のどこが「ヘイト的」なのかを説明せよ

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 私は、自分の思想とは対極に位置する朝日新聞の社説を読むようにしているし、報道ステーションの報道姿勢もたまにはチェックているが、サンデーモーニングだけは見る気がしない。そもそもテレビをあまり見ない質なのだが、それでも当事者としての政治家も出演するフジの新報道2001やNHKの日曜討論は、政治家の生の声が聴けるという部分においては情報源となる。しかし、サンデーモーニングには政治家が出ることは稀で、要するに自称評論家や政治素人たちが、好き勝手に欠席裁判をやっているという点において、観る価値もないのだ。

 さて、そのサンモニで、レギュラーコメンテーターの岸井成格から、昨今話題の中心となっている森友学園について、このような看過できない発言があった。

教育方針ですよね。ホントにすごい方針じゃないですか。幼稚園児に教育勅語をこう暗唱させるなんて、今どき考えられないぐらいにちょっとヘイト的なあれがあるんです。


岸井成格


 教育勅語がヘイト的というなら、勅語のどの部分がヘイト的なのか、岸井には説明する義務がある。単に教育勅語の精神が嫌いならそれは個人の自由だが、公共の電波を使って教区勅語に妙なレッテル張りをするなら、その行為こそヘイト的というべきだろう。

 教育勅語は、天皇が臣民に対し、国体を具体的に説明し、一緒に日本の伝統を継承していこうと語り掛けるものだ。明治神宮のウエブサイトにある口語訳を引用してみよう。

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。


 極めて日本的な発想である。まず、天皇は我が国をはじめた祖先を讃えているが、我が国が二千年以上も続いてきたのは、「全国民が心を合わせて努力した結果」だとしている。国家の存続を国民が支えてきたのだということを、明治天皇は説いているのである。このような教育方針を示した国家は、後にも先にも日本だけだろう。

 加えて、勅語は、親子、兄弟・姉妹、夫婦、友人などの関係の重要さを説き、学問や社会貢献の大切さを説き、法律や秩序を守ることの大切さを訴えている。この価値観は、家族制度に否定的な一部の極左を除けば、万人が共通して持つものだろう。最後に、明治天皇は、「私もこれらのことを実行するから、皆も一緒にこの道を歩んでいくことを願う」と、結んでいる。君主が民に命令するのではなく、一緒にこの道を歩んで行こうと言っているのだ。これが日本における天皇と臣民の関係性を示している。天皇は民とともにあるという意味で、少なくともこの時代、侵略と搾取が繰り返されていた欧州をはじめとする諸外国の王朝国家とは全く質が異なるのだ。

 さぁ、この教育勅語の何処が「ヘイト的」なのか。戦後サヨクは、教育勅語にある「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければない」という部分が、戦前の軍国主義を連想させると忌み嫌っている。しかし、国家に安全保障等の非常事態が発生したとき、国民以外の誰がこの国を守るのかという質問に対し、彼らは応えられるのだろうか。彼らが嫌う在日米軍なのか、それとも何が何でも話し合いなのか。血の繋がった兄を暗殺する独裁者相手に、果たして話し合いが成立するのか。

 このように、教育勅語には当たり前の道徳観しか書かれていない。子供たちがこういう精神を持って育てば、日本国の未来は明るく、そして強い。私は森友学園および塚本幼稚園の教育方針のすべてを支持する立場はとらない。子供たちに「日本を悪者にする中国や韓国は心を改めて。安倍首相がんばれ!」と言わせる時点で、非文明国と同じ土俵に乗ってどうするのだ?という気にもなる。しかし、子供たちに教育勅語を教えることは、断固支持する。

 森友学園の問題については、野党や反日メディアは何もかもいっしょくたにし、安倍政権攻撃の具として利用しまくっている。岸井の「教育勅語はヘイト的」というのはまさにその典型例だろう。岸井には説明の義務があるだろう。教育勅語のいったいどこが「ヘイト的」なのか?


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[ 2017/02/28 07:09 ] 教育 | TB(0) | CM(20)

竹島の日 ~ 学習指導要領に難癖をつける朝日新聞の愚

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 本日2月22日は「竹島の日」である。この記念日は、1905年(明治38年)1月28日に島根県への編入を閣議決定が為され、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行ったことに由来する。竹島の日を定めた島根県の条例は下記のような内容だ。

竹島の日を定める条例(平成17年3月25日島根県条例第36号)

(趣旨)

  • 第1条 県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。

(竹島の日)
  • 第2条 竹島の日は、2月22日とする。

(県の責務)
  • 第3条 県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取組を推進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
  • 附則 この条例は、公布の日から施行する。


 県の条例であるから同然のことではあるが、この「竹島の日」には日本国の影が全くない。島根県が独自に制定した記念日であり、政府の関与は全くない、もしくは、政府は客観的な立場であるという体裁が、この日の実情なのだ。県がこの日に式典を主催し、国会議員がゲストで参加するという形態が常であり、国は主体的立場をとらない。領土にかける国家の意思・意欲の強さは、「独島」をプロパガンダ化している南鮮とは比較するまでもない。

日本固有の領土、竹島


 朝日新聞が16日、社説でこの「領土」を取り上げた。「領土教育 複眼的な思考こそ」と銘打ったこの社説は、小中学校の学習指導要領の改訂案で、「北方領土、竹島、尖閣諸島は我が国の固有の領土」「尖閣諸島に解決すべき領有権の問題は存在していない」という記述が盛り込まれたことに起因する。

 領土は各国のナショナリズムや利害がぶつかり合い、外交上の摩擦の要因になる。子どもたちが日本の主張を知っておくことは大切だ。

 だが政府見解は数学の公式とは違う。日本の立場の表明であり、それを学ぶのみでは現実は理解できない。教室で「尖閣に領土問題は存在しない」と教えても、中国船による領海侵入のニュースは流れる。

 領土とは何か。隣国はどう考えているか。いかなる歴史的経緯があるか。こうした事実を知って初めて、問題を深く、複眼的に見ることができる。


 まず、学習指導要領は、北方領土、竹島、尖閣諸島が日本固有の領土であることを教える方針は示しているが、「他の国の主張を教育現場から排除せよ」とは書いていない。朝日の書きっぷりは、要領が「領土問題は存在しない。以上!」と、他国の意見を徹底的に排除した上で教えるように指導しているかのように印象づけるが、それは事実とは違うだろう。

 例えば、中学校学習要領を見てみよう。文科省が公表した要領案にはこういう記述されている。

「領土(領海,領空を含む。),国家主権」については関連させて取り扱い,我が国が,固有の領土である竹島や北方領土に関し残されている問題の平和的な手段による解決に向けて努力していることや,尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は存在していないことなどを取り上げること。


 これに対し、朝日は「決められた通りに教えることが従来以上に求められるのではないか。自国第一主義の風潮がはびこるなか、独自の工夫を偏向と批判する空気が広がれば、教員は腫れ物に触るような授業しかできなくなるだろう」と異議を唱えている。

 これは難癖というものだろう。朝日の主張は、指導要領が法的拘束力を持つがために、教員が委縮するというものだと推察する。しかし、領土を正しく理解することが自国第一主義に繋がるというのは妄想以外のなにものでもない。2008年、北海道教職員組合が「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」という論説を機関誌に掲載したが、これは「独自の工夫」でもなんでもない「暴論」だ。こんな連中が委縮するはずなど無い。朝日は「主権の主張=偏狭なナショナリズム」という薄っぺらい解釈でしか領土教育を考えられないのか。それとも、朝日は北方領土、竹島、尖閣の領有権について、何か独自の解釈でもあるのか。

 日本に北方領土、竹島、尖閣諸島の領土・領有権の解釈はひとつしかない。ひとつしかないから、それを指導すればよいだけの話だ。むしろ、政府がこのような指導要領を推進するなら、竹島の日記念式典等においてもその姿勢を態度で示すことを求めるべきだ。竹島の日制定や記念式典において政府が主体となってこなかったのは、単に南鮮への配慮が理由だろう。政府も外務省も、彼の国相手に配慮が何も生まないということを、いつになったら理解するのだろうか。


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[ 2017/02/22 07:08 ] 教育 | TB(0) | CM(21)

保育所の「国旗・国歌に親しむ」という新指針を「押し付け」とする、山尾の国家観

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 私が元旅行会社の社員だったころ、仕事柄、世界の様々な都市を訪れる機会を得ていたが、端的に日本と海外の違いを言えば、それは国旗の少なさである。ひとまとめに言うことはできないものの、例えば訪問がその国のナショナル・ホリデーに当たれば、街は多くの国旗で埋め尽くされている様を見る。対して日本の国民の祝日は、日の丸を掲揚する家は既に稀で、掲揚している公共機関や企業もあまりお目にかかることはない。

 GHQが日本の歴史を闇に葬ろうとし、その路線を戦後民主主義を妄信する者たちが頑なに踏襲しようとしてきたことは良く知られている。GHQは紀元節を廃止させた。紀元節が復活したのは、GHQこの祝日を廃止させてから18年後の1966年だ。このように、歴史は疎んじられ、国家に対する帰属意識が可能な限り薄められたのが、戦後日本の実態ではないだろうか。

 そんな戦後の風潮を少々するかのような質問が、昨日、国会で出た。質問の主は、ガソリーヌこと、民進党の山尾志桜里である。

民進・山尾志桜里氏 保育所での国歌・国旗に疑問 (産経)

 民進党の山尾志桜里前政調会長は17日午前の衆院予算委員会で、保育所に通う3歳以上の幼児が国歌や国旗に親しむことを明記した平成30年度からの厚生労働省の「保育所保育指針」改定案に疑問を示した。

 「子供たちが社会に愛されて社会に育まれていく。そういう環境を作ることで、子供たちの心に押し付けではない自然に社会を愛する、自分の生まれ育った国を愛する意識が芽生えていく。これが順番だと思う」と述べた。


山尾志桜里


 保育所保育指針改定案は、国家や国旗を強制しておらず、「親しむ」ことを掲げている。従って、押し付けという議論は当たらない。山尾の理論は、さしずめ、「私はこの社会に生まれた。そしてその社会が属するのは、たまたま日本という国だった」というものだろう。国というパラメーターが結果として後からついてくるという理論だ。しかし、これでは自分の国に対する愛着は育まれず、国旗を振るのは4年に1度のオリンピックと、ワールドカップサッカーぐらいなものになるだろう。これでは愛国心とは言えない。

 米国の例を見てみよう。私は米国に1年という短い期間暮らしたことがあるが、幼稚園から大人の会合まで、何かを始める前に、国旗に向かって胸に手を当て、「忠誠の誓い」というものを合唱する。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.
(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)


 あまりにその頻度が高いため、単語を覚える前に音で暗記してしまったほどだ。幼稚園の園児たちも、国旗に向かってこの文句を唱える。彼ら彼女らは、pledgeもalligianceの意味も分からないだろう。それでもこの言葉は刷り込まれ、それが米国の愛国心の柱を形成していくのだ。ある程度の刷り込みは、どの国でも行っていることであり、日本だからダメというのは筋が悪すぎる。

 国旗や国歌に対してこの程度の判断基準しか持たない民進党だから、二重国籍の持ち主を代表に据えても平気でいられるし、「国というものがなんだかよく分からない」という発想の持ち主を総理大臣にしてしまったのだろう。ズレているのは民進党である。愛国心が偏狭なナショナリズムに直結するなどと短絡的に思っているとしたら、国会議員など務まるはずがない。


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[ 2017/02/18 07:21 ] 教育 | TB(1) | CM(17)

カリモフ大統領の死去とテレ東の教育勅語批判

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 ウズベキスタンのカリモフ大統領の死去が、2日、発表された。日本のメディアはカリモフの独裁体制に批判的だが、技師出身であるカリモフが大統領になれた精神的な背景に日本人の存在があったことは、あまり知られていないし、報じられもしない。ポイントは、1966年4月、タシュケントの建造物の3分の2を崩壊させた直下型大地震で、びくともしなかったナヴォイ劇場、そしてその建立に携わった日本人たちにある。

 3年前の拙ブログ・エントリー「せがれ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。」から引用する。

5月13日 参議院予算委員会 中山恭子議員の質疑より

中山恭子委員 麻生大臣は、ウズベキスタンでは、Taro Asoと呼ばれて大変尊敬されていらっしゃいます。カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになっていらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、ひとことお話いただけませんでしょうか。

麻生副総理 カリモフという大統領がおられるんですが、1997年だったと思いますが、日本の閣僚として初めてウズベキスタンという国に行きました。大統領と接見があって、我々同友会から数十人同行されたと記憶します。

 「子供の時、毎週末、日本人捕虜収容所に連れて行かれた」。ご存知かと思いますが、45年から46年にかけて、シベリアからウズベキスタンに2万5千人捕虜が移送されております。そのことを言っておられるんだと思いますが、

「その捕虜収容所に連れて行かれた。母親が私に言った台詞は毎週末同じだった。『せがれ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見なくても働く。お前も大きくなったら、必ず人が見なくても働くような人間になれ。』 おかげで母親の言いつけを守って、今日俺は大統領になれた」。


カリモフ大統領


 なかなか一緒に行った私より、もっとご年配の方が多かったもんですから、非常に感激をしておられましたけれども、これは徹底して、この人が大統領でおられたために、色んなところにこの点は徹底して、今言われたナヴォイ劇場の話だと思いますが、これはナヴォイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、これはウズベキスタンの大地震の時に、このナヴォイ劇場だけが倒壊しないで残った。したがって、そこには、「日本人捕虜」と書かず、「日本国民」と書き直されて、我々は捕虜にした覚えはないので、日本国民によって建ててもらったということが書いてあるんで、これはウズベキスタンという国という中央アジアの中において大勢力ですけれども、この国において、日本人が非常に定着し、日本の文化というものが広まっていった基の基はその2万5千人にのぼる捕虜収容の、捕虜収容所に入れられた方々のひとりひとりのご努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係、出来上がった基礎は、そこにあると、私も、伺った時そう思いました。

中山恭子委員 ありがとうございます。日本の文化のすばらしさをみんなでもう一度誇りを持って過ごしていきたいと思います。委員長、大変ありがとうございます。


 カリモフだけではない。ウズベキスタン中央銀行副総裁のアブドマナポフという人物も、子供の頃、日本人の働く姿を見たと言い、友人と一緒に日本人の宿泊所の庭先に、自家製のナンや果物を差し入れに行ったというエピソードもある。

 捕虜という身でありながら、勤勉さを失わず、責任感を持って仕事に取り組む日本人の姿は、ウズベキスタンの人々の心を打った。その日本人たちの行動の基礎には、現代日本で批判的に語られている教育勅語があったと、私は思う。

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。(教育勅語の口語訳)


 テレビ東京が、園児が朝礼で君が代を歌い、教育勅語を復唱する大阪の塚本幼稚園を取り上げ、日本会議と結びつける批判的な報道をしたと、ネットで話題になっているようだ。教育勅語を「戦前の軍国主義の象徴」と断定し、民主主義の敵であるように言われているが、それは一面的な解釈にすぎない。カリモフやアブドマナポフが見たのは、その戦前の教育で育った日本人である。戦前がすべて悪ならば、ウズベク人が心を動かされた日本人の姿を説明できない。

 戦前はすべて悪であるというレジームから、そろそろ脱却すべき時ではないのか。



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[ 2016/09/04 09:40 ] 教育 | TB(0) | CM(13)
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